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~さがしつづける旅路~

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2012.5.21 父が他界しました。

自殺でした。

父を亡くした私の心の整理のために書いてます。

苦手な人は読まないでくださいm(_ _ )m

(時間が経過してしまったので今後はリンク貼ります→→ 前回 )



愛のない曾祖母と厳しい祖父のもとで

寂しく孤独に育った父


孤独と引き換えにたくさんの知識と能力を得た父は

機械商社に入社し華が開いた。


そして


たくさんの愛情に受け

強く優しく育った母に惹かれ求愛した。


同族会社で病気になった祖父のかわりに会社をきりもみしていた母

家のためにも結婚するのがなかなか憚られたが

母は父との間に子を授かり

家業から離れ結婚することになった。


そう


その母が授かった子というのが




私である。



母のたくさんの弟妹と親戚の中で初の孫世代の誕生。


私は赤ん坊のころからどこに行っても可愛がられた。




母は皆から祝福され


女として


母としての幸せを


一身に感じる日々を過ごすことになった



当然、父の喜びも大きかった


自分が望んでも望んでも手に入らなかった肉親への愛情


父は我が子に全ての愛を注ぎ


時に優しく


時に厳しく



私を育てた。



父は仕事では厳しい人だが

家ではとても子煩悩な父親だった


私はたくさん可愛がられ、たくさん叱られた




こうしてウチの家庭は始まり


家族として歩んでいくことになった



今から思うと皆が一番幸せだったころかも知れない・・・。

こんばんわ 放浪者です


心の整理のために書きますと

言いながら始めたこのブログ。。。。


しばらく放置でしたが明日から再開したいと思います


でも以前のように心がすさんだ状態ではありませんので

過度な心配は無用です


心の傷が完全に癒えたというわけではありませんが

ながながと落ち込んで無気力になってる暇はないので

腹の底に力を入れ、なんとか気合で精力的に振舞っております



それでも器の小さい私は何かの拍子に我慢できなくなり

なうで毒吐いてしまうことが時々ありました

御心配をおかけして申し訳ありませんm(_ _ )m


しかし

その度に友に励まされて暖かい言葉を頂き

大変嬉しく思うと同時に

もう一度前向く力を与えてもらっております


この場を借りてお礼を申し上げます


家族も関係してくるし生活もかかっているため

私はリアルで弱音を吐くことができません


ここで吐き出すことによって

ガス抜きをしているところも正直あります


こんな面倒くさい私ですが

これからもよろしくお願いいたしますm(_ _ )m


仕事は以前にも増して忙しくなっておりますが

少しずつ少しずつ続きを書いていきたいと思っております


尚、このIDはメインではないので

コメントやメッセの通知は一切受け取れないようになってますので

承認や返信が遅くなることはどうか御理解くださいね(*・ω・)*_ _))ペコリン


それでは、皆様

よろしくお願いいたしますm(_ _ )m


では、また

御無沙汰しております


ここ3ヶ月の間は何事もなかったとはいきませんでしたが

お陰さまで比較的に心穏やかに過ごせるようになったかと思います


あんなことがあったというのに

どこか他人事のような・・・。


不思議な感覚で過ごしておりました



我が社の社長の病気も父が亡くなった頃のように

全く身体が動かない状態からは既に回復し

以前のようにはいかないまでも

日常生活で困ることないレベルに達しました


仕事にも復帰しております




すべては平常通りに動いていた



そう


私の心の中のかすかな違和感をのぞいては・・・。



人間というのは環境に馴れるものだとつくづく感じます



自分と周りが平常通りに忙しく動き出すと


まるで


何事もなかったように悲しさを感じなくなる


未だに明快な答えを得たわけではないのに・・・


どんどん苦悩しなくなっていく



私は「強い」のだろうか

