イラスト kei さん


人間の体の中にはいったい
どのくらいの水分が入っているんだろう?
どれだけ泣き続ければ
この涙は止まるんだろう。

誰もいない草原の真ん中で
ブルマは一人泣いていた。
両親にも
ヤムチャにも
誰にも気を使うことがないように
彼女は一人エアカーに乗って
泣ける場所を探していた。
はじめて訪れたのがこの草原。
誰もいない高原で
ブルマは泣いた。
まるで小さな子供のように
声をあげてわんわん泣いた。

いくらでも泣けるのだった。
いつまでも泣けるのだった。

ヤムチャを嫌いになったわけではなかった。
それは間違いなかった。
思い出もたくさんあった。
無くしたくない記憶が
ブルマの脳裏を
グルグルと音を立てて駆け巡った。
ヤムチャは
わずか10代の時から
ともにすごした恋人だったから。

ヤムチャのやさしさは
ブルマが一番知っている。
かっこよさも
男らしさも。
あまりのもてように
怒るのはいつもブルマだった。
彼の女性に対するだらしなさには
辟易したけど
それでもヤムチャは
必ず最後にブルマの元に戻ってきた。
それで十分だったはずだった。

でも
終わったのだ。
ブルマの中ではっきりと何かが終わったのだ。

「ごめんね、
ごめんね、ヤムチャ。」

何時間も泣いて、泣いて
泣き続けた。
目がひどくはれて
とてもまだ家には戻れそうになかった。

どのくらい時間がたったのだろうか。

ブルマは泣きながら
疲れて眠ってしまったようだった。
でもまだ陽は高く
頭上にはまぶしい太陽が光り輝いていた。
そんなに長く眠ったわけではなさそうだった。

「まぶし・・・」

ブルマは思わずつぶやいた。

もうヤムチャとは
恋人関係に戻れない。
私の中で
恋は
終わっちゃったんだ。

それを思うとまたブルマの中から
嗚咽がこみ上げてきそうになる。
ブルマは目を閉じたまま
両手で顔を隠そうとした。

そのとき

ザッ・・・。

ブルマの横たわる傍らに
なにかが降り立つ気配がした。

驚いて目をあけた。

「ベジータ。」

ブルマの横に降り立ったのは
ベジータだった。
ベジータは腕を組んだ姿で
薄汚れた戦闘服姿だった。
眉間にしわを寄せ
怒ったようにも見える表情で
ブルマの顔を見下ろしていた。
その姿をみたとき
ブルマは驚いて上半身を起こした。
心臓の高鳴りが
ブルマの感情を乱した。

「…どうして?」

ベジータはそれには答えず
感情のない声で
一言言った。

「貴様こそ何をしているんだ?」

ベジータの黒い瞳が
ブルマをまっすぐ見つめていた。
ブルマは思わず下を向いた。

ベジータは黙っていた。
ブルマはじっとその場に座り込み
ベジータは静かに
彼女を見下ろていた。

「…泣いていたのか。」

ブルマははっと顔をあげた。
ベジータの背後に太陽がちょうど隠れて
ベジータの表情はよく見えなかった。

しかし。
何のためらいもなくぶつけられる言葉だ。
ベジータのその言葉に
甘さも
暖かさも感じられない。
彼は全ての虚飾やごまかしを
まったく許そうとはしないように思えた。

ブルマは黙ってこぶしを握った。

「貴様は弱い生き物だな。」

言葉に詰まるブルマ。
突き放すような一言だ。

「…ひどいこというのね。」

「涙など何の解決にもならん。」

「…か弱い女性が泣いてるんだから
ちょっとは
慰めようって気にはならないの?」

ベジータはいった。

「ならん。」
「…理由も聞かないの」
「興味がない」

そういわれたブルマは
再び肩を震わせた。
ベジータに慰めてもらおうなんて
思っていない。
でも
興味がない、とまで突き放されては
やはり涙を止められなかった。

「どっかに行って。
ほっといてよ。」

ブルマが顔をそむけたままそうつぶやく。

化粧のはげた自分の素顔が
恥ずかしくもあった。
とんでもなく
ひどい顔なんだろうと思う。
しかしそれよりも
まっすぐ自分に向かってくるベジータの視線に
自分が耐えられないと感じた。

ヤムチャとの問題は今始まったことではなく
彼女は彼との違和感に気づきながらも
それに気づかないフリをしていたのだ。

ヤムチャとの暮らしに疑問をもちながらも
一人になるのが恐ろしくて
終わりを迎えることができなくて
自分の内側の声にいままで
耳を傾けていなかったのだ。

現実に向き合っていないのは
…あたしだ。

ベジータは何も言わなかった。
しかし
その場を立ち去りもしなかった。
彼は少し眉をひそめた。
そして顔を正面に向けて
ブルマから少し距離をとった。
南側のよく日があたる場所を選び
そこで彼はふっと空を見上げた。

いつしか夕焼け雲が上空に現れていて
一日の終わりを静かに
彼らに伝えようとしていた。
金色の日差しがやや赤みを帯びて
ベジータの髪を赤く照らしていた。
夕日を浴びて輝くベジータの姿は
まるで一枚の絵のようだった。
ブルマは頬を赤く染めてその姿を見つめた。
なぜか自然に
胸が苦しくなっていく思いがした。

ベジータ…
ベジータはいつも
こうして夕日を見てるんだろうか。
たったひとりで。

ベジータは
腕を組んで
空を見上げていた。
遠くを
遠くを見ているようだった。
その表情はなんだか悲しそうにも見えた。

この空は宇宙につながっている。
暗黒の宇宙に。
でもそこが
ベジータの生まれ育ったふるさとだ。
ベジータは
帰りたいんだろうか、
宇宙に。

夕日の中に
彼の姿が解けていくように思えた。
…ようやく気持ちが落ち着いて
ブルマはベジータのほうに体を向けた。
でもまだ二人の間に距離があった。
何の会話もないまま
時間だけが過ぎて行く。
ブルマとベジータは
無言で向かい合っていた。
青い草の香りがほおを静かになぜた。

やがて日は沈み
夕闇が草原を覆い始めた。
空気のよいこの高原で見る月は青く
天空には見事な天の川が光って見えた。

闇がきた。
やがて
ベジータがブルマの方に歩み寄った。
一歩、二歩と。
そうして
ベジータはブルマのまえにひざをついた。
彼の血で汚れた白い顔が
ブルマの目の前にあった。
美しい、と思った。

