鉄道省半田鉄道局

鉄道省半田鉄道局

1/80鉄道模型(Jゲージ)工作記事を中心に、鉄道と身の回りの出来事を書いてゆきます。
​(平成26年11月8日Yahooで開設、令和元年6月22日こちらに移転しました)

3月20日の祝日は土曜出勤の振り替えでお休みしました。ちょうど、武豊線開通(明治19、1886年)140周年記念でキハ75が久々に武豊線を走るというので、家の近くに撮りに出かけました。

団地の道路から見下ろします。他にもオジサンカメラマンが数名おられました。

午後の折返しです。美濃窯業の煙突がランドマーク? この時は若いカメラマンの方が数名いました。武豊線に初めて乗ったのはキハ58の急行のりくらの編成でした。沿線住民になってからキハ58・48時代からキハ75、キハ25、311系、313系、そして3月の

315系統一と車種は変わりました。やはりキハ58時代が毎日小旅行みたいで楽しかったですね。150周年には是非C11の走行をお願いしたいです。

少し前の3月12日、残業をして18:40頃熱田駅に着くと、カメラマンもいるし、「1番線に回送列車」のアナウンスが。これは何か来るとスマホを用意して待ち構えていると引退が確定した213系5000番台がやってきました。交番検査入場とのことです。

この2連窓のクロスシートが昔のサロみたいで好きだったんですがね。イベント列車用とかで活用すればよいのに。なんか勿体ない気がしてなりません。富士急さんとか秩父さんとか買いませんかね?

ところで、今週の貨車研究も読み合わせ原稿を配信したので模型に戻ります。

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15日、日曜日は小春日和でした。休みが一日しかないと、損した気分になりますね。昔の会社員(親世代)は土曜日も出勤だったので、贅沢な悩みですが。自分の入社当時は土曜半ドン、というのもありました。

3両のB6、追加補重を終わりまして、重量(従台車含む)は写真左から 2308号機362g、2194号機355g、2147号機352gとなりました。これで単機でオハ32000系急行7両編成を牽引できますので、大型機並みの牽引力という目標は達成できた、ということにします。なお牽引はスムーズ、推進はやっとなので、客車の方(曲線通過時)に何か抵抗があるのかもしれません。あとは塗装とヨックモックの収納箱の整備を残すのみです。 ところで9500形と8550形もこの客車編成を牽引できます。自作機が強力というのは、何か嬉しいですね。鉄道模型は走らせて遊ぶもの、愛着が増すというものです。

次週の日曜日は貨車研究会があるので、模型に専念できず、蒸気動車スタートはボチボチになりそうです。まあサハ6、サハ16→「ワ50000形、ワフ20000形」改造要綱の記事を発見しレポートを補強したので、報告ネタはあるのですが。

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3月14日は浅野内匠頭の命日(ホワイトデーは無縁)ですが、設備点検の立ち合いで休日出勤でした。暖かく、キチョウが飛んでいました。少し前の暖かい日にジャノメチョウ系統の蝶が飛んでいるのを見たので、今年2回目です。

B6もあと補重追加位で終わるので、そろそろ次の秘密結社お題「蒸気動車」に掛かることにします。”鉄道省”を標榜する当局としてはあっても良い車種なので参加することにしました。最初、キハ6410形にしようかと思いましたが、リニア鉄道館に保存されているキハ6400形にしました。昭和11年には2両とも直方に配属。空制装置なし、と記録されています。

まず駆動部ですが、小学生の時に柏市内の模型屋で1,500円で買ってもらったつぼみ堂のBタンクのジャンクが軸距20㎜。スケールの21㎜直近なので流用することに。動輪は手持ちの11.5にします。

珊瑚の上中等車(ホイロ500として竣工)の床板をプラ板に替えて余っていました。ボギーセンター間距離はスケールで124.7㎜。この床板は124㎜なのでこれも使うことに。

付随台車も余り物のドロップか、二束三文で買った小高を使うことにします。

資料としてはこの2冊を買っており、参考にします。他に20歳ころに買った昭和4年客車形式図下巻もあります。

問題は形式図のポンチ絵程度しかないこと。リニア鉄道館の保存車に巻き尺を当てると、文化財なので出入り禁止になる危険もあります。そこで写真などで、AIも活用して各部寸法を推定で出して図面化することに。

ところで、キハ6400の車体幅は8フィート。同時期の基本型客車は8フィート6インチで異なっています。モニタ屋根の幅も大型木造客車とも異なっている様です。

「日車の車輌史」国鉄編上をめくったら電車に幅8フィートがあることに気が付きました。そこで手元のこの本を参照することにしました。

おお、あったあった。窓幅、窓間隔は蒸気動車も同じでしょう。あとは屋根などの詳細図があれば、設計が進みそう。

デハ6310の詳細図がありました。モニタ屋根の幅は、1/80スケールでほぼ20㎜となり、実写写真と比べ、車体幅とのバランスも合います。下屋根の高さは2.7㎜ですが3㎜で良いでしょう。この3㎜は古いTMSの木造客車の作例にも用いられている寸法です。

JW-CADを用いて何とか図面化しました。窓割など不安でしたが、モニタ屋根の明かり窓を配置したら良さそうです。機関室狭いドア幅はAIの推定で1フィート8インチとしました。機関室妻板は、AIが写真から推定した画像(右上)が良く捉えており、そのまま使うことにしました。妻板のカーブは、基本型客車の妻板の後退角と揃うようにしました。

