1月9日は
大正時代最高の野球選手の一人、
新田恭一氏の命日です【1986年 享年87歳】。


松竹ロビンスコーチ時代(古書ビブリオ提供)

野球とゴルフ両方の世界で、当時としては最先端の技術を
新田理論として確立し、後年は指導者としても活躍した。

大正時代は慶應義塾大学野球部に所属し、
球界の麒麟児、万能選手と賞賛され、六大学野球では
審判としても活躍、戦後は松竹ロビンスで、
小鶴誠をホームラン打者に育てた。

ゴルフ界でも日本では先駆者の上、理論派として技術を研究し
日本のゴルフ界に影響を与えたが、選手が故障してしまうということで
正統派の理論としては、野球もゴルフも広がっていかなかった。

しかし、大正時代の野球人としての活躍、
指導者としても経験と才能で研究した技術論など
球界に与えた功績は大きいのに、野球殿堂入りはしていない。

晩年は横浜の団地で一人暮らしだったそうだが、
先日、閉館した船橋市の「吉澤野球博物館」には
最晩年の新田恭一のインタビューテープが残っている。
非公開のままだが、当時の様子を館長は
「非常に腰が低く、丁寧にお話ししてくださり優しい方でした。」と
新田恭一の人柄を語っていた。

もうそろそろ、新田恭一を再評価してもいいのではないでしょうか?
もっと語っていかなくてはいけない野球人の一人です。






大正11年 三田クラブが9-3でメジャーリーグ選抜チームに勝った試合の写真
奥のバットを持っているのが新田恭一。

 

 

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