ベジータはふっとため息をついた。
表情は険しかったが
決して彼の瞳は
ブルマを責めているように見えなかった。
ベジータの黒い瞳に
夜空の星が映って光った。

ベジータはブルマの肩に向かって
そっと右腕を伸ばした。
ゆっくりゆっくりと腕を伸ばした。
白い手袋が
彼女の体に触れそうになって
ブルマは体を硬くした。
白い指先が
ぼんやり光って見えた。

しかし
ベジータはその手を静かに下ろした。

ベジータはブルマの瞳をしっかりと見つめた。
そしてはっきりといった。

「強く生きろ。
…それが答えだ。」

夏の夜空に
満天の星が輝いていた。







原作では未来での孫悟空は心臓病で死んでしまうという設定になっています。
彼の死から未来の地獄絵が始まりたくさんの悲しみが訪れます。
当サイトの小説は短編が集まってひとつのストーリーとなっており
この小説が「お帰り、悟飯ちゃん」までの未来編のスタートとなります。










人間は何から出来ているのだろう。

血と肉か。
たくさんの水分なのか。
それとも愛と憎しみか。
たくさんの喜びと悲しみか。

人間は何のために生きていくのだろう。
つらい思いをかみ締めながら
どうして生きているのだろう。

たぶん
それは全ての出会いと
別れのために。

出会えて喜び
別れて悲しむそのことのために
たぶん人は生きている。
そしていつか死ぬために
そのときを迎えるために生きていく。

与えられた命を
燃やし尽くし
果てるために
多分人生は
あるのだと。

死ぬことは怖くない。
死は誰にでも平等に訪れるから。
だから
急いで死ぬことはないのだ。
死ぬまでは
生きていく。

しっかり生きていけば
与えられた命を
しっかりと燃やせば
死ぬことなんて怖くない。

生きて死ぬことは
自然の摂理だ。
始まる物は全て終わる。
永遠の命など必要ない。
消え去るから
全ては美しい。

たとえ死が
愛する者たちの世界を引き裂いたとしても
魂は滅びず
命は繰り返す。
思い出は誰かの心で生き続け
清らかな精神は語り継がれるだろう。

ただし
精一杯生きて燃えたなら…だ。














よく晴れたパオズ山の昼下がりである。
お皿を並べる音がにぎやかに聞こえている。
食卓には
とても昼ご飯と思えない量の料理が並び
いい香りがあたりにいっぱい漂っていた。

悟空はそわそわとテーブルの周りを回っている。
グルグルグルグル回っている。
今日はいつもの道着ではなく
短パン一枚という姿であった。

「悟空さ、
ズボンくらいはいてけろ。」

チチが笑いながら声をかける。

「おう…
だけどおら
腹減っちゃってよ。」

チチの後姿を気にしながら
悟空はさっきから
テーブルの上の皿に
手を伸ばしたり引っ込めたりしているのだった。

「ちっとは我慢できねえのけ?」

チチが悟空の方に振り向いた。
思わず手を後ろに回す悟空。

「へへ…」

気まずそうにぽりぽりと鼻の頭をかいた。

「まあいいべ。
しばらく病院食になるんだからな。
先に食っていいべ。
食えるだけ食ってけ。」
「サンキュー、チチ!」

許しの出た悟空はにっこり笑うと
テーブルに勢いよく腰をかけた。

「ああ、いすがこわれるべ!」
「チチの飯はうめえからなあ。
あの世の飯よりうめぇ。
おらしあわせだ!
「バカなこといってんじゃないべ。
あの世なんていうもんじゃねえ。」
「だって、界王様のとこの飯はまずいんだぞ。
チチの飯が一番さあ!」

ニコニコと食事を続ける悟空。
その姿をチチは満足そうに眺めた。

「うめえか…うんうん」

両手に饅頭を持った状態で
悟空は周りを見渡した。

「あ、そういや悟飯は?」
「今塾に行ってるだ。」
「勉強かぁ」
「んだ。
夕方までかえんねえべ。」
「そっか。
塾ってのは楽しいのかなあ?」
「楽しいとかそういう問題じゃないべ。
これからは力だけじゃダメだ。
頭もよくなんねえとだめだべ。」
「そっかあ。」

悟空はため息をついた。

「今日も修行しようと思ってた。」
「修行は昨日一日やったべ。
それよりも勉強が大事だ。」
「…」

それでも次々と食べ物をほおばりながらも
悟空はチチの話を聞いた。
悟飯の将来のことや
この家の壁紙のことや
裏庭の山菜の出来なんかの話を聞いた。

「珍しいな。
悟空さがこんなにおらの話を聞いてくれるなんて。」
「そか?」

チチは悟空の横に腰をかけた。
「おらうれしいだ。
こうしているとまるで新婚のころみてえだべ。」
「そだな」
「悟空さはすぐどっかにいっちゃうから…
おら寂しかった。」
「…すまねえ」

突然悟空はチチの小さい手をとった。
無骨な固い不器用そうな手のひらが
しっかりと手をとった。

「チチ。
おらはおめえを愛している、
どんなときも
どんなことがあってもだ。
それを忘れねえでくれ。」

目を丸くしたチチ。

「どうしただ、悟空さ?」
「どうもしねえさ」

悟空の腕が
チチの体を引き寄せる。
軽々と抱き上げて
自分のひざの上にのせたまま
背後から抱きしめる。

「やだ
昼間っから。
まだそとはあかるいべ。」
「かまわねえさ…
悟飯もいねえんだろ?」

チチは黙って頬を染めた。
悟空はそんなチチの表情を確かめると
彼女のドレスの裾に手を入れた。
チチはまとめていた髪を
そっと解いた。

「ほんとに
悟空さは甘えん坊だな。
そんなに力を入れなくても
おらはここにいるだ。」

チチの長い髪が
悟空の腕にからみつく。
冷たい感触が
悟空の五感を刺激する。

「変な
悟空さだな。
お医者さんが怖いのけ?
入院するってたって検査入院だ。
何も怖いことはないべ。」
「そうじゃねえさ」
「じゃあ飯け?
飯だって何食ってもいいんだから
おらがいくらでも差し入れてやるべ。」
「そりゃいいや」

