David Kinsleyの本の"Typical Literary and Iconographic Contexts" を「マハーヴィディヤーの文献的あるいは図象学的な諸事情」として訳してます。第4回です。
前回から、図象学的事情です。
ーーー以下、訳文ーーー
他の場合には、マハーヴィディヤーに属さない女神に捧げられた寺院にマハーヴィディヤーたちが描かれている。
Himachal PradeshのBilaspur地区にあるナイナ・デーヴィー寺院の門柱には、マハーヴィディヤーの像が彫刻されている。
Himachal PradeshのDharmsala郊外のSiddhapurにあるカライー・デーヴィー・マーターに捧げられた寺院の内壁にも、マハーヴィディヤーたちが見られる。カライー・デーヴィーは、地方神であり、彼女の寺院は、会社ビルの女神による保護を求めるトラック運送業者たちによって建てられたものである。
Dharamsala から15キロの所に位置するチャームンダー・デーヴィー寺院には、中央の礼拝堂の内壁にマハーヴィディヤーたちが描かれている。マハーヴィディヤーたちを記述した有名なテキストであるシャークタ・プラモーダに従って描かれたと記銘されている。私が、寺院にマハーヴィディヤーたちがl描かれている理由を尋ねたところ、聖職者は、チャームンダー・デーヴィーはマハーヴィディヤーの長であるカーリーの一形態であるから、と答えた。つまり、彼の精神においては、この寺院は、マハーヴィディヤーの一柱に捧げられた寺院において、マハーヴィディヤーがグループとして現れたタイプの一例であったのである。しかしながら、ヒンドゥー教のテキストにおいては、ほとんどいつもチャームンダー・デーヴィーをカーリーから区別し、ニ柱は外観において異なっている。
ーーー以上、訳文ーーー
Kinsley氏は、チャームンダーとカーリーを区別するテキストの多さを述べているが、下記のようにデーヴィー・マーハートミャでは、チャンディカー(ドゥルガー)がカーリーに「チャンダとムンダを私のところに連れて来たから、あなたは、おお女神よ、チャームンダーの名で有名になるだろう。」と言っているので、チャームンダー・デーヴィーをカーリーの一形態と言うのありうるのではないだろうか?と思うのだが。
尚、本文中のナイナ・デーヴィー寺院とチャームンダー・デーヴィー寺院の映像を下記に載せました。
YouTubeには他にもあるので、探してみて下さい。
ということで次回に続く。