4月7日はプロ野球草創期から活躍した名外野手
坪内道則選手の誕生日です。

大正3(1914)年4月7日愛媛県生まれ



松山商業、天王寺商業を経て立教大学へ進学。
立教大学のひとつ後輩に景浦将がいた。

立教大学を中退後
プロ野球が誕生した1936(昭和11)年 9月17日に
大東京に入団、すぐにレギュラーとして活躍、

戦前は大東京-ライオン軍-朝日軍と球団名は変わっても

同じ球団で、主に一番打者としてチームを牽引した。


戦後は金星、中日と17年間活躍した。
彼は戦前から活躍した選手のなかで一番試合に出場した選手で
その証拠に日本初の1000試合出場と1000本安打をを達成した。

現役17年のうち9年はシーズン全試合出場、
17年間で欠場した試合は50試合、
現役最後の年も全試合出場と、余力を残しての引退だった

1941,42年に盗塁王を獲得。
頼れる俊足外野手だった。

戦後、若林忠志投手とともに1947年
野球連盟から「野球名人」として表彰された。
ある意味玄人好みの選手だったのだろう。

戦前の野球界は、記録を重きにおかず
坪内選手の1000試合、1000本安打の記録も
あとから聞かされたそうだ。
しかし、それをきっかけに連盟表彰されるようになった。

引退後は中日ドラゴンズの選手寮の寮長として
選手達をバックアップしていった。

ナゴヤ球場が一軍球場としてお役ごめんとなった
1996年のイベント巨人とのOB戦で別所投手と対決のあと
翌年1997年9月16日に亡くなった。1992年野球殿堂入り。

野球史に興味が出て、坪内道則さんの実績に興味を持った頃
選手名鑑に中日選手寮の寮長に『坪内道則』と書いてあったことに驚き
永く野球界に残っていることにホッとした記憶がある。

 

野球雲の消えた球団シリーズのうち

10,11号に登場する坪内選手には思い入れがあります。

いつか中日ドラゴンズも取り上げたいと思っていますが、

戦後のドラゴンズを支えた選手としても興味深い人物です。

 

 

↑ 坪内道則選手時代の前半の在籍していた大東京からスターズの球団史を知る11号

 

戦後、最初に在籍したスターズ特集

 

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