悟空は満面の笑みを浮かべた。
そして彼はわざと彼女の髪を乱暴に掴み
その小さい顔を自分の方に向けさせた。

「は…悟空さ…」

チチは短い叫びをあげた。

「愛してるぜ、チチ。」
「なにいってんだか」
「…おらがチチをすきだって言ったら変か?」

繰り返す悟空の背中をチチは音を立ててたたいた。

「やだ!
悟空さ、はずかしいべ!!!!!」
「チチ…」

悟空は大きい不器用そうな手のひらで
チチの体を抱き上げると
その体をしっかりしっかり抱きしめた。

「愛してるぜ
…チチ…」





















はるかかなたで稲妻が光っている。



ベジータは眠れなかった。
ベッドに入ることも出来ず窓辺にたっていた。

彼の記憶にこびりついた臭い。
その臭いが
ベジータの中のさまざまな記憶の扉を
今まさにこじ開けようとしていた。

死臭。
死を迎える人間の臓物から発せられる
肉の腐った臭い。
それはベジータが今まで
何度も何度も嗅いできた臭いであった。
どんな生き物であれ
死は平等に訪れる。
それは避けて通れる物ではない。

ベジータは
屍骸の山の頂上で生きてきた。
腐り行く物体のまさにその隣で
平気で食事が取れる男だ。

いまさら死臭が珍しいわけでもない。

しかしベジータにはわかっていた。
その臭いがどんなに
自分の気持ちを揺さぶっているかということを。

生きている者が死ぬことなど
何の関心もないことの「はず」だった。
だがまるで
子どものように心が乱れる
自分が…いた。



その日
いつも過ごした
北の高地に
とうとう悟空はこなかった。

ベジータは待った。
夕日が暮れて闇になっても。
誰も訪れない荒地で一人待っていた。
正体のわからない不安が
ベジータの気持ちをかき混ぜた。

深夜。
ベジータは自宅のプライベートルームにいた。
食事もとらず
シャワーも浴びず
ブルマにもトランクスにも会わないで
一人そのときを待った。

開け放された窓から雨の匂いが漂う。
徐々に夜空に雲が広がる。
風も強くなってきた。

でも、いまは
窓から差し込む月明かりが
彼の髪を青白く照らしていた。
黒い瞳に
星影が映っている。
今の彼は戦士でも
地球に住むサイヤ人の王子でもない。
ただの男であった。
叫びたい衝動が
彼を何度となく襲う。

今の彼は獣にかえろうとしていた。

全てのしがらみから
全てのものごとから
彼は開放されたいと願っていたのか。

何かが起こる。
それが今夜だ。

それを彼は自分の身体で感じていた。
鳥肌がプツプツと音を立ててたつ。
黒髪が震える。

突然。

ベジータの全身をしびれるような
熱い感じが突き抜ける。
ベジータは目を閉じた。
狂おしいまでの快感と喜びが
一気に彼の下半身から脳髄に向かって突き抜けた。

奴が…来る!

背後に誰かが現れた。
ベジータは向きもせず
窓の外を見ている。
その気は静かに
ベジータの背後に近づいてきた。

太い腕が彼の背中から
胸のほうにまわされる。
覆い被さるように大きな影がベジータをつつんでいく。
背中から伝わる無邪気で大きな気。
それがベジータの気持ちをぐさぐさと揺さぶる。

「今日はおこんねえのか。」

声の主は悟空だった。
ベジータに背後から腕をまわしたまま
悟空はどんどん体重をかけてくる。

「いいのか?」

ベジータがつつまれて生きてきたその臭い。
それが彼からベジータのほうに流れてくる。
奴の体内から匂ってくるのだとベジータにはわかる。

ベジータが静かに口を開く。

「貴様の変化に俺が気づかないとでも思うのか。」
「まあな。」
「いやな野郎だ。」
「…おら、おめえには隠し事をする気はねえさ。
だからきたんだ。」
「ふん」

ベジータはゆっくり目をあけた。

「入院すると聞いた。」
「ああ、ブルマに聞いたのか。」
「そうだ。」

悟空は
ベジータのうなじに顔を摺り寄せた。
悟空のいかにも頑丈そうな皮膚が
ベジータの白く滑らかな肌を刺激した。

ベジータは黙ってこぶしを握った。

「明日入院だと聞いたが。」
「ああ
…みんなに心配かけたくねえからな。
チチの言うことを聞くさ。」
「…だが」
「ん?」
「入院しても意味はないんじゃないのか?」

悟空は一瞬黙り込んだ。

「ねえよ。」
「やはりな」
「…仙豆もきかなかったんだ。
ドラゴンボールもまにあわねえ。
もうカリン様のとこにもいったし
神様にも逢って来た。
…かんげえてたとおりのことだったさ。」
「そうか」

ベジータは振り向けなかった。
彼の記憶にこびりついたこの臭い。
死を迎える人間の
臓物から発せられる腐った臭い。
何度も何度も戦場で嗅いできた臭いであった。
その臭いが
間違いなく悟空の腹の中から漂っている。

それが事実だ。

死んでしまうのか
カカロット。
やはり貴様は。

窓から差し込む月明かり。
その青い光に照らされて
悟空はベジータの体温を確かめる。
何をするでもなく
ただ背後からベジータの身体を抱きしめる。
ベジータは自分の心臓の上におかれた彼の左手の上に
そっと自分の手のひらを重ねてみた。
乱れて不規則な悟空の脈がベジータの身体に伝わってくる。

「ベジータ。
…おめえのことが心残りだ。」
「大きなお世話だ。」

ようやくベジータは口を開いた。

「貴様がどうなろうと俺の知ったことか。」
「…」
「俺様に慰めて欲しかったのか?
残念だったな。
強ければ生き弱ければ死ぬ。
ただそれだけのことだ。
貴様など…さっさとしんじまえ。」
「ベジータ
…おらは…おらはずっとおめえが気になっていた。」

急に悟空の腕に力が入る。
後ろ向けだったベジータの身体が引き寄せられ
悟空と向かい合った形になった。

ベジータの瞳が大きく開いた。

「馬鹿野郎!
俺の顔を見るな!」

ベジータが悟空を突き放そうとした。

「ベジータ!」
「やめろっ!
みるな!」

ベジータの両手首を捉えるカカロット。
一気に壁に彼を押し付けた。
ベジータは必死で悟空から顔をそむけようとする。
スタンドが音を立てて倒れ明かりが消えた。
闇が二人を包んだ。

悟空は突然映像を見た。
それはベジータの記憶が
悟空に流れ込んだのか…。

薄暗い部屋の中で
ベジータがただ座っていた。
窓もなく明かりもない狭い部屋。
いす代わりの便座の上で
ベジータは一人座っていた。
顔は腫上がり
戦闘服はぼろぼろで
髪が血のりで固まっていた。
周囲には
食べ物らしい物も
飲み物らしい物も
何ひとつ見当たらなかった。

ベジータ?
おめぇベジータか?
こんなとこで
何やってんだ?

