製作年度:2019

製作国:アメリカ

監督:グレタ・ガーウィグ

出演:シアーシャ・ローナン、エマ・ワトソン、フローレンス・ピュー、エリザ・スカンレン、ローラ・ダーン、ティモシー・シャラメ

 

 しっかり者の長女メグ(エマ・ワトソン)、アクティブな次女ジョー(シアーシャ・ローナン)、ピアニストの三女ベス(エリザ・スカンレン)、人懐っこくて頑固な四女エイミー(フローレンス・ピュー)、愛情に満ちた母親(ローラ・ダーン)らマーチ一家の中で、ジョーは女性というだけで仕事や人生を自由に選べないことに疑問を抱く。ジョーは幼なじみのローリー(ティモシー・シャラメ)からの求婚を断って、作家を目指す。(シネマトゥデイ)

 

 久々に映画館へ行きました笑。二月に「犬鳴村」を見て以来、であります笑。この映画は本来日本での公開が確か三月頃だったと思いますが、コロナの影響で延期になっていたんですよね。それ以降映画館も休業だったりでなかなか行けませんでしたけども、先日自分も映画館通いを復活させました笑。でも、この映画を見た時、それほど客がいなかったので、もう既に「ソーシャル・ディスタンス」状態でしたけどね笑。感染の心配はないだろうと思いますが笑。さて、これは「若草物語」をまた現代で新たに映画化ということですけどもね。自分は「若草物語」はもちろん存在は知っていますが、他の映像化作品や、原作は読んだことが無いんですよ。あらすじくらいは知っていますがね。それで、この映画はまあ確かにその「若草物語」自体を全く知らなくても見れるは見れると思うんですが、でも、おそらく知っている方が良いタイプの映画だと思います。少なくともあらすじくらいは押さえておいた方が、見易いんじゃないかなと思いますね。と言うのも、この映画は結構頭を使う映画なんですよ笑。時間軸が細かく交差するんです。現在と過去と、って感じで。これ、かなり攻めた編集だなと感じましたね。だから、見ていて「今は…、あ、過去か…」とか、「ああ、今は現在の時間軸か…」って、結構行ったり来たりしますのでね笑。意外とぼーっと見てはいられない映画だと思いましたよ笑。割と忙しいです笑。もちろん、今と過去の描写がしっかり対になるという意味でこういった編集が為されています。

 

 何か「走馬灯」のような編集ですね。まあ、これは映画ならではの表現方法だと思います。また、ここまで細かく交差させる大きな理由が最終的にわかる形になっていて、それも斬新だなとは思いました。ちなみにネタバレも入ってきますので、気になる方は読まないでください笑。そう言えば、この「若草物語」という作品が実にその庶民的で、「小さな世界」を描いていると言うことが、当時も批判されていたようですが、この映画が言わばそう言った攻めた編集で「壮大な映画」に見せているという、そんな意図も感じられましたね。この映画の見所の一つとしてまずはその編集部分。そして、色々と多様なジャンルで楽しめる映画かなとも思いました。恋愛映画としても見れるし、青春映画としても見れるし、時にはシリアスにも見れるし、コメディ映画にも見れるしと言うことで。色々な観点からこの映画を切り取れるなと、そんな作品にも感じられました。結構エピソードの一つ一つで、印象に残る点が多かったんですよ。ジョーが髪を切ってそれを売ってお金ににして、「ありがとう!」と母親からは喜ばれる物の、違うカットになると「私の髪…」って泣いてるってシーンがあったり。これはまあ、作り手はコメディとして撮ったんですかね。自分は凄く印象的でね。そのジョーの大胆さ、優しさをしっかり描いてくれているシーンですけども、ただ同時に、彼女の脆さとかか弱さみたいなのも見せるシーンに感じられて、凄く人間らしいなと。ちょっと自分はまあ一瞬のシーンですけども少し感動しましたよ笑。また、ジョーとエイミーの喧嘩のシーンも印象的でしたけどね。とにかく、エピソードの一つ一つが押しつけがましくないって言うんですかね。

 

 