いや、ただの「阿呆」なのだろう


そう思ってしまうのがまた可笑しいw




先月の終わりに父の恋人や友人たちに逢い

その後の話や最後の近況などを聞き

さらなる真実が発覚したけど・・・


私の心はそれに耐え

息子の笑顔が癒してくれた


そして

ごくごく最近の話になるが


久しく逢っていない友人に逢って喜んだり

家族や親戚と楽しい時間を過ごせるようになってきた


ダイエットも順調に進んでいたし


気温も過ごしやすくなり

心穏やかに過ごせるようになった


心の中の違和感は潜在意識の奥に隠れ

よく笑うようになった



そんな話をしていたのが

つい先週末の話。。。。。



神様も意地が悪い



連休中も溜まっている仕事を消化するために

会社でひっそりと独りで仕事していた


上の妹からメールが入る


「大事な話があるので時間作ってください」


内容を伏せて話がある、なんて嫌な予感しかしない。。


気は乗らないけど夕方、喫茶店で二人で落ち合う




そこで・・・・



耐え難い現実を知ることになった




・・・・。



私は


その時、初めて・・・




母が乳癌だと知らされた





来週から抗がん剤治療に入り


4ヶ月後に状態をみてから手術だそうだ・・・・



上の妹は検査に行く前から母の相談に乗っていた

下の妹や叔母たち、社長は私より少し前に母から聞いたようだ




私は知らなかった・・・


毎日逢っていたのに・・・。



母は私に直接伝えることは避け

妹から伝えることにしたとのこと




私が14歳のときに父と母が離婚してより

母は女手一つで私たち3人の子を育ててくれた


やんちゃで生意気な子供だった私は

母にとても苦労をかけた


大人になったら母の面倒を見るのは自分だと思っていた


しかし


実際に大人になった私は一切親孝行することなく

自由に力いっぱい好きなことをしていた



結婚して自分の人生を振り返り

「自分探しの旅」を終えた私は

母の望み通り、母が経営する会社に入った



探すのをやめた時に見つかるというのは本当によくある話



私はここで天職をみつけ仕事に没頭した


しかし


リーマンショックから始まる世界同時不況のあおり受け

会社の経営が切迫してくると

会社の運営方針などでよく母とぶつかるようになった


こういう衝突が普通の親子の感覚ではいらなくなる原因にもなり

同族会社の欠点とも言えるだろう


最近は口を開くたびに口論になった



同じ会社で働く前は

母の相談にのるはいつも私の役目で

なんでも話し合える仲の良い親子であった


一緒に働くにいたって

「お母さん」と呼ぶのを辞め

他のひとと同じように「○○さん」と呼ぶようにした


相談役や話相手は私から上の妹へとシフトした



こうやって書いてても

いろいろな感情があふれてくる



連休があけ、今日は母と顔をあわせる



「どんな言葉をかけようか・・・」

「優しくしよう」



そう思いながら通勤した




今朝



母は何事もなく出社した



私もいつも通りに出社した




妹から話を聞いたことは母も知ってる


母はいつもとなんら変わることない様子だった


私はとくにかける言葉も思いつかず

普通通りに接した



唯一、病気のことに触れた会話は



休憩時間の雑談の中で

「帽子をずっとかぶってると禿げる」という話題になったとき

母はみずから髪の毛が抜ける話に触れたので


私はとっさに

「しまむらで可愛いニット帽をたくさん買っておいでよ」とだけ言った


母は照れくさそうに「そうだねぇ」「本当だねぇ」と言って笑った



母を愛しく思っても

どういう風に優しくしたらいいのかわからない息子がいた


我ながら情けない。。。。



この病気での生存確率は12人中5,6人だと言われたようだ


母は転移の可能性は低めだが進行が早いらしい



私はこの事実がまだ受け止めきれていない





治療は来週から始まる


今は治療に入る母の仕事を代わりにこなすことが必要



治療のフォローは妹たちに任せ


私は仕事のフォローをする




結局、私がすることと言えば


送り迎えでも


付き添いでもなく・・・仕事



とても腑に落ちない気持ちでいっぱいである