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~さがしつづける旅路~

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2012.5.21 父が他界しました。

自殺でした。

父を亡くした私の心の整理のために書いてます。

苦手な人は読まないでくださいm(_ _ )m


何不自由ない暮らしを過ごしていた

私たち3兄妹にもとにあの日がやってきた


ある夜

母は10歳の私に

「明日から学校が終わったら、家じゃなくて○○姉ちゃんの家に帰ってね」と告げた

母の妹(米屋を手伝ってた次女)が結婚し同じ学区内住んでいた


その時は母が仕事で忙しいため

しばらく帰りが遅いから叔母の家から学校に通うようにとのことだった


「○○姉ちゃんが待ってるから、学校が終わったら寄り道せずにまっすぐお姉ちゃんちに行くんだよ」と母に強く念を押されたのが少し不安だった



次の朝

私は朝早く仕度をして叔母の家に送られ

そこの町内の子供たちと学校に行った


そして放課後

母のいいつけ通り叔母の家に帰った


叔母の家には上の妹(4歳)と下の妹(1歳)と

叔母の長男で私にとって弟的名存在の従兄弟(2歳)が

にぎやかしく遊んでいて楽しく過ごしていた


皆、叔母には懐いていて

広くない家に子供たちが賑やかしく泊まってた



次の日も

私は叔母の家から学校に通った


前の日と同じようにまっすぐ叔母の家に帰り夕食あてがってもらい

お風呂を済ませ寝る時間になり布団に入っていると


母が叔母の家に入ってきた


「おかあさん、おかえり~~」2日ぶりに逢う母親に喜び詰め寄った

「妹たちはさっき寝たよ」と伝えると


母は深長な面持ちな面持ちで話し始めた



「あのね」

「今は時間がないから簡単に言うよ・・・後できちんと説明するからね」

「実はお父さんの会社がなくなって大変なことになってるの」

「しばらくお家に帰れないし、学校にも行けないから」

「今から家に必要な荷物を取りに行くよ」

「妹たちの物や着る物は私が準備するから」

「あなたはあなたの学校で必要なものや勉強道具をまとめるのよ」

「いい?できる?」

母は哀しげに聞いた


私は不安で怖くて仕方なかったが

いつもと違う母を想い

「僕はだいじょうぶだよ。おにいちゃんだからね。」と強がってみせた


すっかり暗くなった夜更け


私と母はこっそり家に帰った


母は家の辺りを見渡し慎重に確認してから車を家に近づけた





住み慣れた家に帰ったのに他人の家に足をいれたような感覚だった


荷物をまとめ始めながら


母にきいた



「またお家に帰ってこれる?」



。。。。。。



少しの静寂の後


母は重々しい口調で


「今はわからない・・・」と答えた



それ以上は聞けなかった



黙って荷物をまとめながら

私は何が起きてるのかわからなくて


不安で怖くなって震えた



準備をしている私の口が震えていることに

気がついた母は


「だいじょうぶよ」


「だいじょうぶだから忘れ物がないようにね」と

優しく微笑みながら言った







母と二人の妹と私の衣服を詰め込んだかばんたちを

車のトランクいっぱいに押込み

幼い妹達を後ろの座席に寝かせて家をでたのは深夜だった





そして母はそのまま高速道路にのり

東海地方を離れ、遠く北陸に住む友人の住む街まで夜通し運転した




私はその車中で

私たち家族に何が起きていたのかを聞いた



私が10歳。


母が36歳の初夏であった。



私は6歳下の妹が生まれるまでは一人っ子であった


父が独立し母が手伝うようになってからは

母の姉妹が留守番をしにきてくれたりしていた


小学校にあがってからは

俗に言う鍵っ子になり

誰もいない家に帰ることも珍しくなかった



小学一年生の時にインスタントラーメンを作ることを覚えた


ほんとうに時々であったが

母がどうしても帰れなくてお腹が減ったときは自分で作って食べていた


まだ1歳の妹は母の実家の米屋に預けられいて

母は仕事が終わると実家まで妹を迎えに行き

それから帰ってくるのだから仕方ない



しかし

寂しいと感じることはほとんどなかった


私は幼いながらも両親に愛されていたのはしっかり感じていたし

おそらく周りからも大切にされていたのを十二分に感じていたからだろう


休日には父が海水浴、キャンプ、遊園地、キャッチボール・・・etc と

様々な趣向凝らせ遊んでくれた


寝るときは母が本を読んでくれた


今、あらためて振り返ってみても

わたしは幸せな幼少を過ごしていたと思う


そして

上の妹が生まれて3年経ち9歳下の末妹が生まれた


産後の世話は大阪から父方の祖母が

しばらく家事をしに来てくれていた



3兄妹がそろって5人家族になって程なくして

母が仕事に復帰した後ころは

父だけでなく母も非常に多忙になってきていた



今、思えば

休みの日に家族そろって出かけることも少なかったと思う


何不自由なく暮らしていた私が知らないところで

事態は刻一刻と迫ってきていた



下の妹が1歳になってから一月が経過したころ




その日は突然やってきた



幸せというのは長くは続かないものなのだろうか・・・



手足をもがれ

収入もカットされた父は徐々に追い込まれていった


このままでは自分の家族も部下もいい暮らしはできない。。。



そして


父は一念発起し


長く勤めていた商社を辞め

独立して新しい機械商社として起業することを決心した


経理は生家で研鑽をつんだ母がすることとなった


保証人には祖父が入った




父の独立にあたって有能な若手が付き従った

そして

父のファンである多くのお客さんたちに支えられ


父の事業は成功していくのだった


大きな翼を広げて飛ぶ鳥のように

父は機械を売り、事業を拡大させていった


すべてが順調だった



サラリーマン時代は出張の度にお土産を買ってくる父のイメージはあったが

当時の私はまだ幼く、仕事というものが理解できてなかったため

父がサラリーマンだった記憶はうすい



どちらかと言うと「僕のお父さんは社長」のイメージの方が強い


私は父が大好きだったし

とても誇らしく思っていた