幻影としりつつ悟空は語りかける。
悟空ははっとする。
顔をあげたのは
まだ息子の悟飯よりも
はるかに幼いベジータだった。
あまりの残酷な姿に
悟空は思わず声をあげた。

誰にやられたんだ、
ひでぇけがじゃねえか。
誰も助けてくれねえのか?
おめぇは一人なのか?

悟空が聞くと
まだ幼児のベジータが
静かに顔を上げた。
そしてわずかに
唇をゆがませた。

そうだ。
俺は一人だ。
これまでも
これから先も。

おめぇはそうして生きてきたのか。

そうだ。
誰も信じず
誰にも信じられないで
生きてきたのさ。
そしてこれからも
こうだ…。

痛い
ねじ切れるように痛い。
ベジータの痛みが
悟空にも伝わる。

「ベジータ…お前、泣いてるのか?」
「うるさい」

ベジータは必至で顔をそむけた。

「俺の顔を見るんじゃねえ!」
「わかんねえよ。」
「黙れ…」
「暗くてさ、よくわかんねえよ。
…見えねえさ。」

ベジータは悔しそうに
歯軋りを続けた。

「なあ、ベジータ。
おらはもう長くねえ。」

ベジータが顔をあげた。
そのときはじめて悟空とベジータは向かい合った。

「ベジータ」
「…」
「このことがはっきりわかってからは
おら、できる限りのことはした。
チチにも悟飯にも後で後悔しねえようにさ。
おらが出来ることは済ませてきた。」
「…」
「おら死ぬのは怖くねえ。
一回死んでッからな。」
「もういうな、カカロット…。」
「最後はおめえだ、ベジータ。
おめえは
地獄に連れて行く。」

ベジータは悟空の顔を思わず見た。
とても冗談とはいえない表情だ。
黒髪でありながら
悟空には明らかに
殺意があった。
いきなり悟空はベジータの首に両手をかけた。
頚動脈を抑えられて
ベジータは全身がしびれた。

「がっ!」

ベジータはその手をはずそうとした。

「おめえはおらがいなくなったら
又悪い奴に戻っちまうかもしんねえからな。
おめえだけはこの手で殺しておくさ。」
「くそっ…!」
「超化できねえおめえなんて
おらにとっちゃあ子どもみたいなもんだ。」

ベジータは悟空の腹を何度も蹴り上げた。

「無駄だってベジータ。
おめえはできるだけいてえ思いをさせて
殺してやるさ。」

左腕一本でベジータをつるし上げた悟空。
そのまま右の人差し指を額に当てた。

「おめえに見せてやるよ
宇宙一強いサイヤ人の姿をな。」
「やめろ!!
カカロット、超サイヤ人になるんじゃない!!!」
「なぜ?」
「俺にはわかるんだ
超化は貴様の死期をはやめる。」
「いいさ」
「やめろぉお!」

ベジータはいつか叫んでいた。

孫悟空は反吐が出るほど嫌いだ。
カカロットは殺したいほど憎い。

だが
超サイヤ人になったあいつは
どうなんだ。

ガラスのような碧眼の
金糸のような髪を持つ
大理石のように輝く
白い肌を持つ男。

とてつもないパワーを誇り
不可能を可能にした戦士

あいつはどうだ。

あいつの瞳は
俺をどうかさせる
視線が全身に突き刺さって
動けない。
俺は、俺は!

死ぬな
死ぬな、カカロット!!!
























悟空は北の高地に移動していた。
誰にも邪魔されずに
最後の時間をすごしたかった。

頭上には薄黒い雨雲が広がっており
遠くから雨の匂いが漂ってきていた。
生臭い風が吹き渡り
これからの嵐の時代を予告するようだ。

はるかかなたで光る稲妻が
彼らに夏の終わりを告げていた。

彼はベジータと向かい合っていた。
もうほとんど全裸のベジータは
黒髪のままで
全身を真っ赤に血で染めながらも
それでも
燃えるような光る瞳で
悟空をにらみつけていた。

いいぜ、ベジータ。
その顔
最高だ。

どんなに離れていても悟空にはわかる。
この冷たくて
突き放すような
それでいて
さびしく痛い
ベジータの気。
手を伸ばせば逃げていき
つかむと指の間からこぼれてしまう
ベジータの気。
それが
最後のサイヤ人
ベジータの気だ。

「勝手に死ぬな、カカロット!
貴様を殺すのはこの俺様だ。」

ベジータはうわごとのように繰り返した。

超サイヤ人に目覚めることが出来ず
いつも悟空に組み伏せられるベジータ。
絶対的な力の差がそこにあった。
しかし
それでも彼は喰いついてくる。
肉が裂けても
骨がへし折れても
ベジータは喰らいついてくる。

「貴様を殺す、
貴様が憎い!
それが俺の全てだ!」

ベジータのガラスのようなプライドに
身も心も切り裂かれながらも
悟空は感じていた。

違うぜ、
違うぜ、ベジータ。

おめぇはおらが
好きなんだ。

おめぇはそうやって生きてきたんだな。
好きだなんて感情を
認めないで生きてきたんだな。

弱い自分を見せた相手を
殺しながら
多分今まで生きてきたんだな。

違うぜ、ベジータ。
弱いってことは
恥ずかしいことじゃねぇんだ…。
人を好きになってもいいし
心を許してもいいんだぜ。

もちろんそんな言葉がベジータに届くはずもない。
わかっているけれど
ベジータの攻撃を受け止めながら
やはり悟空は思うのだった。

過去にとらわれるな、ベジータ
おめぇはすげぇ奴なんだから・・・。

そのとき。
輝くベジータのエネルギー波が
悟空の左の頬を
ざっと音を立てて掠めていった。
悟空の頬がわれ
ピンクの肉が剥き出しになり
真っ赤な血しぶきが上がった。

にやりと笑うベジータ。

「ざまあみろ」

しかし
ベジータは力尽き
そのまま
はるかな地上に落下していったのだった。



硬く冷たい
岩盤の上に
血の気のない顔のベジータが
ぼろぼろで倒れていた。
全身の皮膚がずたずたに裂けて
色鮮やかなあらゆる物が体からはみ出ていた。
それでも胸がわずかに動いている。
「さすがだなベジータ。
こんな状態でも息があるなんてさ。」

