私は大学生の頃、アルバイトに明け暮れ、単位が取れる最低限の出席日数しか大学へは行っていませんでした。

その頃、世間はバブルの真っ只中で、私も学生ながらにワンルームマンションに一人暮らしをし、尚且つ真紅のアルファロメオ75ツインスパークという新車のイタリアンスポーツセダンを買って多額のローンもある上に、ガソリン代だけでも月に5万円くらい使っていた(それでも何とかなるもんだね!)ので、とてもじゃ無いけど学校へ行ってる暇など無かった訳です。

 

しかも、あと何日休んでも単位を落とさないか先生に直談判で尋ね、スレスレの出席日数で単位を取ろうとする始末でしたし、先生も生真面目に出席簿を繰って「あと●日」なんて答えてくれたりしていました。(生徒も生徒なら先生も先生ですね)

 

そんな訳で、出席数はギリギリ、試験直前までノートはなしみたいな状態で、もし友人の助けが無かったら間違いなく5年生になっていたはずです。

その中でもドイツ語は4回生まで単位を落とし続け、ホントに危なかった!

 

そんな綱渡りのような大学生活が、どうやら相当なトラウマになってしまったみたいで、30年近く経った今でもその頃の試験と単位にまつわる夢を見るんです。

 

夢で、私は学校に全然行かずに毎日を過ごしていて、ハッと気がついたらもう4回生の期末試験の直前なんですね。そして、そういえば試験の日程も試験会場の場所すら全然何も分からない!ノートもない!もう駄目だ!!留年だ--!どうしよう!!!、、、と言うところでいつも目が覚めて、あぁオレは無事卒業出来たんだった。もうその事で心配しなくてもいいんだ。あぁ良かった。といった塩梅です。

 

ところで、私は、中学生くらいの頃から勉強が嫌いでした。

英語の勉強をしたところで、英語が喋れるようにはならない事は明らかだったし、そもそも英語が喋れない先生が、何故英語を教えているのか、強い不信感がありました。

数学は難解な公式を苦労して覚えても、日常で役立つような事はまずないし、何に使うものなのかも全く授業では教えてくれなかったですよね?

漢文や古文なんて中国の歴史や万葉集なんかに興味のあるマニアの人がやりたきゃやればいいんじゃないの?くらいに思っていましたし、日本史は、戦国武将が血で血を洗う戦を繰り広げたり、激しい政争で権力争いを命懸けでしていたはずなのに、そんなドラマはさらっと一瞬で流され、それよりも年号などの丸暗記に重きが置かれていて全くもってやってられない、と言った具合に全然気持ちが勉強の方には向きませんでした。

 

そう言った意味では、今はとてもいいです。

自分の興味のある事や必要な事をチョイスして、大抵は自分のペースで勉強が出来、楽しいなぁと思える事の方が多いですからね。

 

私の親父は商売人で、母は経済学部を出ていたから、私も何となくその流れで文系の中からつぶしが効く経営学部を選びました。

その後、色々な出来事を経て起業してからは、経営学部で学んだ事が少しは仕事に役に立った事は完全否定はしないけれど、なんか納得していない所が今もあります。

もう少し先になるでしょうが、チャンスがあれば再び、今度は自分自身が本当に心酔出来るジャンルで2度目の大学へ行きたいとも思っています。

 

その時に入りたい学部は、天文学か物理学、あと比較宗教学なんかもいいなぁと思っています。(私は科学は信じているが、狭義の意味では神も仏も信じてはいない)

なぜ、そう言う考えに帰結するのかと言う話や、生と死についての考え事を気が向けば書いてみるのもいいなぁと思っていますが、長くなるので今日はこのへんで終わりにします。