プロ野球の記録本で必ずと言っていいほど、

紹介される記録は数あれど、

権藤正利投手の28連敗の記録は、

これからもずっと語られる大記録の一つだ。

 

権藤正利投手(1934年5月1日生まれ)
 

権藤という苗字でもう一人の権藤は

権藤博投手。同じ佐賀県出身。

あまり、野球史に詳しくない方には、

「権藤、権藤、雨、権藤」の人ですか?と聞かれたりしたが、

権藤博さんは入団2年で65勝を挙げ、

指導者としても成功をおさめ、野球殿堂入りした。

 

今回ご紹介する権藤正利投手は

どちらかというと、昔のシングルレコードでいえば

「B面」のカップリング曲のイメージだ。

 

でも、そのB面曲が隠れた名曲だったりするものなのだ。

 

権藤正利投手は幼い頃、

竹トンボを作っているときに人差し指を1センチも削り落とす

大けがをし、また、小児麻痺を乗り越えて、

柳川商業高校へ入学した。

そこで、エースとして活躍し、甲子園出場にはできなかったが、

1953(昭和28)年大洋松竹ロビンスに入団。

 

指を怪我したことで、落ちるカーブを投げることができ、

それが「懸河のドロップ」とまで言われる武器となった。

1953年35試合登板26先発13完投 15章12敗 220.2回を投げ

奪三振222、防御率2.77を記録し、エース級の活躍で新人王に輝いた。

この年、チームの成績は52勝77敗.403だった。

 

翌年.1954(昭和29)年は11勝20敗と大きく負け越したが、

チーム唯一の二けた勝利投手として、263.1回を投げ

防御率2.83を記録し、

チーム最下位(32勝96敗.250)の中でも奮闘した。

 

しかし、1955(昭和30)年から権藤にとって悪夢のようなキャリアになった。

それも丸2年間勝てなくなったという連敗記録が始まった。

 

下記の表は純粋に連敗中の登板を表にしたものだ。

 

表にはないが、1955年最後の勝利は7月6日の

国鉄スワローズ8回戦で先発服部投手が国鉄打線につかまりはじめ

ピンチにリリーフ登板、そのあと、失点0に抑え、

3勝目をあげた。国鉄の投手は金田投手だった。

 

そして、連敗は1955(昭和30)年7月9日広島戦で始まり、1957(昭和32)年6月20日まで続く。

1955年は9月23日を最後にチームとしては17試合残っていたが登板はない。

 

前年8連敗で終わったシーズンは権藤も大洋球団も最悪の年だった。

1956年(昭和31)年は前年以上に苦しみ、登板数も20に止まり、

13連敗でシーズンを終えた。当時の記事によると

肩も痛め、夜遊びが度を越えたような記述もある。

そして明治大学から入団した超エース秋山登が25勝25敗で新人王を獲得した。

 

1957(昭和32)年21連敗中として権藤のシーズンが始まった。

しかし、大洋の打線はあまりにも貧打だった。

1955,1956年もチーム打率2割1分にも届かず、

1点に抑えても勝てないチーム状況は1957年も変わらないように思えた。

 

とうとう、6月2日に負けて、泥沼の28連敗となった。

本人はともかく、まわりは「もう勝てないのでは?」と思ったのではないか?

そしてついにその日が来た。

 

権藤正利28連敗中の登板

 

7月7日後楽園球場、七夕の夜。

巨人-大洋 12回戦。

権藤は巨人相手に完封勝ちを収めた。

勝利の瞬間、大洋の選手たちがマウンドに向かい総出で胴上げした。

負けた巨人ベンチからも拍手があったそうだ。

 

その後、権藤は憑き物がとれたように

後半戦は11勝10敗で乗り切り、少し大洋球団に明るさが戻ったようだった。

 

(左から青田昇外野手、権藤、大石投手)

 

シーズン終盤、インタビュー記事に

「球威というのは紙一重だと思う。同じボールを投げても、

自信をもって投じたのは威力がある。

迷いながら投げたのは打たれますね。連敗中は自信が無くて

打たれるような気がして迷い、打者のツボにいってします。」

「それが、自信を取り戻した今は全然ありません。

コントロールがついたのが大きい」と語った。


そして、速球とドロップだけだったのを、

カーブとシュートでカウントをかせぎ、ドロップで勝負した。

ドロップが低く決まったときは好調な証拠だ。とも話している。

 

細身の権藤はスタミナが足りないと自覚していて、

昼寝をしないと体がきついと、体調管理に苦労した。

 

28連敗を止め、気持ちも切り替わり

連敗前より自信がついたのか?

婚約したことも語っていた。

 

権藤正利は通算20年の現役生活を過ごしたが、

その足取りは、まだまだ波乱万丈だ。

 

野球雲的には

 

お話を聞いてみたい

レジェンドのひとりだ。

 

 

権藤正利投手 通算成績

 

 

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データ協力 日本プロ野球記録

データ協力 たばともクラシックSTATS鑑賞

データ協力 篠浦孝氏

 

全登板表の読み方・・・左から


・シズ登・・・シーズンでの登板目
・通算登・・・初登板からの登板目
・チム試・・・シーズンでのチーム試合目
・登間・・・・登板日から次の登板日までの間日数(中○日の表現)
  連投は登板日の次の日が登板日
  D連はダブルヘッダーにおいて第一、第二試合での連投
・月日・・・・登板した月日
・相手・・・・対戦したチーム
・ダブル・・・複数試合の順番
  ①、②は第一・第二試合、表裏・チームとも両方全く同じ試合。
  △1、△2は、第一・第二試合、表裏が違ったり、チームが違ったりと変則的な試合。
・球場・・・・登板した球場
・対戦先投・・先発時の相手チーム先発投手
・登結果・・・左側の”先”は先発登板、数字は○番手での登板
       右側の”完”は完投、”降”は途中降板、”封”は完投して失点なく0点に      

      抑えた試合(0点完投引分けでも使用)、”了”はリリーフして、試合最後まで投げた登板
・勝敗・・・・○は勝ち投手、●は敗戦投手、Sはセーブ(セーブが未規定年の場合は、

       独自に印付け、Hはホールド(ホールドが未規定年の場合は、独自に印付け)       

       背景がベージュはチームが勝利、深緑はチームが敗戦
・回・・・・・投球イニング数、背景が黄色はQS(クオリティスタート、回が6以上かつ       

      自責点が3以下の場合に色付け)桃色はHQS(ハイクオリティスタート、       

      回が7以上かつ自責点が2以下の場合に色付け)
・投数・・・・試合での投球数
・打者・・・・試合での対戦打者数
・被安・・・・試合での被安打数
・奪三・・・・試合での奪三振数
・四死・・・・試合での四球数と死球数を合わせた数
・失点・・・・試合での失点
・自責点・・・試合での自責点
・被本選手・・試合で本塁打を打たれた選手、複数の場合選手名の右に数字