悟空は静かに下りてくると
満足そうに微笑んで
小さい身体をしっかり抱き上げた。

「…だが超化は無理だったか。」

悟空はベジータの黒髪をそっとなでてみた。

「おめえはまだ失っていないんだな。
命より大事な物を。」
「…うるさい奴だ」
「…ほら、仙豆を食わせてやるさ。
おらたちゃ死にかける度に強くなるんだろ?」

ベジータが
ふっと笑った気がした。
そしてそのまま
ベジータは意識を失った。










東の空に
大きな稲妻が走った。
そして
終わりは突然やってきた。

悟空は思わず左胸を抑えた。
一瞬息が止まったのだ。

いよいよか、と思った。

苦しい。
あまりの息苦しさに
悟空は顔を上げることが出来ない。

(やべ…!!!
胸が…)

ただ必死に帯の隙間に指を入れ
仙豆を探る。

(ベジータに食わせねえと…
しっかりしろ、悟空。
ベジータだけが頼みの綱なんだ…)

震える指でつかんだ
一粒の仙豆。
そして彼はかすかな未来への希望を持って
何とかそれをベジータの口におしこんだ。
そして悟空は次にもう一粒の仙豆を
自分の口にも入れようとした。

だが指が震えて
冷や汗ばかりが出る。

(あっ…)

そのときちいさな仙豆は
音を立てて岩の間に転がり落ちた。

(しまった。
だめだ…くそっ)

視界にベジータの姿が映る。
が次第にそれもかすんで消えていく。

冷たい汗をにじませた彼は
額に指を当てると
とにかくどこかへ消えようとした。

ベジータにこの姿を見せたくないと思った。
しかし何度も突然意識が飛んで
瞬間移動が出来ない。
何とか力を振り絞り
悟空はベジータの身体の上に覆い被さった。

ガードの壊れた精神から
ベジータの心が
悟空の中に流れ込んで来る。
みたこともない
惑星ベジータの景色や
王宮の内部の様子が「カカロット」の中に流れ込んでくる。
多くのサイヤ人の姿が
洪水のように流れ込む。
中には
ラディッツの姿もあった。

(へへ…じゃあ、あの隣の奴が親父なのかな?
なんだかおらにそっくりだ)

映像とともに
流れ込む
ベジータの激しい感情が
悟空の
魂を掴んで掴んでかき回す。

いいぜ
ベジータ!
もっと
来いよ…。
おらに
おめぇの全てを見せてみろ!!!

悟空はもう一度ベジータの身体を抱きしめたいと
何とか立ち上がろうとした。
しかしそれはかなわず
彼は四つん這いになるのが精一杯であった。

次第に雲が重くたれ
遠くの方で雷のなる音が聞こえ始めた。
悟空は雨雲の間からかすかに覗く
二つの星の光を仰いだ。

(最後のサイヤ人・・・)

ポツリ、ポツリと雨のしずくが落ち始め、
山吹色の道着をぬらし始める。
その雨粒は次第に大きくなり
音を立てて
彼らに降り注ぐ。
悟空は守る
ベジータの体を。
冷たい雨から
王子を守る。

ついに黒髪に戻る悟空。

そのとき
ベジータの頬に
暖かい水の雫が
ひとつ
落ちた。

悟空の身体が
どんどん
冷えていく。








(バイバイ、ベジータ…。)








・・・ベジータ。
はなれたくない。

死んでほしくないのだ、ベジータに。
生きていてほしい。
私とトランクスのためだけに。

それはそんなに贅沢なのぞみなのだろうか?
愛する人に生き延びてほしい、
それだけのことが。
なぜそんなささやかな希望がかなえられないのだろう?









1幻の男

白い翼を持った大きな鳥が
水面を飛び立った。
きらきらと輝く水のしぶきが
ぱあっとあたりにちらばって
日の光を反射し
ベジータの顔を照らす。

白い肌に黒い髪
黒い瞳のベジータは
岸辺から立ち上がる。

休息の時は終わった。
そう思った。
ベジータは北を目指して飛び上がった。
あの岩山をもう一度みておこうと思った。
残された時間はもうほとんどない。
もう自分には。
だから。

なぜかそう判っていた。
それは戦闘民族である彼の血
獣の本能というものだろうか。

空を行きながらベジータは大きく息を吸う。
肺に透明な空気が入ってくる。
ここのところまともに何も口にはしていないが
ひもじいとは思わなかった。

うまい空気だ。
今の自分にはこれが何よりのご馳走だ。

地球。
この美しい惑星の
愛すべき自然。
・・・すばらしい。

こんなことを考えるとはな。

ベジータは周りをもう一度見渡す。
目的の場所が視界に入った。

色のない世界。
荒れ果てた土地。
ベジータはしっかり大地を踏みしめる。
不自然に砕かれた数多くの岩山。
大きな一枚岩の断片に
べっとりとついた赤黒い血。

ベジータはその血のしみをそっと手のひらでなでてみた。

カカロットの流した
血の跡だ・・・。
そして俺の流した血の跡だ。

手のひらに伝わる
純粋なサイヤ人の何か。
ベジータは眉をひそめた。

荒れ放題の岩山。
周囲の景色を変えたのは
かつてのベジータとカカロットであった。
カカロットを憎み
殺したいと願い
そして生きてきた。

ちくしょう。

転がる石ころ一つ一つにまで
カカロットの気が感じられるように思う。

慣れ親しんだこの北の荒地の風景も
もう見納めになるだろう。
岩だらけの何もない荒れた土地である。
しかし。
ここには最後の純粋な2人のサイヤ人が
過ごした記憶がある。

…ふと彼は足元の小さな虫に目を落とす。

おかしな物だ。
今となればこんな物ひとつさえいとおしい気がするとは。

…俺も変わったもんだ。

ベジータは苦笑いを浮かべる。

…カカロット。

この2,3日の間ベジータは
不思議な感覚に浸っていた。
自分の意識が夢と現の間をさまよっているような気がした。
見えないものが見え、
聞こえない声が聞こえる気がする。
過去の出来事が今のように思い出され
死んでしまったはずの人物が語りかけてくるのだ。

ベジータ王。
バーダック。
顔の見えない自分の母親。
ビスナ。
そして…。
自分を通り過ぎていった多くの人物が。

これはいったいどういうことなんだろう?