 見る人それぞれで、おそらく切り取り方が異なるような映画になっているんじゃないでしょうか。だからこそ、より「重厚」という言い方もできると思うんです。つまり、先ほど「小さな世界」の話とは書きましたけど、それが「壮大」に見えると言うのは、より一つ一つのエピソードが印象的に描けているからかなと思うんですよね。工夫が無いと、それこそ本当に世間の批判通り、何かのっぺりした、間延びした映画に感じられるかもわかりませんからね。それとですね、大きな見所として、ティモシー・シャラメ君がまあイケメンってことですかね笑。「君の名前で僕を呼んで」って映画で、結構評判を上げていた印象でしたけど、ただ、あの映画はまだその「幼い」ってイメージがどうしてもあった。ただ、この映画のですと、まあ青年時代の描写もあるんですけども、何でしょうね、説得力のあるイケメンですよね笑。ちょっとディカプリオのあの若かりし頃の、非の打ち所がないイケメンっぷりを彷彿しましたね。確かウディ・アレンの最新作にも出演中ですので、それもちょっと気になってるんですけどね。あの出で立ちはそれこそまあ、良い男も演じれるでしょうし、あるいは弱い男も可能だろうし、悪い男も可能だろうし。きっと、重宝される俳優さんになるんじゃないですかね。まあその「イケメン」を用意ってのも抜け目ないかもしれませんが、先ほど「印象的なエピソードが~」って話をしましたけども、ツボを押さえた映画と言うのは確かだと思うんですよ。例えばですね、終盤でピアノで演奏されるベートーヴェンのピアノソナタ第8番ですか、あれなんてね、そりゃ綺麗だと笑。演奏される中、あの四姉妹や家族たちが静かに聞いていたら、そりゃセリフはいりません。そして、勝手に観客も今までの出来事を思い出しますね。あの音楽はまあ「ずるいな」と、あざとくも見えはしますが、でも、悔しいですけどやっぱり、欲しい所で良いシーンがちゃんとあるっていう映画になってます笑。

 

 さて、序盤でこの映画の攻めた編集の本当の意味があるとは書いていましたけども、それが最後の方で明らかになりますね。それは、この映画が、「若草物語」の著者でありますオルコットのお話だったと言うことです。つまり、これは伝記映画の側面もあると言うことですね。まあの、この映画の主人公であるジョーをシアーシャ・ローナンが演じており、そして「若草物語」作者のオルコットもまたシアーシャ・ローナンが演じてますので、ちょっとしたこれはトリックなんですよ。まあ、冒頭で気付ける人は気付けると思うんですけど、ただ、ジョーは作家を目指していると言う設定ですしね、だから、自分はこの映画はあくまで「若草物語」を忠実に映画化しているんだと思っていたんです笑。ちなみにこの「若草物語」が著者オルコットの自伝的作品であると言うのもまた有名です。それでこれは裏話ではありますが、元々オルコットは主人公のジョーを結婚させると言う結末にはしないつもりだったみたいなんですけど、当時の風潮的にそれは許されなかったみたいですね。女性は結婚することでハッピーエンドであり、じゃないと売れないっていう、そんな法則があったようで。だから、オルコットは泣く泣く、ジョーをまあ結婚という所に落ち着けたようなんですが、まあ、それは作者の本意ではなかったとのこと。と言うことで、この映画ではジョーが堂々と結婚するシーンもちゃんとあるんですよね。それはあくまで「若草物語」という実際の小説の中の話。しかし、オルコットの話でありますので、オルコット自身は結婚はしていないと笑。だから、ある意味ですね、この映画の構造ですと、見せたい結末を両方見せちゃうっていう、かなり大胆な方法を取っているわけです。ジョーが結婚するシーンはまあベタなくらい綺麗なシーンで描いています。そして、学校を作ってそこで幸せそうに暮らすジョー達が見れるっていうエンディング。さらに、「若草物語」という小説が出来上がるのを見ているオルコットというエンディング。この2パターンを見せている。それを大胆にやりたいが為の、この攻めた編集だったんだなと、ちょっと自分は驚きました。まあ、本当に複雑な構成だと思います笑。頭、やっぱり使いますよ笑。

 

 

 女性の幸せってまあ一概に言えばそういうのがこの映画のテーマだと思うんですけども、でも、当時の価値観を今持ち込んでもそれは違うわけでね。別に結婚こそが幸せじゃないですから。でも、逆に言えば、じゃあ独身だけが幸せかってそうでもない。つまり、女性と言ったって、それは皆人それぞれなんですから、色々な形があって然るべきなんですよ。まあ、これは逆に言えば男にも言えますよね。結婚だろうが独身だろうが、自分が良ければどっちに正解なんて無いんですから。この2パターン見せてしまうって言うのは、あの「ラ・ラ・ランド」とかでも似たようなことをやっていましたね。でも、あれはミュージカルだからが故にできた見せ方でありましたが、この映画はミュージカルじゃないんでね。その代り編集をまあ練ることで、実現させたと。題材の割には攻めた映画だと思いますね。面白いアプローチだったなと思いました。

 

 

おすすめ度☆☆☆☆