野球界、スポーツの世界を超え、社会に大きな影響を与えた

ジャッキー・ロビンソンがブルックリン・ドジャースで

1947年4月15日にメジャーに昇格された。

 

ジャッキー・ロビンソンのプレーや行いは

今では多くの人々に伝わっている。

メジャーリーグ初の黒人選手と言われたりもしているが、

正確には違う。

 

アフリカ系アメリカ人選手は1884年にモーゼス・フリート・ウォーカーが先だが

その後、大リーグは人種差別のリーグとして63年間の長きにわたり

白人以外は大リーグでプレーできなかった。

 

入団前のオーナー会議ではドジャースに対して

フィリーズやカージナルスはロビンソン排除を強硬に主張したが、

当時のチャンドラーコミッショナーはドジャースとロビンソンを支持し、

フリック・フォードナショナルリーグ会長は、

対戦拒否をしたら出場停止処分を課す命を出した。

 

ジャッキー・ロビンソンは

1年目にしっかり結果を出し、この年から制定された新人王に選ばれる

成績は打率.297、本塁打12本、49打点、29盗塁だった。

ジャッキーロビンソンの成功により、他球団も黒人選手を入団させた。

 

ドジャースの会長ブランチ・・リッチーは経営者として、大リーグの発展に貢献した。

カージナルス時代はGMとしてマイナーチームをファームチームとして構築。

今のマイナー組織の整備をした。

 

そして、1942年にドジャースのGMとして迎えられる。

1944年にランディスコミッショナー(黒人選手受け入れに消極的だった)が亡くなると、

黒人選手を受け皿を作り出し、

いよいよ、1947年のジャッキー・ロビンソンの入団へこぎつけた。

背景にはブルックリンという土地柄、中流的な黒人家庭に向けてのマーケティング、

そして、選手供給の不安からの開拓も考えていた。

 

しかし、奥底には当時のアメリカの極端な人種差別に対する嫌悪感があったと思われる。

 

1947年の4月15日に

ジャッキー・ロビンソンがデビューできなかったら、

今ある、MLB繁栄はなかっただろう。

そして、日本人選手もMLBで活躍できなかったと思われる。

 

デビュー50年目の1997年4月15日、

ジャッキー・ロビンソンの背番号「42」は

全球団で永久欠番になっている。

 

 

2013年に公開された

ジャッキー・ロビンソンの伝記映画

「42」世界を変えた男は

野球映画公開から3日で

2730万ドル(約27億円)を売り上げて

野球映画史上最高のオープニング記録を打ち立てた。

機会があれば是非鑑賞をおすすめします。

 

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