それはあるときは笑顔で、
あるときは無表情にベジータの脳裏に現れる。
絶命する寸前の
おぞましい表情のときもある。
それなのに…。
自分の気持がとても穏やかなのにも驚かされた。
この平和な世界に突然現れた二人の人造人間。
美しい二人の男女。
その外見からは想像もつかない強さと冷酷さを誇る。

かなわなかったのだ、ベジータは。
力の差は絶望的に大きい。
あまりにも。

ベジータは大きく息を吸い込んでみる。

心が穏やかだ。
今の自分に恐怖はない。
希望のない戦闘を前にして
自分の気持がこんなに平安なのはどうしてだろうか?
何故なのだろう。
人造人間の力は十分身にしみているはずなのだ。


ベジータは自分の背中にそっと手を当ててみる。
新しい肉の感触がはっきり伺える。
皮がまだ引きつってかすかな痛みを感じる。
この傷がいえるまでに今までかかってしまったのだ。

ベジータは天を仰ぐ。
どこまでも蒼い空が
頭上に果てしなく広がっている。
白い雲がぽっかりと漂っている。
太陽の光が
降るように彼に注がれている。

ベジータは思った。

俺は悟っているのかもしれない。
迫るくる死を。

この場所でベジータはこの数年間の間
さまざまな出来事を経験した。
戦闘員としてではなく
一人の男
ベジータとしての人生がここにあった。


サイヤ人の王子でありながら
自分の星を失い
戦闘マシーンとして生きてきた自分にとって
超サイヤ人になることがどれほど重要な意味をもっていたことか。
それをカカロットに出し抜かれた悔しさに
わが身を切り裂いて荒れたこともあった。
ちぢまないカカロットとの力の差。
自分の力のなさを腹を突き破るカカロットのこぶしに
思い知らされたこともあった。
あの痛みは今でもはっきり覚えている。
その痛みこそが
生きている実感だったのだ。

ベジータはしばらくたったまま光る雲をみていた。
信じられないほど青い空である。
抜けるような高い空だ。
この空があの暗黒の宇宙につながっているとは
なぜか今は信じられない。

あの空のどこかに…死後の世界があるのか?
カカロットの奴はいったい今ごろ何をしてやがるんだろう?

かっては宇宙最悪と怖れられたベジータである。
フリーザの命令のままに数々の星を破滅させ
数え切れない命を握りつぶしてきた。
容赦なく。
強ければ生き弱ければ死。
それがすべてだと考えていた。
だから生きる意味も考えていなかったし
死ぬ意味も考えたことがなかった。
当然死後の世界があるなどとは思いもよらなかったのだ。

既にカカロットは闘わずして病に倒れた。
頼みの仙豆も病にはきかなかったのだ。

ピッコロが命を落としたのはその数日後のことである。
そしてこの地球からドラゴンボールは消えてしまった。
いつしか仙豆もそこをつき
仲間たちは次々と命を落としていったのだ。
幼い悟飯一人を
ただ一人残して。

馬鹿野郎、
カカロット。
戦闘民族なんだぜ、俺たちは。
病気で死ぬなんて
貴様は馬鹿だ。
どうしようもなく。
貴様はやはり
…くそったれだ。

ベジータは自分に言い聞かせるようにつぶやく。

自分の人生などもうとっくの昔に捨てている。
死ぬために俺は生きてきたのだ…。

だが。

そのとき。
眼前に浮かび上がる山吹色の道着の男があった。
ベジータは目をこらす。
金色の髪の光り輝くその姿は
間違いなく
カカロットである。

きやがったのか、貴様。

ひときわ大きく聳え立つ岩山に立っているカカロット。
風に髪がなびき
その瞳は水晶のように透き通って見える。

それは…。
ついにベジータがたどり着くことが出来なかった
伝説の超サイヤ人の戦士の姿であった。
戦闘の神、超サイヤ人。
あれは
俺がなるべき姿だったのだ。

岩山の上のカカロットは
不敵な笑いを浮かべて
光る瞳でベジータを見下ろしている。

カカロット。
最後に会いにきたのだな。
貴様とはもうあえないからな。
もし死後の世界があったとしても
貴様は天国、
…俺は地獄だからな。

「はっ!」

ベジータはそのカカロットの幻影に向かって
両手から
蒼いエネルギー弾を発した。
それはまるで何かの祝砲のように
大空へ輝き、弧をかきながら飛んでいく。

カカロット…
わらってやがる、・・・。
まぼろしでさえも癪に触る野郎だぜ。









2カプセルコーポの夜


「ベジータ君。」

ブリーフ博士が思わず立ち上がった。
声が上ずり
足が震えた。
そのブリーフ博士の声にブルマの母親が反応し
思わず手に持っていたカップを落としてしまう。
大きな音を立てて
白いカップが粉々に割れた。
ブリーフ博士はベジータに一歩、また一歩と近づいていく。
おそるおそる。
そして彼の姿を何度も確認した。
ベジータの戦闘服は
焼け爛れたようにぼろぼろになっていた。
身体にそれはべったりと血糊で張り付いている。
こびリついて黒くなった血の塊が
ベジータの受けた
ダメージの深さを物語っている。

ブリーフ博士は言葉を飲み込んだ。
娘が死ぬほど心配しているのに
連絡の一本も入れなかった冷たい男に
浴びせたかった言葉は山ほどあった。
然し。
ベジータのこの姿がすべてを物語っていると思った。

「生きていたのかね、
本当に…」

ブリーフ博士は声をふるわせた。

「…生きていたさ」

そう一言小さく答えると
ベジータは次にブルマの母親を見つめた。
ブルマの母親は
瞳から大きな涙を流していた。
透明な涙は
彼女の頬を伝わり
とどまる様子がない。
それをみるベジータの眉が
少し動いた。
彼がはじめて見せた悲しげな表情だとブ
リーフ博士は思った。

「いってやって…お願い」

ブルマの母親はそれだけ
何とか言葉を伝える。
口が上手く動かないようだった。
涙だけがどんどん流れて
彼女はとうとう
ブリーフ博士の腕の中に
倒れこんでしまった。

「ブルマにあってくれ
・・早く」

ブリーフ博士もはっきり言った。
妻の体を支えながら。

ベジータはかすかにうなづいた。
そして彼はあたりををみまわしたようにみえた。
リビングの片隅には
ちいさなベビーサークルがある。
ベジータは黙ってそれを見つめていた。
そして。
決心したように大きく息を吸う。
ベジータは黙って歩み寄った。
遊び疲れて眠るトランクスが
そこにいた。
丸い頬。
小さな手足。

