製作年度:2010

製作国:イギリス/フランス

監督:シルヴァン・ショメ

声優:ジャン=クロード・ドンダ、エイリー・ランキン、レイモンド・マーンズ、ダンカン・マクニール

 

 1950年代のパリ。場末の劇場やバーで手品を披露していた老手品師のタチシェフは、スコットランドの離島にやって来る。この辺ぴな田舎ではタチシェフの芸もまだまだ歓迎され、バーで出会った少女アリスはタチシェフを“魔法使い”だと信じるように。そして島を離れるタチシェフについてきたアリスに、彼もまた生き別れた娘の面影を見るようになり……。(シネマトゥデイ)

 

 こちらも評判の良いアニメ映画でした。日本ではジブリも配給に携わっていたとのことですね。まず一目見て感じますのは、サイレント映画の影響ですね。これを如実に感じます。ほぼセリフがありませんね。ですから、じゃあどうやって心情などを説明するかと言えば、アクションであるとか背景であるとか、表情などになってきますね。その為に、まあこれ80分と上映時間は非常に短い映画でありますけども、結構目を逸らせない作りになっているのかなと感じます。まあ、アニメとか実写に限らず、こういう作りの映画は今時珍しいですよ。ほとんどセリフで説明してしまいがちだし、はっきり言えば、そっちの方が「わかり易い」って言い方もできますからね笑。何でも言ってくれる方が耳に入ってくるんですから笑。でも、「映画」ですからね、やっぱり基本的には「映像」を駆使した形で語ってほしいなってのは、まあ映画好きからしたらあるんじゃないでしょうか。逆に説明してくれる映画に慣れていると、この映画見ていてもイマイチ乗れないって人も、まあ出てくるかもわかりませんね笑。自分はこのほぼサイレントみたいな作りが、逆にユーモアであるとか愛おしさなどの、この映画の雰囲気を作ってくれていると感じます。例えば、時間経過の見せ方でこの映画は笑わせようってシーンが何個かありますけど、これはアニメならではの見せ方だったりしますからね。非常に印象的です。また、まあ舞台が1950年代ってことなので当たり前なんですけど、レトロな雰囲気。これも哀愁とか古き良きって印象が映画にはあって、心地良さも少しあるんじゃないでしょうか。

 

 ただ、まああんまりこの映画は単純に街の雰囲気や映画の雰囲気で、「オシャレだ」と語っていられるほど、生易しい映画じゃないですね笑。むしろ、この内容によって割と賛否両論と言うか、好き嫌いが分かれる映画になっているのも事実だと思われます。と言うのも、マジシャンである主人公はとある田舎娘に「魔法使い」であると勘違いされてしまった為に、あらゆる高価な物を貢ぐ羽目になります笑。あくまで手品を見せたつもりだったんだけど、それが仇となってしまったと言う笑。これだけ書いたら、ぶっちゃけコメディですよ、これは笑。まあ、主人公はその娘が可愛いばかりに「魔法」のような出来事を見せる為にですね、何とか働いて金を作って、そして彼女に服やら靴やらをプレゼントするってな、そんなストーリーなんですよ。だからまあ、見る人に寄ってはあの娘が嫌に思えてくるでしょうね笑。純粋を装った悪魔に見えることでしょう笑。自分としては、そんな娘に物を貢ぐ主人公のまあ必死さって言うんですかね、それは笑える要素だと思ったんですよね。彼がまたその慣れないアルバイトで四苦八苦する姿が、惨めなんだけど、ぶっちゃけこれは可笑しいわけじゃないですか笑。もちろん、何度も書きますが、真面目に受け取れば、単純に「可哀想」ですけどね。それこそ、まだ新しめの映画になりますけど、「マジカル・ガール」っていうこれも欧州映画がありまして、あれも娘にプレゼントする為に、犯罪に手を染めるってな話だったんですけどね。しかもやっぱり、「魔法」とか「夢」に見せる為に、父親が頑張るんですよ。これはちなみに笑えるって言うよりは、もっと壮絶なタッチでしたが。似たモチーフですけど、まあこの映画は割とやっぱりコミカル寄りにしていると思います。

 

 

