2019年のプロ野球が終わりました。
思っていた以上に頑張った球団や選手、
もしくはその反対の球団や選手。
好きだから好きなほど、熱狂したり、落ち込んだりのシーズンでした。
野球雲的にも、2019年はだいぶ楽しみました。
小さな記録、大記録・・・、これから検証していく予定です。
唐突ですが、今から100年前の1919年の野球はどうなんだっけ?と
あらためて考えてみます。
1919年が終わり、100年前をあらたに確認。
野球雲っぽいと思っています。
1919年は大正8年。
第一次世界大戦も終わり、アメリカが世界でナンバーワンになり、
狂乱の1920年代へ突入していきます。
ロシアはソ連になり、社会のバランスが変わっていきます。
日本ではプロ野球がまだなく、
第5回全国中等学校優勝大会が鳴尾球場で開催され
14校が出場、神戸一中が優勝しました。
まだ、甲子園球場はありませんでした。
当時の日本野球の頂点は
早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学の三大学に
1917年に法政大学が加入し、四大学野球リーグでした。
アメリカはMLBが野球の頂点でした。
(世界の野球の頂点でもあった)
そして、1919年のシーズンはボストンレッドソックス在籍の
ベーブ・ルースがいよいよ投手から外野手に転向し、
29本塁打、114打点でタイトルを獲得、ホームラン時代に入っていた。
1905年にデトロイト・タイガースに入団してから王様のような大打者
タイ・カッブが打率.384で12回目の首位打者を獲得、
これが最後の首位打者のタイトルだった。
ワシントンセネターズのウォルター・ジョンソン投手が防御率1.49でタイトル。
最多勝はシカゴホワイトソックスのエディー・シコット投手が29勝で獲得した
優勝はアメリカンリーグは大打者ジョー・ジャクソンのいるシカゴ・ホワイトソックス。
ナショナルリーグはシンシナチ・レッズの両球団がワールド・シリーズで対決したが、
そのワールドシリーズが、野球の存亡にかかわるような大スキャンダルになるとは
シーズンが始まった春には誰も思わなかったかもしれない。
ブラックソックス事件と言われた大スキャンダルは
MLB壊滅の危機を迎えましたが、
野球の神様はベーブ・ルースをニューヨークへ連れ出し、
大ホームラン時代に突入していきました。
つづく予定
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