「・・・」

ベジータは黙ってトランクスを見つめる。
抱き上げるでもなく
ただそれだけであった。
そして結局ベジータは
なにもしないで
黙ってリビングを出て行った。

「抱いてやらないのかい?」
「・・・興味が無い。」

そういいながらもベジータは
ブリーフ博士に自分の顔を見せようとはもうしなかった。

「そんなことないじゃろう!」

ベジータはこたえなかった。
妻の背中を抱きながら
ブリーフ博士は唇をかみ締めた。




暗い廊下に響くブーツの音。
ベジータは
ブルマのプライベートルームのドアの前にたった。
ドアにはロックがかかっている。
無表情のベジータは無言で
ドアを引きちぎるように開いた。
配線が切れて火花が飛び
焦げ臭い匂いが漂った。

ベジータは立ち止まる。
室内はほんのり明かりがついており
彼女の香りで一杯だった。

ブルマはベッドの上に倒れていた。
そう。
眠っているというより気絶しているような印象であった。
デスクの上には開かれていない書類や封筒が山積みで
灰皿からはタバコの吸殻が溢れていた。
ベジータは歩みを止めた。

彼女に声をかけようとして思いとどまる。

ベッドに横たわるブルマは
ベジータの戦闘服を抱いていたのだ。
薄汚れた戦闘服を。

「ばかな女だ・・・
こんなものを・・・。」

そういいながらも
ベジータの胸が、つよく痛む。

ベジータは黙ってベッドの傍らに
腰をかけた。
ベッドが大きくきしんだが
ブルマは全く目覚めなかった。

少し痩せたか。

そんな気がした。

ベジータは手袋を脱ぐ。
そしてベジータは左の手のひらを
ブルマの髪にもぐらせた。
温かな地肌が
ベジータに
ぬくもりを伝える。
生きているというのは
こんなにも暖かいものなのだ。

地球に来て
もう何年になるだろうか。

ぼんやりとしたベジータは彼女の髪をもてあそびながら
思いをめぐらせた。
つややかなブルマの髪。
ベジータの指に
生き物のように絡みつく。

次第に夜が更けていく。

「ベジータ」

しばらくするとか細い声がした。
ベジータは視線を落とす。
ブルマの大きな瞳が
開いていた。

「おかえり」

ブルマは何事もないかのようにそう声をかけた。

「うつらうつらと眠っちゃった」

上半身を起すブルマ。
ベジータは黙ってブルマの手をとった。

「起してくれればよかったのに…」
「今戻ったところだ。」
「ね。
シャワー、浴びる?」

ブルマはベジータにシャワーを勧める。
ベジータは黙って言葉に従った。
Zその場でべりべりと
戦闘服を引き剥がす。
生傷だらけの
肉体がブルマの前に現れた。

「何か食べるでしょう?」
「ああ。」

ブルマがベジータに白いタオルを手渡した。
白い指がそっと触れ合う。
ブルマの頬が赤く染まった。
シャワーを浴びたベジータは
タオルで全身をぬぐいながら
再び彼女の前に現れた。
バスローブを無造作にはおった彼は
ブルマに声をかけた。

「ブルマ」
「なあに、ベジータ」
「部屋の明かりはつけないほうがいいんじゃないのか?」
「そう?」
「明かりをつければ人造人間に攻撃目標を知らせるようなもんだ。」
「そうね・・・でも・・・。」

彼女はいった。

「死んじゃうときは
どうやっても死んじゃうわよ。
私はいやなの。
トランクスや
パパやママの顔が見えないのは。」

ベジータが答える。

「死んでしまえば元も子もあるまい。
…何も家中の明かりという明かり全
部つけなくとも」

ブルマはふっと笑った。

「だって、ベジータがそういうなんて。」
「…おかしいか?」
「おかしいわよ。
真っ暗にしてたら
ベジータがここに帰ってきても
はいってこないかもしれないじゃない。」

ベジータは黙り込んだ。

「ベジータの馬鹿」

ブルマが唇を震わせた。

「生きていたなら
どうして教えてくれなかったの?
あたしがどんなに心配したか
そんなこともわからないの?」
「・・・すまない」

ベジータはブルマの背中にそっと手を回した。

「ほんとうにすまなかった。」
「ひどいひとね。」

それでも彼女は自ら体を倒して
自分の胸の上に
ベジータの身体を引き寄せた。
やわらかい
すべすべした肌が
パジャマがめくれて
ベジータの前に現れる。
彼女のいい香りが
ベジータの五感にしっとり絡みつく。

ベジータは黙ってそれに従った。
あたたかく
やわらかく
なまめかしく
それでいて無力なその肉体が
ベジータを飲み込もうとする。
しびれる。
手のひらが
背筋が。
ブルマはベジータの顔を自分の顔のほうに両手で引き寄せる。
ベジータは自分の体重をその弱い身体に預けた。
ブルマの体からベジータの頬に伝わる血流の音。
それはベジータの心臓の音といつしか重なり心地良いリズムを奏でる。
彼女の肌が自分に溶け込んでいくような気さえする。

「冷たい…」

ブルマが小さくささやく。
何度も何度もベジータの頬をなでさする。

「ベジータの顔っていつも冷たいのね。」
「違う」

ベジータは一呼吸おいて続けた。

「…おまえが暖かいんだ…」

ベジータもブルマの頬をそっと両手ではさみこんで
何度も何度もいとおしそうに
その顔を自分の顔にあてがった。
ブルマの涙が頬を伝い
ベジータの手のひらをぬらしていく。

「ブルマ…」

ベジータがささやく。

「俺を抱いてくれ。」






3夜明け前


まだ夜も明けやらぬ暗いうちに
ベジータは目を覚ました。
いつもと違う暖かい感触に
一瞬はっとする。

そうだ。

自分で自分に言い聞かせてやる。
ここはいつもの瓦礫の中ではない。

ほんのりと柔らかな光で
かすかにライトアップされた室内。
ベジータと同じベッドには
ブルマがねむっていた。

いまベジータの腕の中には
柔らかなブルマの髪がある。
ベジータは右肩を下にして
彼女の身体を抱いたまま眠っていたのだ。

やわらかい。
本当にやわらかい体だ。
彼女の目じりにかすかに涙の跡が伺えた。
細く滑らかな白い身体が
今彼の目の前にある。
およそ戦闘には
何の役にも立たない弱い肉体が
ここにある。
ベジータはブルマの背中に腕を回した。
傷つけないように
そっとそっと抱きしめてみる。

…いい香りだ。

この何年かベジータが
親しんだ香りだ。
ベジータは何度も何度も
ブルマの髪に顔をうずめた。
その香りを
何度も何度も慈しんだ、
今の彼女の体は無防備で
ベジータの思うがままである。
然しそれは恐怖や力によるものではない。
彼女は今まで
自らをすすんでベジータに与え
ベジータもそれに応えてきた。
力の差は絶大だが
2人は対等だったのだ。
どちらが主でもなく
従でもない。
そして
彼はいつしか気づいたのだ。
自分が鍛えに鍛えたこの強靭な肉体が
ブルマのもつ
か細い体に
いやされていたことに。

