今は無くなってしまった野球雑誌の一つに
「野球界」というのがありました。
歴史は古く1908年に創刊、1959年に休刊し
50年以上続いたもので、編集者のひとりに
ベースボールマガジン社創業者池田恒夫氏がいた。
その野球界1956(昭和31)年8月号に
大映スターズオーナーで大映社長の
永田雅一氏が新球場建設をぶち上げる記事が載っていた。
興味深い記事なのでご紹介します。
記事では永田雅一球場の候補地として
3か所の候補があったらしい。
①台東区 吉原
吉原のひょうたん池を整地すれば
プロ野球の球場を作るのも可能で、赤線も廃止になるので
浅草と娯楽とスポーツのメッカにしようという狙い
②新宿の夜の繁華街大久保付近
石油開発会社「帝石」のグランドを譲り受けて、
元ある、グラウンドを改良してプロ野球のスタジアムに改良する案。
当時の物価で4億円の予算で、周辺の買収、土地代、改良費を考えているようだが
それでは足りないのでは?との意見もあった。
③国会議事堂そば、麹町・平河町にある
米軍宿舎の跡地。
この当時は米軍のものだったが、近く返還されるので使用するという案。
赤坂見附駅と都電だけでは観衆を運ぶのは厳しいとの意見があった。
結局3つの案とも幻になったのは、ご存知の通り。
1957(昭和32)年に高橋ユニオンズと合併、
1958(昭和33)年に毎日オリオンズと合併と球場建設どころではなかったかもしれない。
結局、荒川区南千住に永田雅一氏は素晴らしい球場を建てたが、
もし、上記の3つの案のうち、どこかに決まっていた野球の歴史は
だいぶ変わっていたかもしれない。
今では歴史になってしまった東京スタジアムを
1962(昭和37)年に建設するまでには紆余曲折があった。
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