プロ野球はセパ交流戦に突入し、野球ファンとしては

ますます暑い季節になって行きます。

 

以前、野球関連書で

「大リーグ生活50年 コニーマック自伝」を読みました。

 

 

1901年から1950年の50年間

フィラデルフィア・アスレチックスの監督でありオーナーであった

コニー・マックの回顧録です。

50年間監督をやり続けただけでも凄いですが、

同一球団で50年間勤めていたということも

現在の野球界では日米ともまずありえないことでしょう。

 


幕張湾岸野球部-マクハリドットTVのDUG OUTからの別冊野球情報 

 

コニー・マックは1934年のベーブ・ルースが来日した

全米選抜チームの総監督として来日し、

日本での野球熱狂に感激した様子です。

 

 

監督生活の50年間スーツ姿で指揮をとっていた

ある意味個性的、かつ頑固な人かもしれません。

 


右がコニー・マック

 

その本に、さりげなく「野球ファン」の語源が書いてありました。

 

 

野球が大好きな人たちを19世紀は「野球狂信者」と呼ばれていた。

(本の中ではもっと危ない言葉で表現されていた)

野球を見ることに熱中している人たちは、屋根のない

観客席で見ているわけですが、日差しもきつく、とても暑いので

被っている帽子や扇子をパタパタ振りはじめ

その様子を見て

扇子の意味の「FAN」のようだ。と呼ばれるようになったと

コニーマックは書いています。


 

~ファンという言葉が野球から出たかどうか

よくわかりませんが、娯楽の殿堂国アメリカのベースボールが

発祥というのは、納得いく話しです。

 

3,731勝3,948敗 (勝敗数とも世界記録) という凄い数字を残し、

1956年93歳で死去。

 

150年以上続く野球の歴史の中で

現役生活を入れて70年間プロの世界に係わった人物は

コニーマックだけかもしれません。

 

かなり羨ましい人生です。

 

 

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