松竹ロビンスを調べると監督も選手も個性的すぎて驚きます。

 

 

当初、調べ始めた頃は

田村駒次郎オーナ一は一流が好きで、

チームより選手がいい成績を残すと喜ぶ傾向が見られます。

後々歴史に残る選手が続出し、それもどちらかというとアウトロー気味。

チームの出入りが激しく、荒っぽいイメージがありました。

 

 

監督も含め殿堂入りしているのが多いのですが

チームに収まる監督のカラーが見えにくく

寄せ集めの球団に思えました。

 

大東京からロビンスの17年間で一番長く在籍したのが

坪内道則選手。

 

しかし、坪内さんでさえ、大東京のカラーが見えない。

どちらかというと中日ドラゴンズ。

 

ネーミングライツをしたり、新しい企画を考える

チャレンジ性は見られるのですが、

田村駒次郎オーナーは商売人としてのプロ野球を考えるのだけど

それを上手くシステムを使い切っていない。

しかし、今の価値観では表現しきれない何かがある。

今の時代では受け入れられないオーナー、運営かも知れないが

考え方としては理解できる部分があるのが面白いところです。

 

大東京からライオン軍より朝日軍つ時代が進むと

投手陣が厚くなる。

しかし、大エースは生まれるけど、2番手3番手が生まれない。

 

 

真田重蔵投手を代表に、唯我独尊的なお山の大将が入ってきて

少し成績を残していっては去っていく・・・。

あまり、カラーが出来ないままに去っていく。

 

それでも戦争中になっても田村駒治郎は球団を持ち続けるほど

野球が好きなオーナーは当時としても珍しいのではないか?

 

戦後、パシフィック軍として再スタートしたが、

主な朝日軍のメンバーは橋本三郎を中心

にゴールドスター(金星)を作ってしまった。

そこに、オーナーと選手たちの温度差をみると、

戦後は個人で球団を持てる時代ではなくなった。

金星も大塚アスレチックスが入ったり、

最後は大映スターズとして永田雅一が手に入れる。

 

 

田村駒治郎と永田雅一は野球界の二大ワンマンオーナーとして名を残している。

なおかつ、一番ややこしいビジネスをしていたような感じがします。

その頃巨人は「紳士タレ」として、八百長や不正を排除して、

職業野球のステータスを上げていく行動をする時代になってきて、

法人としてのプロ野球、戦後の民主主義の中のプロ野球は

この2人を疎ましい存在と考えてくるのではないか?と思うくらい

追い込まれていく。

 

そして、その間に必ず鈴木龍二が暗躍しているように思えてしまう。

 

最終的には鈴木龍二はプロ野球を救った人だではあるけど、

1980年代、江川事件まではセ・リーグに君臨してしていました。

鈴木龍二は

大きな意味でプロ野球をそのように残していくか?

と言うことを考えていたのではないか?

正力松太郎という人はプロ野球を作り、

二リーグにした貢献は大きいけれど、

正力松太郎のもとで実際切り盛りしたのは鈴木龍二だった。

 

新聞社で政治家と話していた鈴木龍二にとって

田村駒次郎の個人商店の運営には我慢できなかったのかもしれない。

そして、時代も個人で切り盛りしているような運営に

ついていけなくなったかもしれない。

 

大東京から松竹ロビンスへ行く道のりは

時代の変化に付いていけない経営が消滅球団としての

歴史になっていた気がします。

 

 

 

 

 

 

 

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