近代野球の開拓者~ジョン・マグロー伝

 

2月25日(1934年)は

ジョン・マグローの命日です。

1913年に来日して、1934年のルースが来日した年に亡くなったのも

勝手に日本と縁があるかもしれないと思ったりしました。

 

 

「ジョン・マグローは20世紀初頭の強きアメリカにリンクしたリーダーだった」

 

野球雲2号の特集「大正野球狂時代」としたときに

表紙は誰にするか?ということで

すぐに「ジョン・マグローでしょう」と提案した。

 

1913年12月に来日し、日本の野球に多大な影響を与えた人物だからだ。

もちろん、100年前のことなので、

野球史に興味がないとほとんどの人が知らないかもしれない。

表紙を見た方も「ベーブ・ルースですか?」と言われるのも当然だろう。

 

 

 

野球を毎日見たり、知ったりするのが喜びとなった

1980年代のバイブルは週刊ベースボール。

その中に過去の名選手、関係者の伝記の連載があり毎週読んでいた。

当時は大リーグ関係のものが多く、自然と古き良き大リーグに興味が出ていき、

初めに「タイ・カッブ自伝」を読み、

次に読んだのが「近代野球の開拓者~ジョン・マグロー伝」だ。

 

読むまでは大リーグ初期の監督ということしか知らなかったが、

20世紀前半のアメリカにも興味がったので、手にとってみたのだ。

写真でジョン・マグローをみると、

鼻が大きく、眼力鋭い顔は「監督」をするために生まれたように思え、

迫力があっただろうと読んでみると、本当にその通りだった。

 

ジョン・マグローは1873年にニューヨーク州に生まれ、

1891年ボルチモア・オリオールズに入団、

同僚のウイリー・キラーとともに叩きつける

ボルチモア・チョップと言われるバッティングで1,2番を打ち、

ヒット・エンド・ランを多用しベースボールの近代化を行った。

 

負けず嫌いで「勝てばいいだろう」という性格、作戦等も考え、

チームリーダーとして認められ1899年には監督兼任となりチームを牽引した。

 その後、アメリカンリーグのバン・ジョンソン会長との争いから、

ナショナルリーグのニューヨーク・ジャイアンツに移籍し監督に就任、

1903年から1932年まで君臨し、

リーグ優勝10回を数え、20世紀前半の大リーグの象徴の一人だった。

 

ジャン・マグロー伝は文学ではない、

彼のハイライトをサクサク書いているものだ。

それは1冊の本では足りないからのように思える。

それでも、1891年にプロの世界に入り、

生涯、野球の世界でメインストリートを歩き続けた人間の凄さは伝わってくる。

 

アメリカが世界のリーダーになっていく時代だからこそ、

強いリーダーを必要としていった。

そこに絶対引かないジョン・マグローが時代にマッチしていく様子がわかる。

 

喜劇王チャップリンがジョン・マグローの大ファンでリーグ優勝をしたものの

ワールド・シリーズに負けたことに落胆した様子や、

社交界での振る舞いについても書かれていて興味深い。

 

そして、野球に対する姿勢は「勝てばいいんだろう」という言葉が表すように、

あらゆる手段を使って勝とうとする姿勢にドン引きしてしまう場面もあるが、

その迫力が違う。

 

1904年にリーグ優勝したが、アメリカンリーグの会長との遺恨から「

格下のリーグとの優勝争いはしない」と言って

ワールド・シリーズをキャンセルする、

嫌いな人間を生涯許さない執念・・・・。

 

 

絶対服従のリーダーシップで長年チームを引っ張っていったが、

徐々に時代の流れでマグロー野球が終

焉に向かっていく様子は後半のハイライトで、

病気のため癇癪がひどくなり、選手とも意思の疎通ができなくなっていき、

現場から退場していかなければならない苦悩が書かれていく。

 

最後は「わしは・・・・やめたんだ」とつぶやく。彼の心情が染みる。

今の時代に合わないかもしれないが、

野球に対する姿勢は見習うべきところが多々ある。

アメリカとともに成長していく大リーグを知るにも面白い本だと思う。

 

ジョン・マグローは1913(大正2)年、世界一周野球団として、

ニューヨーク・ジャイアンツとシカゴ・ホワイトソックスの合同チームとして

日本にやってきた。6戦6勝で日本を離れた。

最後に彼が残した日本の印象をお伝えしよう。

 

来日したジョン・マグローと大リーグチーム(野球界大正3年1月号)

 

「ミカドの国では、素晴らしい歓迎を受けて感激した。

投手は金縁の眼鏡をかけ、スピードもさほどではないが、実にコントロールがいい。

これには驚いた。」「日本人は実に外国のものをとりいれるのがうまい。

野球の技術についても、アメリカにいては想像できないほど、

われわれのものを消化している。

まだ、カーブの投げ方がよくわかっていないように見えたが、

ベースランニングは上手くフィールディングがいい。

 

こうしたことから一つだけ断言できる。それは将来、

東京の通りの中に

『本日、日米野球決戦第一日』といった看板が立つ日が必ずくるということだ・・・。」

 

 

上記は野球雲3号 野球本紹介ページ「三振堂」で発表した

文章に一部付け加えたものです。

 

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