1970(昭和45)年10月7日はロッテオリオンズがパ・リーグを制した日です。

前年(1969年)の同じ日、球界に激震がおそった。
「黒い霧事件」である。

西鉄の永易投手が公式戦で敗退行為をしたと報じられ、
西鉄ライオンズは崩壊し、近鉄、東映も西鉄ほどでもないが
選手や関係者が黒い霧に呑まれていった。

そんな中、1970年のロッテオリオンズの戦力は変わらず、
投手陣は、成田 25勝8敗、木樽 21勝10敗、小山16勝11敗と安定した活躍
完投試合が59試合もあった。
打撃陣はアルトマン .319 30本塁打、ロペス .313 21本塁打
有藤が.306 25本塁打と負けずに活躍し、バランスが取れてチーム力だった。

20本塁打以上打った打者が5人と、1960年の大毎ミサイル打線を彷彿させた。
オーナーの永田雅一はプロ野球史のなかで一番個性的なオーナーのひとりだ。
大映の社長で野球好き。野球と映画のために命を賭けた男だったかもしれない。

 


パ・リーグ総裁も務めた永田雅一


この頃、映画産業が斜陽になっていき、永田の大映も危ない状態だったが、
ネーミングライツでロッテの名前で球団運営していたが、
中身は永田の球団だった。そして、球団を持つのが大変な時期に
自前の「東京球場」で優勝したので、喜びはひとしお。
優勝した瞬間はファンがグランドになだれ込み、農人監督より先に
永田オーナーが宙を舞った。

「10年ぶりかあ。長かったなあ。やっと夢が叶った。
   下町の皆さんとこうして喜びを分かち合える。
         続けてきて良かった。本当に良かった。」

永田はしみじみ語ったが、翌年1月25日、球団経営権をロッテに譲渡し
野球界から離れていった。

 

 

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