私が4歳になった頃
父は会社から歩いて5分の名古屋城の近くの借家を離れて
母の実家・米屋に近い郊外に一軒家を購入した
前回記事で書いたように
もともと人の訪問が多く交際費が逼迫してた我が家の家計ではあったが
父の勤めている社長夫婦が父のことを大事にしてくれており
「○○は若い社員をよくまとめてくれている」
「部下がついてまわればお金もかかるであろう」と
住宅手当や通勤手当といった名目で補助してくれていたのが随分助かったお陰でもあった
社長も歳が離れ自分で若手のフォローまでは行き届かないため
父が若い社員を教育していたのは助かっていたと思われる
そこに目をかけてくれていたのが会社の経理をしてた社長夫人だった
が。。。。
そんな環境も長くは続かなかった。。。。
家を購入して間もないときのこと
父の能力をかってずっと援助してくれていた社長夫人が急死してしまう
それにより会社の流れも大きく変わった
外交や事業展開は社長が行い、経理やお金の工面は社長夫人が行っていた・・・
つまり
かなり乱暴な言い方をすれば
「社長が会社のお金を使い道を決め、夫人がそのお金を(出す)用意する」という流れだったが
経理も社長がみるようなると以前のようにはいかない
というのも
世の旦那が意気揚々と高い買い物をする算段をたてたりすると
家計を預かる世の妻の顔が歪む時があるが、それによく似ている
社長も家計を預かっていないため、格好つけれるし大きなことができていたのだ
実際の預貯金をみて出費を気にするようになり
思い切った経営はできなくなり
守りの経営に入り
経費の削減に乗り出した
時代は高度成長の真っ只中
会社事態も営業成績を上げて事業拡大していた真っ最中だったのだが・・・
このタイミングでの厳しい経費の削減は会社の成長を止める方に働いた
商社にとっても人件費は最大の経費
しかし、そこを圧迫しすぎてしまい
父と母がやっとの想いで育てた若手の営業社員らが退社していく事態に発展した
人員削減すれば後を追って売上が減少する
父は社長に異を唱えたが理解されることはなかった
父は今まで以上に頑張って営業した
自分が売上をあげれば部下が守られる
そういう責任感が成果につながった
しかし
若手の人材流出は止まらない
社長が夫人がなくなり、部下たちの世話代の代わりとして水増しされてた手当てがカットされ
家のローンも加算されてた我が家は郊外ということもあり、すでに皆の溜まり場ではなくなっていた
新しい社員は辞め
私たち家族が名古屋城の近くで住み
我が家が溜まり場だったときにいた社員の多くはのこった
社長は夫人を亡くしてから営業へ注力できなくなり
会社の営業成績は父の肩にかかっていた
父は部下たちを守るため懸命に働いた
が。。。。。
社員がやめ売上が落ちてきた会社の台所を目の当たりにしている社長は
今度は父の営業経費にも厳しく精査するようになった
当時はまだバブルがくる少し前
接待は当たり前のように横行し
たくさんの会社が沢山の経費を夜の街に落としていた
人をもてなしたり楽しませたりすることに関して
類まれなる才能を持った父の得意分野でもあった
とうとう父は自分の営業も思うようにできない状態に追い込まれて行く