製作年度:1999

製作国:日本

監督:高畑勲

声優:朝丘雪路、益岡徹、荒木雅子、五十畑迅人、宇野なおみ

 

 朝日新聞に連載されていた4コマ漫画「となりの山田くん」を『となりのトトロ』『もののけ姫』のスタジオジブリが『おもひでぽろぽろ』の高畑勲監督で映画化した作品。どこにでもいそうなごくありふれた庶民的な山田一家。その山田家の人々が繰り広げるおかしくてほのぼのした温かいエピソードの数々が短編集的な構成で描かれる。(allcinema ONLINE)

 

 こちら、ジブリの一作品ですけどもね。そして、高畑勲監督の作品。でも、その中でもこれやっぱり地味な扱いですかね笑。あんまり周りでも、「ジブリの中で一番好きな作品はこれ!」って言ってる人、聞いたこと無いです笑。確か公開順で言うと、「もののけ姫」が公開した後に、これが公開されて、正直あまりヒットせず笑。そして、その後に「千と千尋の神隠し」が公開して大ヒット、ってな流れだったみたいです笑。ちょっとこの映画が、良いワンクッションになったんですかね笑。さて、でもアニメーションとしてはかなりこれは冒険的な作品だと思いますよ。あらすじにも書いていますけど、元は新聞で連載されていた四コマ漫画。映画の絵柄も、本当に鉛筆の世界ですよ。要するに、アニメらしい装飾を排除した作品と言っても良いと思います。正に「もののけ姫」とはほぼほぼ真逆のアプローチじゃないですかね笑。絵の情報量が圧倒的に多い「もののけ姫」」に比べ、こちらの作品は圧倒的に少ない。かなりシンプルな絵です。でも、実はこれがアニメーションにする上で凄く大変みたいです。素人にはわからないですけどね笑。演出としても面白くて、唯一これ劇中で絵柄が変わるシーンがあって、それは山田家が暴走族と絡むシーンなんですよ。そこでは、絵柄が何故か写実的になるんですよね。これは何か、得体の知れない他者と関わる時の「不安さ」を表現したのかな?と。今までのほほんとしてたんだけど、いきなり世界がリアルになるって言う。これは何か、高畑監督流の、社会批判って言うか、意地悪な目線なのかな、とも感じましたけどね。

 

 また、冒頭の山田一家を紹介するシーンでは、まあ、広がりが圧巻でしたね。と言うのも、シンプルな線で多様な想像力を働かせた絵でね。ここを見るだけでも大分自分は価値のあるシーンだと思いますけどね。あれはその「絵が上手い」とか、そういうことじゃなくて笑、やっぱり作り手の並々ならぬ想像力の成せる業。さすが、宮崎駿と共に時代を引っ張ってきた人なんだなと、思わざるを得ません。高畑監督の遺作になりました「かぐや姫の物語」にも通じる点ですし、何ならこの「となりの山田くん」があったからこそ、「かぐや姫~」の演出や製作に繋がったと言うのは大いにあると思います。とにかく、高畑監督は宮崎駿監督より、アーティスト思考が強い気もしますね。「完璧主義者である」とは、よく聞きますけど。こうやって、アニメーションの可能性をどんどん追及する。しかもそれは、ディズニーだとか他のアニメとは全く違うアプローチだったりするので、面白い。まあ、ただ「かぐや姫~」に関しては全編に渡って想像力が活かされていたように思いますが、こちらの作品に関しては、まあ残念なことに全編に渡ってその「想像力」を堪能する、とまではいきませんが笑。さて、内容の件ですけども、これで描かれている日本の風景は、当時(99年)の風景なのか、それともちょっと昔の風景なのか。「ケータイ買えば良いじゃん!」なんてセリフがあるので、まあ当時なのかもしれませんが、ただ、ちょっと「サザエさん」風な匂いもあって、だとしたらもうちょっと昔なのか。まあ、そもそも、今この令和の時代に見ますと、さらに「古い」日本の風景にも見えるんですけどね笑。

 

 

