2013年4月12日は

巨人軍1950年代(10年)のエースのひとり

大友工投手の命日です。(1925-2013)

 

 

軟式野球出身だが、速球が評価され1949年巨人に入団。

プロ入りしてから硬式野球を経験するという環境の中

サイドスローに変更。

 

自信のある速球に磨きをかけるため、ステップを広げるうちに

サイドスローになった。

 

プロ入り3年目の1951年から、速球とスライダーを武器に

11勝4敗2.42の成績を上げ、3年目から主軸投手になる。

 

1953年には27勝6敗、勝率.818

防御率1.86で最多勝、防御率1位、最高勝率のタイトルを取る。

 

1955年にも30勝6敗、勝率.833で最多勝、最高勝率のタイトルを取り

水原監督時代の巨人投手、別所毅彦、藤本英雄と並ぶ大投手に成長した。

 

しかし、1956年に右腕の親指に死球を受け怪我をしてから

成績が下降し、1960年近鉄に移籍したものの、1勝2敗で引退した。

 

 

 

サイドスローのイメージとは違う

国鉄スワローズの金田正一投手と並ぶ速球投手として双璧をなした。

金田投手も「大友さんのほうが速い」と評価していた。

 

怪我のため、現役期間は11年と短いが

1951年から1956年までの全盛期に

118勝46敗、勝率.7195

1363.2回を投げて自責点286、防御率1.89という抜群の成績を残した。

 

通算130勝57敗で、投球回数も1591.2回と2000回を達成していないため

野球殿堂入りはできなかったが、巨人の第二期黄金時代を支えた投手であり、

忘れていけない野球人のひとりだ。

 

もし、巨人が球団の野球殿堂を作るのなら

必ず殿堂入りする投手だ。

 

 

 

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