『あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処で待つてゐなくてはならない』
中原中也の『言葉なき歌』にある。
待つべきか、それとも急ぐべきかは、相当な実行力が必要である。経験をつめば、ある程度の感覚、コツ、勘がつかめるようになる。
だが、実はそうした範囲内で可能なことはほんの僅かなことでしかなく、大抵はいくら経験を積んでもその決断が活かされないことばかりである。
そこで、人は運というものを持ち出す。たまたま、偶然に、思いがけなく手に入れたり、失ったりする。それに嵌ってしまえば賭事に人生の大半を費やしたりすることもある。
経験という自然と積み上がっていくものではなく、日々意識しながら自分の中で醸成していくものを大切にしたい。例えば、中也の『待つ』である。
この詩の続きには次のような言葉がある。
『決して急いではならない 此処で待つてゐなければならない 処女の眼のやうに遥かを見遣つてはならない たしかに此処で待つてゐればよい』
『ならない』から『いればよい』に変化しているところに注目する。最初は意識して自分を抑制しているが、そのうち、そうしているうちに確実によくなるという確信が生まれる。
だが、最後の箇所は、結局は依然として変わらないままだということである。つまり、現状を変えたくなければ待つ。変えたいのであれば急ぐべきなのである。
急いだり、待ってみたりしながら、どちらに進んでも大丈夫な自分を確実に築き上げていく。経験でも、コツでも、感覚でもない、どちらに進んでも間違いのないという自信を築き上げていくことが肝要である。
今の所、急いでも待ってもない、フラフラと酔っているような人生を送っている人間の言うことではないが。