 ですから、基本的にはその「コメディ」って言うのと、「惨めさ」とか「可哀想さ」みたいなのって、表裏一体であることがやっぱり見たらわかりますよね。それこそ、松本人志さんのコントであるとか、志村けんさんの晩年のコントなんか見ますと、近い物を感じますよ。冷静に考えたら、「バカだな」とか「恥ずかしい」とか「惨め」って思える点にこそ、哀愁があって、そして何とも言えない可笑しみを発生させるって言う。基本はそう言う構造ですね。あとは作り手によってそれをどう見せるかの違いでしかないって言う。本質としては何度も言いますが悲劇性がありますよ。それこそ、喜劇王チャップリンの映画でもほとんどそんな感じですよね。貧乏とか障がいとか戦争とか、やっぱり悲劇的設定が下地になってコメディ描いてますから。これ自体は、まあ長い事、そして万国で親しまれている手法であります。また、結局の所、そこをまず一旦笑えるかどうかによっても、この映画の感じ方が変わってくると思います。初っ端から、「可哀想…」って見ているのが辛いっていう意見もありますし、そうなるとなかなかこの映画に浸るって言うのは、難しくなるかもわかりませんね。さらに言えば、そんな貢いでもらえる娘は、どんどんオシャレになって行きまして、「田舎娘」から結構洒落た「レディ」に変貌を遂げて行く。しかも、恋人までできると。まあ、かと言って悪女になって行くって言うような展開でもないので、非常にこの辺微妙です。むしろ、嫌な女性になってくれたら心から「こいつはダメだ」と恨めるかもしれませんが、そうとも見えないので、見ている方ももどかしいかもしれません笑。さて、そうなってきますと果たしてこの娘の真意は?って感じになってきます。要するに、彼女がそもそも主人公を利用していたのか、それとも本当に「魔法使い」だと思って共に過ごしていたのか。最終的に主人公は去っていくわけですが、別に彼女は追うでも無いので、さすがに娘も気付ているとは思いますがね笑。

 

 自分はこの映画は色々描いてはいると思いますけど、一つ「エンターテイメント」の本質に近い事を描いているような気がするんですよ。ぶっちゃけですね、主人公にとってはこの娘の真意って途中からはどうでもいい話になってると思うんですよね。彼女がどういう気持ちで自分と一緒にいるのかどうかっていう、本心自体はどうでもいいって言うか。一応、この娘が主人公が実際に生き別れた娘と似ているって言う設定がありますので、そういう個人的感情から彼女に貢ぐっていう展開になるのは理解できます。でも、いくら何でもね、「もう買えません」って言えばいいだけの話じゃないですか笑。それでも頑張るってのは、まあはっきり言って、彼女の喜ぶ顔を見たいからって言うだけじゃなくて、自身の存在意義を確認したいからだと自分は思いますね。その対比と言ってはなんですけども、途中で廃業する芸人たちが登場しますよね。その人たちは時代もあってか、やっぱり野垂れ死ぬしかないみたいな感じです。要はそのショービジネスで食っていくのは大変だって言うのもあるんですけど、それと同時に「必要とされてない」っていう状況が描かれてるわけです。そして、主人公もそうなる可能性は十分にあるわけですよ。ですから、「そうはなりたくない」っていうまあ、本音ももちろんありますよね。主人公はまあ無意識かもわかりませんが、自分の居場所をその彼女に見出しているって言う。ただ、実際マジシャンとして成功して好きな物を買ってあげられているなら胸を張れるでしょうが、本業じゃなくて違う形で金を稼いで、何とかプレゼントしているっていう状況はやっぱり滑稽極まりない笑。その何か「虚構」の話ですよね、これは。だから、「エンタメ」の世界ってのはまあ切ない一面もありますよ。確かにその一瞬一瞬で、人を楽しませたり、笑わせるのは尊いことですけども、それをじゃあしてくれる人間への見返りは実はまあそんなに無いし、また消費者は意外とそういう風にしてもらったことは、すっかり忘れていたりします。ですから、物凄く儚い世界ですよね。まあもっと残酷なことを書けば、「愛情」ってのもそれに近いのかもわかりませんが。

 

 

 ですから、後半で「魔法使いはいない」っていう、文面が登場しますけど、非常に痛烈ですよね。ある意味ですね、この映画を作った人にとっても何か自己批評的な作品なのかなとも思いますよ。自分で自分の首を絞めちゃってるって言うか笑。まあ本当にだから、特に今だと、「エンターテイメント」って言ったって、本当に誰の為に作ってるんだって話ですよ笑。嘘を嘘だとも気付かないし、むしろ本当にそれを「魔法」か何かと勘違いしちゃう人間からいるからこそ、誹謗中傷で人を殺めるなんて事件も起きますのでね。作ってる側や演じている方からしたら、それほど何か虚しい事って無いと思いますよ。まあですから、じゃあ「夢」って何だろうって言うね、一見すれば非常に甘いテーマかもわかりませんが、結構真に迫る形で描いている映画に見えます。どこか優しい雰囲気だからこそ、逆にまあ突き刺さるってのは、あるかもわかりませんね。

 

 

おすすめ度☆☆☆