2月6日(1984)年は
巨人、西鉄、大洋、近鉄、サンケイの監督として
氾濫万丈の野球人生を送った三原脩氏の命日(享年72歳)。
2024年で亡くなって40年の節目です。
三原脩の功績は数え切れないほどありますが、
日本の野球史の中で今も一番影響を与え続けている一人かもしれません。
現在のプロ野球契約1号選手でもあり、
戦後は知将として強いチームはより強く、
弱いチームを強くする監督としての才能は
勝負師としての凄さも感じさせます。
三原脩はフレーズの面白さも魅力的です。
「超二流」「流線型打線」など
野球ファンの心を揺さぶる言葉に、知将の故たるものに感じます。
野球を見始めたころには、現場を退き
ニッポンハムファイターズの球団社長になっていて、
なんとなく意外に思ったりした。
亡くなる前の1983年に野球殿堂入りで
当時の規則がそうさせたかもしれないが、
「思っていたより遅い殿堂入りだな~」と感じたものだ。
それまで、パ・リーグの西鉄ライオンズで黄金時代を築き
新たなステージとして大洋を選んだことは、
大洋ホエールズだけでもなく、三原魔術といわれた
彼の実績にも大きな影響を与えたことでしょう。
実績を考えてみると、
日本の野球指導者の中で一番面白く、
一番劇的な監督だったかもしれない。
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