背番号への愛着 竹中半平著

 

 

野球は数字のスポーツだと言うことを聞いたときがある。

 

打率、本塁打、勝利数、防御率などの古くから知られている記録や

新しい記録の見方でセイバーといわれているTB、RC27とか積み上げた数字で

過去の選手と今の選手を比較したり、討論できる。

 

他のスポーツは詳しくないので、数字をどう語るのか?

と言うことはわからないが少なくとも野球は数字でバトルも出来るスポーツでもある。

そんな野球の数字で一番親しみを感じるのは「背番号」だ。

 

背番号の歴史は1929年にニューヨーク・ヤンキースが実施したものだ。

背番号のないユニフォーム姿は今では全く想像できない妙な感じだが、

それ以前は背番号がなかったのだ。

 

背番号のない時代の野球場では選手を認識できるほどの広さの球場だったのだろう。

それが、ベーブ・ルースのいた大きなヤンキースタジアムの二階席では

ルース、ゲーリッグはともかく他の選手の判別はしにくかったので

「サービス」としてつけたに違いない。

 

観客のことを考えると自然な発想だと思うが、

人に数字をつけると言う考えはかなり抵抗があったと聞く。

それでもやはり背番号があって初めて野球のユニフォームが成り立つような気がする。

 

 

背番号の考え方は日米で若干違う。

永久欠番の多いアメリカでは大きな実績を上げた選手を永遠にたたえるために欠番にする。

しかし、日本では背番号を引き継ぐものと言う感覚がある。

エースナンバー、守備ナンバーなど高校野球の延長上に

プロの背番号の考え方があると思うので、若い番号に魅力やプレッシャーを感じるようだ。

 

 

日本ではプロ野球以外は戦後に背番号をつけたようなので、

戦前は背番号のあるユニフォームはプロ野球(当時は職業野球)の選手だ。

 

今回取り上げる「背番号への愛着」は背番号を語った最初に近い評論かもしれない。

作者の竹中半平は戦前からプロ野球を見ていて、

それは愛情を持って辛口に選手達を評論している。

作者はどんな方だろう?名前からして時代小説家かしら?なんて思っていたが、

イラストレーターで作家の綱島利友さんによると大井町のお医者さんで

ベースボールマガジンに投稿をしていたきっかけから評論家になり、

1950年代はだいぶ健筆をふるっていたらしい。

 

背番号の奥深さを知る。

 

プロ野球草創期からセ・パ両リーグに分かれるくらいまでの時代の選手を

背番号を通して説明してくれる。

 

澤村栄治、スタルヒン、川上哲治から

今では全く語られない選手達も作者の主観で解説してる。

その主観が誠に面白く、背番号ごとに読んで楽しんでいった。

 

背番号の持つパワーと言うか魔力と言う感覚も感じられる。

当時としては大きい背番号を解説する章では「30」を解説、

50年代までは「30」は監督の背番号であるのは有名で、

今でも少年(学童)野球の監督の背番号は「30」というのも

戦前からの変わっていないことを再確認させてくれる。

 

 

忘れ得ぬ背番号27

背番号「27」は捕手の番号といわれている。

森昌彦、古田敦也、伊東勤・・・。

しかし、この本では最初にイーグルスの一塁手中河美芳をあげている。

 

イーグルスはとても弱いチームであったものの、

後楽園で自発的に応援団が出来た最初のチームで

その中で一番人気が中河であった。投手もやったが、

彼の一塁の守備見たさに観客が詰め掛けたという。

投手としての才能より彼の人気と一塁の守備の価値で

毎試合出られる一塁に専念した。

柔軟な動きと吸い付くようなミット捌きから「蛸足」といわれた。

 

そして、吉原正喜捕手。巨人に昭和13年に入団、

その時同時に川上哲治も入団。川上は吉原のおまけとして入団したといわれている。

彼はプロ野球最初の動きのある捕手でファイターだった。

ファールを追っかけてボールをつかみながらダッグアウトの壁に頭をぶつけ、

血を流しながらも取にいくプレーは有名だ。

 

三人目は阪急の新富卯三郎内野手。

巨人の草創期全日本軍に入り、アメリカ遠征に三塁手として参加し

その後軍隊に召集、昭和一四年から阪急に入団、

昭和16年に再び召集されるまで四番を打った強打者だ。

その三人とも太平洋戦争で亡くなった。

 

 

三人を27番三人男と呼び「忘れ得ぬ背番号」として解説している。

それが長い歴史の中で吉原をきっかけに名捕手が引き継ぎ、

今は捕手の背番号として見られている。

この本はプロ野球が出来て25年位までの話しなので、

平成の世では完全に忘れられた選手を見てきた話しに興味が注がれる。

さきの新富卯三郎の話など、この本を読まなければ意識しなかっただろう。

 

単純に守備位置や阪神のように「いろは順」に背番号を決めていた時代から、

代々選手が付けていくことにより、背番号の重さや性格が見えてくる。

そして戦前の選手の躍動感が背番号を通すことでより躍動感が伝わってくる。

 

他にも愛情ある辛口な選手評を背番号を通じて教えてくれる。中には

 

イーグルスの22番大下政文だ。中河と同じ鳥取一中の出身。

・・・きわめて大人しい選手だったし、打てない点で定評があった。

・・・・ただ糞真面目に、腰を落として守る当時の姿がはっきり浮かぶだけで、

口にも筆にも、それを表現できないのがもどかしい、好ましい感じのする一人であった。

 

と辛口ながら何とか評価をしようとする筆者の評論姿勢に好感が持てる。

昭和の野球評論本でも良い意味で主観的に書かれているのが今の時代には新鮮に感じる。

 

戦前に活躍した選手が、今の時代お話を聞くことは困難だ。

そして、それ以降のエピソードを本人の口から

当時のお話を聞く機会は毎日毎日減っているのだ。

 

日本の野球界は自らの歴史に対してまだまだ大事にしていないことが多く、

戦前より昭和20年代から長嶋茂雄入団以前の記録などもどうなるか不安視されている。

だからこそ、戦前や一リーグ時代の選手の思い出を

観客席から見ていた記録はとても重要だと思う。

 

「背番号への愛着」は一度絶版になってしまったものの、

ファンの手で版元を変えて再販されたと聞く。

確かにそのようなパワーを感じる日本プロ野球の歴史を語る書のひとつだ。

野球の歴史が好きなものとしては伝えなくてはいけない野球文化はたくさんあると思うが、

数字の記録だけでなく、文章としての記録を

もっと伝えなくてはいけないと思わせてくれる貴重な書籍だ。

 

 

 

 

(野球雲5号で発表した記事に加筆したものです)

 

 

野球雲はいつも古い野球とその周辺文化について書いています。
取材の裏話、泣く泣くカットした話、貴重な資料……
さらにディープな野球劇場はこちら↓
野球雲無料オンラインマガジン