【首位打者列伝28 】

ブルーム (ジャック・ブルームフィールド)
(アメリカ合衆国テキサス州モンティ・アルト出身 1930年8月7日~)
右投左打 内野手



1955年からマイナーリーガーとして活躍。AAAまでは昇格できたが
MLB昇格はついに果たせなかった。
1960年の途中からNPBの近鉄バファロー(当時)に入団した。
この時ロン・ボトラ等の紹介で日本に渡ったが、
このロン・ボトラも1959年に近鉄に入団し二刀流として活躍していた。


1960年は58試合の出場。当時の近鉄の二塁手内藤博文が
打率.251 3HR 21打点でそれに対して
打率.279 5HR 17打点のブルームであったので

この年は適応するので精一杯だったのだろうか。
それでも十分な成績だが今後の活躍を考えると少し物足りないか。


1961年にレギュラー定着。前年まで二塁手のレギュラー争いをしていた
内藤博文、島田光二の成績とも大きく差をつけオールスターにも出場した。
記録に詳しい方ならご存じな事かと思うが
この年の6月3日の阪急戦に観客のヤジにブチギレてスタンドに乗り込み暴行を働いた。
これは日本で唯一のプロ野球選手による観客の暴行事件となった
…これはヤンキー・ゴー・ホームですね…

1961年成績 打率.297 7HR 32打点 BB9受賞
この時代の近鉄は62年まで5年連続最下位という絶望の軌跡の珍道中であり
何を隠そうこの年の敗北数103敗は今でもプロ野球記録であった。
上のブルームの成績も物足りなく見えるが、本塁打が二桁選手もいないので
かなりいい方の成績と言わせてもらいたい。


1962年 首位打者獲得 打率.374 12HR 74打点 BB9受賞(2年連続)

打率.374は当時パ・リーグ歴代2位の記録であり、

2020年現在でもNPB打率10位という別次元にいる。

(3割7分以上打った選手も10人しかいない)

この年から迷将千葉茂から別当薫が監督になり首脳陣も陣容が変わったが
チームでも小玉明利(当時唯一の全国区の人気を持つ選手)、関根潤三と
ブルームと共に中軸を担った3選手が3割を記録。

小玉、関根の成績が上がったことも、ブルーム打率上昇の一因かもしれない。
他の選手も打撃に成長がみられ前年との違いを感じさせた。

なお順位は変わらない模様。

この年のブルームはタイトルを取った打率は

歴代でも屈指のものを記録したのはわかるが、
その他も出塁率が4割、長打率も5割、最近の、指標でもあるOPSも.998と
現代でもかなり評価されやすい成績を上げておりそれぞれの細かい指標でも
本塁打以外はベスト10に入っているという成績で
近鉄バファローズという深海魚球団でも存在感はトップだったと窺い知れる。
この年のタイトル獲得者は張本、野村、広瀬と化け物揃いだったので目立たないが…

当時の記事では大洋の近藤和彦と並ぶ好打者として紹介されている。


1963年 首位打者獲得(2年連続)打率.335 9HR 62打点 BB9受賞(3年連続)

助っ人外国人で2年連続で首位打者はセリーグの与那嶺要以来(1956年、57年)
以降ではバース、中日のアロンソ・パウエルなどがいる。
この年はブルームは上記のタイトルに加えて最高出塁率も獲得。


各指標は前年に比べて見劣りするが、この年の近鉄は
この年以降台頭する土井正博がようやく成績が主力級に、
前年も活躍した小玉、関根に加えて移籍組の山本八郎が大活躍しチーム得点がリーグ3位
投手陣も徳久、久保の健闘もあり順位は4位。勝率は5割を超え希望の年となり
ブルームはそれに大きく貢献したといえるだろう。

これ以降のブルームは1964年に打率が3割を切ってしまいチームも再び最下位になると
近鉄が阪急からバルボンを獲得したために自由契約に。

それでも鶴岡一人の率いる南海ホークスに入団し
1965年は試合数が少ないものの打率.309 9HRと活躍し
チームの優勝に貢献。開幕戦ではブルーム、野村、ハドリの中軸を形成していた。
この年は野村が戦後初の三冠王を獲得したが、その野村克也に内角打ちを
伝授した結果であると言われている。

1966年になるとまた売りである打率が.3割を切ってしまい

打率 .294 6HR 33打点
二塁手で34歳という年齢を考えると十分な打撃力と言えるが
この年のオフにドン・ブレイザーを南海が獲得したためにブルームは退団。
そのまま引退してアメリカに帰国し、MLBでスカウトやコーチとして活躍したという。


打率の低迷が原因で近鉄と何回を去ったブルームだったが
本塁打の少ない割に打点が50を突破することがあった。
通算の出塁率が.377 通算長打率も.472と現代の指標でみると
毎年安定した成績を上げていたと好意的な評価を上げることができる。

守備に関しては毎年の守備率が.965周辺と安定感があるかは断定しかねるが
当時の道具の質、グラウンドの状況、他球団の正二塁手との守備率での比較をすると
平均的なものはあったのではないかと推測できるし
打撃面を考えると十分二塁手として運用できる優秀な選手だったといえるだろう。

また先ほどの野村に内角打ち伝授だけでなく、張本勲にも外角打ちの極意、
セーフティバントのコツも教えたなどのエピソードもあり
当時のNPBでは高い能力と技術を兼備していた選手と認知されていた。

千葉茂は後にブルームをセコイ田舎者的な発言をしたようだが、

最弱球団で少なくとも結果を出したのだから

当時の日本に野球で稼ぎに来た外国人選手に対して如何なことと思う。

最近はブルームと同時期に活躍していた
バッキー(阪神)、スタンカ(南海)などのOBが
この世を去ってしまうニュースが入ってくる中
いまでもご存命らしいので、是非とも長生きしてほしいと思う。

 

 

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