いさみやのt0.3方眼紙に印刷してみました。腰部、窓部の縦羽目(短冊板)は当時の規格では2インチ(50㎜)ですが、ここはエバーグリーンのCAR SIDING、3-1/4”Spacing を使ってみます。t0.5方眼紙は厚すぎて印刷が無理でした。

あとは経験の薄いペーパー車体を上手く作れるか。写真は18歳で作った小高のプレスボードキットで、唯一のペーパー経験。サーフェサーを吹き付けて木工用ボンドで組んだもので、50年無事です。廃車も考えていましたが、近年、ダイソーのチョコレート色を吹き付けてブドウ色1号にしたら見てくれが改善したので廃車を免れています。

そういえば、TMS966号に、素晴らしいナハ22000系木造客車編成の記事がありましたね。これも参考にすることにします。この記事のように美しくできれば良いのですが、果たして・・

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3月11日は東日本大震災の日です。当日のことは今でも忘れません。私がC108を撮影した宮古リヤス線、風光明媚な景色を楽しんだ仙石線や三陸鉄道、会社のハイエースで走り回った仙台市沿岸部、タキ12200や日立セメントのタキ1900、東邦亜鉛のタキ15600等を撮影した仙台港や小名浜港など馴染みのある土地が津波に飲まれてゆく光景は衝撃でした。原発事故も東電や政府の対応は情けない限り。今でもYoutubeで当時の報道などを閲覧できるので、これらを風化させず次世代に伝えていければと思います。

最後になって2147号機に担いバネが無いことが気になり、輸出向けジャンクパーツについていた板バネを流用し、取り付けました。

線路を敷いて、オハ32000系”B級”急行(下関行き不定期1009レ)を牽かせてみます。レールが汚いので接点復活剤で磨いたら、摩擦係数が下がってしまい、単機では苦しい。重連なら楽勝です。

単機で牽けるはずの当局のエースC51225でもスリップしました。B6で補助します。しかし線路を拭いたら、C51は単機で普通に牽けるようになりました。

じゃあB6も単機で行けるだろう、と牽かせてみたらスリップはするものの牽引できました。牽引は良いが推進はやや苦しい。これならもう少し補重すれば楽になるでしょう。第2動輪のウォーム回りの空間にも補重することにします。しかし何時までもこんな評価方法ではいけませんね。測定器で数値評価できるようにしたいです。鉄道大臣官房研究所を開所しないと。

久々の往復お座敷運転。部屋の電気を消して客車の照明をしばし楽しみました。この編成は”オハ31系を真面目に作る”プロジェクトと称して客車史編纂会の分厚い本を分析して台枠横梁や暖房管まで作り込んだもので、マロネフ、オロ、スシ、オハ3、オハフの編成で、珊瑚・きがらや・ニワの製品で構成されています。関東合運で「ムサシノモデル」のですか?と聞かれたのは評価をいただけたものと解釈しています。客車キットはスイテ、マイロネフ等未だ多数あるので、早くこれらも作らないと。

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中革連は大量落選で資金に窮し、意味のないクラファンを始めたり、他党を厳しく非難していた政治資金パーティーを開催するそうです。左翼のダブルスタンダード、此処に極まれり。情けない限りです。長年、こんな連中に投票して来たかと思うと、自分も情けない。

ところで前回の報告で、プラサフを塗布した円筒内側は焦げてないと書きましたが、少しは焦げてますね。”予想したほど焦げていない” に訂正します。

ウンコウェイトは低温半田で繋ぎ目を埋め、ウンコ状態を消し、ピラニア鋸で高さ9㎜位置で切断、半月にしました。半月型なのは、サイドタンク左右を繋いでいる上板を避けてボイラに入るようにするためです。上板より上のスペースは、小さい半月を用意して空間を埋めます。そのために短い円筒も鋳造したのですが、長い円筒を切った際に生じた片割れで間に合いました。大きい半月ウェイトは2.7穴を明け、M2.6真鍮ナットを埋め込んでネジ締めできるようします。

ナットは半田で固定しました。M2.6ネジは低頭のものを使います。この長さで煙室の中まで入っています。2147号機は煙室が短いので、前方を少し切り詰めました。

台枠間のブロックはオーブン粘土で型を作って鉛を流し込みました。食パンみたいなものが出来ました。せっせとブロックに切ります。

ボイラーの半月の上側はエポキシで接着、半月の下側はネジ止めです。その間にも隙間があるのでt1鉛板を差し込みます。下半月の左右にも小片を差し込みます。この鉛板は昔はマッハ模型で売っていましたが、今回は早川模型で買ったものです。

キットのウェイトも左右に接着します。左側は集電ブラシを避けるため、モーターツールのスパイラスフライスで削り取りました。かなり削らないとショートします。サイドタンク上板上部にも挿入。炭庫裏、キャブ屋根裏にも接着しました。結果、キットのウェイトを貼った2147号機は323g、2194号機は324gまで補重できました。

キットのウェイトがない2308号機は、最終的にt1鉛板を折りたたんで箱状にしたものを接着しました。集電ブラシ部ははやり大きく欠き取っています。こちらの方がウェイトが大きく340gにまでなりました。あとの2両ももう少し貼り足します。

TMS「日本型蒸気機関車の製作」では、”隙間は親の敵と思って鉛を詰め込む”と書いてありましたが、流石に台枠やボイラに鉛を流し込むと修理不能になってしまうので、流石にできません。ボイラー内のウェイトだけでも金属オハ31系5両を空転なく推進できました。カプラーを付けてどれだけ牽けるか、楽しみです。

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