先日のエントリーで
牧 哲夫さんが『永久欠番のなぞ』ということで
黒澤俊夫と澤村栄治ではじまる永久欠番の歴史の序章を
書いていただきました。

そこで、野球雲としても
永久欠番のことを考えてみました。

長嶋茂雄引退の年から急激に野球を知るようになったが、
球場に行くことがなかなか出来ず、
もっと野球を知るには漫画(コミック)が教科書だった。

当時のスポーツ漫画といえば『野球』が王道だったので
必然的に読み出した。

リアルに読んでいたのは「侍ジャイアンツ」
主人公『番場 蛮』がつけていた背番号は「4」
巨人軍の永久欠番だ。




(侍ジャイアンツBlue Ray BOXより)


実際に背番号4をつけていたのは
戦中、戦後(昭和19年から昭和22年)巨人でクリーンナップを打っていた
黒澤俊夫外野手のものだ。


(名古屋金鯱時代 歴代名選手名鑑 恒文社刊 引用)

黒澤俊夫は1936年名古屋金鯱に入団、
1941年に金鯱軍と翼軍が合併しそのまま大洋軍に在籍。
1944年に東京巨人軍にトレード、
戦前最後のシーズンの1944年(昭和19年)に.
打撃成績2位の348を打ち、終戦。

1944年から1947年のたった3シーズンだったが
主軸のいない巨人で活躍したものの
昭和22年6月23日に腸チフスで急死。
プロ野球成績8シーズンで459安打、.259を打った。

現役選手での病死という衝撃に、チームメイトが
永久欠番を球団に要望し、それを認めたものだ。

侍ジャイアンツでは、番場 蛮が
「武士道とは死ぬことと見つけたり」という武士道精神を元に
背番号4をつける展開で、その番号が永久欠番で
黒澤俊夫という選手を知り、亡くなっていることも知った。
ただ、風貌からすると番場 蛮の先輩
八幡太郎平に似ている・・・。

野球の歴史を知ることはとても良いことだったが、
子供ながらに4という数字と『死』がリンクする瞬間だった。
同時に澤村栄治の背番号14も末尾の4がそれを連想させたりもした。

今ではそうでもないが、背番号4の不吉なイメージは
黒澤俊夫もそうだが、やはり背番号4をつけていた
ヤンキースのルー・ゲーリックの死も含めて
繋がってしまったのは否めなかった。

しかし、言葉の音感を考えると
背番号4の静かさは日本独特のものだと思う。
番場 蛮の背番号が4ではなく澤村栄治の14だったら、
川上哲治の16だたっら
また違ったイメージを持ったと思う。

しかし、巨人の星の「星 飛雄馬」が16、
ちかいの魔球の「二宮 光」が14をつけていたから
番場 蛮に「4」を付けさせるには、
破天荒で死の雰囲気を持たせるしかないのかもしれない。

本当はどうだかわからないけど、
黒澤俊夫外野手と永久欠番という選手の顕彰の制度を知ったので
イメージはともかく侍ジャイアンツには思い出がたっぷりだ。


野球漫画の主人公がどの背番号をつけていたのか?
調べて、考えてみると面白いかもしれません。


ちなみに永久欠番の選手で、野球殿堂入りしていないのは
黒澤 俊夫選手と中日の背番号「10」服部 受弘選手のふたりです。






侍ジャイアンツ Blu-ray BOX/エイベックス・ピクチャーズ

¥40,937
Amazon.co.jp