2019年 9月14日に亡くなられたジーン・バッキーさんの

引退のきっかけとなった大きな事件が

1968(昭和43)年9月18日の阪神-巨人戦だ。

 

2位の阪神タイガースは巨人にゲーム差まで迫り、

1964年以来の優勝も見えてきた時だった。

この日から甲子園球場で巨人を迎えての4連戦は

阪神も巨人もペナントレースを左右する大きな試合だ。

 

17日野田1戦は若きエース江夏豊投手が354奪三振を王貞治から奪い

1対0の完封勝ちで1ゲーム差まで迫った。

翌日はダブルヘッターで1試合目は

ミスタータイガース村山実投手が5安打完封で阪神は巨人と並び

同率首位となった。

 

 

第2試合の先発はジーン・バッキー投手が先発。

先の2人の投手の活躍にバッキー投手も燃えていたに違いない。

1回表一死から巨人高田繁が打った普通のサードゴロを

小玉明利内野手がトンネル!

これで、バッキーは気持ちが高ぶったのか?

3番王に死球、4番長嶋茂雄、5番末次民夫に連続四球で押し出しで1点を与えた。

 

また、4回2死から小玉が凡ゴロをトンネル。

そこから連打を浴び5点失い、二死2塁で王の登場。

バッキーは初級を王の顔面すれすれのボールを投げ

「危ないじゃないか!」と抗議をする。

1回に死球を食らった王にしては、ビーンボールまがいの投球に

辻佳紀捕手にも注意した。

 

しかし、2球目にも膝元を狙ったような投球。

さすがにマウンドに王はバットを持って駆け寄り

「危ない球を投げるなよ」と注意したが、バッキーは

「サイン通りでわざとじゃない」と弁明して、

とりあえず王は矛を収めたが、王より怒り狂ったのは

巨人ベンチで、巨人の選手たちマウンドに向かい飛び出した!

そして、阪神ベンチも飛び出し、大乱闘となった。

 

巨人の千田啓介内野手バッキーに体当たりし、

次に、荒川博コーチが「わが弟子のピンチ」に血相を変え

思い切りバッキーと太ももを蹴飛ばし、

バッキーも荒川コーチの顔面にパンチをお見舞いと

いつまでも乱闘が続く勢いだった。

 

結局、バッキー投手と荒川コーチが退場処分となったが

甲子園球場は異常な雰囲気となり、

急遽、リリーフに立った権藤正利投手は3球目を

王の頭部に直撃してしまい、その場に王は崩れ落ち

意識不明の状態で短歌で運び出された。

そして、また大乱闘が始まった。

 

試合再開後、4番長嶋は「王の仇」という思いで

権藤から35号本塁打を打ち、乱闘の4回は

巨人が7点を入れて試合を決めた。

 

 

退場したバッキー投手はこの試合で大きな代償があった。

荒川コーチを殴った際に右手親指を複雑骨折し、

その後のシーズンを棒に振り、阪神もエース級の先発が抜け、

残りゲームを7勝8敗.467と負け越し、

一方巨人は16勝7敗.696と貯金を殖やし、ペナントを制した。

 

バッキーは乱闘の怪我により、翌年近鉄に移籍し再起をはかったが、

0勝7敗と勝てずに引退。

100勝80敗の通算成績で日本を去ったのだった。

 

*********************************

野球雲チャンネルやっています!(Youtube)

 

野球雲はいつも古い野球とその周辺文化について書いています。
取材の裏話、泣く泣くカットした話、貴重な資料……
さらにディープな野球劇場はこちら↓
野球雲無料オンラインマガジン

 

 

データ協力 日本プロ野球記録

データ協力 たばともクラシックSTATS鑑賞

データ協力篠浦 孝氏