 もしかすると、あえて、時代設定とかは曖昧にしているんでしょうか。例えば、これは自分の理解不足なのかわからないんですけど、この映画の舞台が関東なのか、関西なのか、イマイチわからないんですよ笑。お母さんは関西弁を使っているし、おばあちゃんも関西弁を使ってる。お父さんは標準語なんですよ。それで、子供たちも標準語。でも、近所の人は関西弁だったりとか笑。何か、アバウトな感じがするんですよね笑。「一体ここはどこなんだ?」って笑。あまり時代性とか、場所がどことか、そういうリアリティは求めず、むしろ「変わらずある物」として高畑監督が象徴したかった作品なのかもしれません。例えば、この映画で描かれる近所付き合いの描写とか、家族の雰囲気そのものも、本当に「ドラえもん」とか「サザエさん」で描かれるような、実に細やかな物であります。ただ、今のホームドラマで考えたら、これはもう「嘘」の家族像、コミュニティ像になっているかもしれない笑。「嘘」と言うか、今となっては限りなくこの映画の匂いは薄れてしまっているんじゃないかと。でも、自分は見ていて、「こんな平和なことあるかよ!」って、突っ込みたくなるかと思いましたが、そうはなりませんでした。むしろ、「嘘」でも良いから、こういう映画があっても良いのかな、とも思ったんですよね笑。まあ、これが実写映画だとまた違うニュアンスもあって、アニメだからすんなり受け入れられる物もあるかとは思いますが。例えば、この映画の「何とかなる」っていう、かなりいい加減なテーマ笑。でも、このいい加減さに憧れるってのは自分はありますね。無責任に思える言葉かもしれませんが、でも、意外と心強い言葉でもあるような気がします笑。それこそ、「もののけ姫」で「何とかなる」では済まされない世界を描いておいて、次のこの作品で、「何とかなる」って描くのは必然だったかもわかりません笑。厳しさを描く映画もありますが、ただ、役割としてそれだけじゃない映画があっても自分は良いと思います。

 

 やっぱり、高畑監督もその世界観には、願いと言うか憧れと言うか、そういう物を込めて作ってるのは往々にしてあるんじゃないですかね。まあ、この映画の中で描かれる「山田家」を丸々肯定する必要も別に無いでしょうけど、何かこう、安易に言えば平和な感じって言うんですかね。これは、凄く、尊いとは思いますよ、純粋に。皆バカにしたがるかもしれないけど、でも、やっぱり欲しいんじゃないですかね、普通に暮らしていると。「普通に暮らす」ってのが、一番難しいんですから笑。逆に言うと、この時点でそういう「願い」が見受けられるってことは、ある意味、この時代の時点で既に高畑監督は、こういう価値観が廃れることを予期しており、危機感を抱いていたのもあるかもしれません。まあ、考えてみますと、「火垂るの墓」然り、「平成狸合戦ぽんぽこ」然り、過去作を見ますと、割と「何かの終末」を描いた映画が多いような気もします。この「となりの山田くん」に関しては、劇中の中で、この家庭に崩壊の危機が迫ったりとか、まあ、そういう大きな変化とか終末が描かれることはありません。まあ、もし続編があったら、別れとかそういうのが描かれたのかもしれませんけど笑。あくまで今作ではそれは無いんですよ。でも、逆に言うと、今作はそのフィクションとか、ファンタジーって言う概念じゃなくて、やっぱり昔明らかに日本にあった思想だったり、憧れだったりであって、でも、それが今生活する我々の生活と地続きである為に、要はこの映画における「終末」は、今我々が生きているこの令和の時代であることを指しているのかもしれませんね笑。そう考えますと、この映画のテーマのように、「何とかなる」と言いたい所ですが、残念ながら「何とかならなかった」と言うべきでしょうかね。だから、たぶんこうやってあえて無駄を排除してシンプルな絵を用いることはなく、むしろ、嫌な世の中だからこそ過剰にデフォルメして綺麗にするみたいな、とにかく現実を装飾していくアニメが流行ってるかもしれない。新海監督の映画がここまでヒットするのは、必然だったのかもしれませんよね。

 

 

おすすめ度☆☆☆