性欲の発散なら
今まで数え切れないくらいに経験した。
征服した星に
旗を立てるように
泣き叫び
逃げ惑う
その星の女を汚し
陵辱してきた。
それが自分なのだと
自分にいい聞かせて生きてきた。
また性的なつながりであれば
ビスナとの暮らしに勝る物はなかった。
毎日が死と隣り合わせの
極限の世界で
殺されない為に
身を守った。
残虐と絶望の中での絶望的な生活。
乾いたふたつの魂が
求め
求められ
複雑に絡み合い
血を浴びながら交わりつづけた生活。

だが。
果たしてあれが「くらし」といえたのか?
保護と教育という大義名分の元に行われた
さまざまな行為。
その結末は
…もう思い出したくない。

ベジータは思い出す。
ビスナとの
あのような暮らしの中でも
このようにともに
ベッドで眠ることはありえなかったと。
ことが済んだ後のベジータは
傷つけられた痛みをこらえ
いつも床に転がっていたのだ。
そう、いつも、いつも。

今ベジータの体は
夢と現の間をいったりきたりしていた。
なのに意識がはっきりしていて
やけに思い出がリアルに感じられる。
生々しい血の感触が
手にねっとりからみつく。
受けた傷の痛みが
どくどくという血流の音とともに
蘇ってくる。
痛みすらよみがえる。
ちいさなころから戦いにだけ生きてきた
ベジータである。
弱い物はすべて否定してきた。
弱ければ殺されるからだ。
弱い物に生きる価値はないのだと
思い知らされてきたからだ。
弱い自分を否定したくて不老不死を願い
支配者としてのフリーザに立ち向かった自分も
サイヤ人の王子としての自分を差し置いて
伝説の超サイヤ人となったカカロットを
心から殺したいと考えていた自分も
すべて同じ自分だ。
自分だったのだ。
全宇宙を恐怖に陥れ
あらゆる生き物から忌み嫌われた
残虐非道な戦士は
この俺だったのだ。

ベジータはそれを忘れているわけではない。
地球での平和な暮らしが続くと
それまでの自分の生き方が
おかしかったのではないかと
違和感を覚えて苦しんだこともあった。
ブルマと穏やかに暮らす自分が
戦士としての自分を否定するのではないかと
悩んだこともあった。
戦士としての過去を否定すること。
それは
ベジータの人生そのものを否定することだから。

フリーザ軍がすべてだった約30年間。
そして今ブルマとともにいる自分。

どちらも自分なのだ。

そんな当たり前のことに気づくまで
何年もかかってしまった。

ふと我に帰るベジータ。
時計を見る。
午前3時50分。
夜明けまでまだ遠い。






ブルマが目覚めたのは東の空が白み始めたころ。
目覚めたブルマは
ほっとする。
ベジータの白い裸体が自分の目の前にあったからだ。
そっと彼の体に手を伸ばす。

とても暖かかった。

ブルマは思い出す。

仙豆をなくした戦士たちの戦いは
それは
無残であった。
ブルマはそのなきがらを
泣き叫びながら
ただ一人で拾い集めたのである。
ばらばらに散らばった人体であっても
やはり大事な仲間たちだった。
どんな小さな肉片ものがさまいと
赤い泥水の中にはいつくばる姿は
狂人のようだったに違いない。

そのあとブルマの心は
長い間壊れてしまっていた。
感情を失い
言語を失った。
トランクスがいなければ
あのまま狂って死んでしまっただろう。
それほど残酷な光景だったのだ。
飛び散る冷たい肉隗。
あちこちに溜まっていた血の池。
あまりの衝撃にそのなきがらの中に
いったい誰の姿があったのかを
忘れてしまうほどだった。

覚えているのは悟飯の姿。
泣くことさえ出来ずに
砂煙の中で立ち尽くす
幼い悟飯の
暗い
うつろな瞳。

あのときの私は
現実を受け入れたくなかったのだ。

ブルマは
そっとベジータの身体に手をかける。
そうだ。
その中に
ベジータの姿はなかったのだ。
然し
ベジータは
帰ってこなかった…。

そのベジータが
昨夜本当に何十日かぶりに
ブルマの元に戻ってきたのだ。
ベジータの
白い裸体はほんのりと
暖かい熱を発している。
彼の身体は生きている。
心臓が動き
血が流れているのだ。
無駄な肉のいっさいついていない
美しい筋肉の流れ。
間違いなくベジータだ。
然し無数に残る生傷の跡があった。
背中を真っ二つに横断する大きな傷跡は
かなり新しく
ミミズのように赤い肉が盛り上がっていた。

多分この傷のせいでベジータは動けなかったんだわ。

ブルマはベッドの中に横たわったまま、
黙って彼の寝顔をみていた。
きれいにはえそろった濃い眉。
男性とは思えない白くきめ細かい肌。
少し開いた唇はトランクスのそれとそっくりだ。

トランクスはベジータに似ている。
そして自分にも似ている。
そう思いながらブルマは
そっと人差し指でベジータの口びるに触れた。
ブルマの身体は昨夜のベジータを覚えている。
ベジータの重み、
ベジータの息遣いを思い出すだけで
体の中から熱くなる。
ブルマの手首に残る薄いあざ。
ベジータの手のひらの跡がそこにある。

やっぱりあきらめられない。

ブルマは声をこらえようとする。
それでも体の奥から声が漏れでてしまう。

ベジータ。
はなれたくない。

死んでほしくないのだ、ベジータに。
生きていてほしい。
私とトランクスのためだけに。
それはそんなに贅沢なのぞみなのだろうか?
愛する人に生き延びてほしい、それだけのことが。
なぜそんなささやかな希望が
かなえられないのだろう?

ベジータは闘うつもりだ、人造人間と。
だから私のもとに帰ってきたのだ。
この世に別れを告げるために。

ベジータ。
私はどうしたらいい?

何か彼にいいたいと思っていた。
この日がくるのはわかっていたから。
そう。
いつか。
だからベジータのいない間、
毎日毎日ブルマは彼への言葉を考えていたのだ。
でもついに
ふさわしい言葉を思いつくことは出来なかった。
ベジータは誇り高い戦士なのだ。
たとえ人造人間たちとの力の差が
歴然とあったとしても
彼は戦うのだ。
彼を止められる者は
もう誰もいない。

「やだ・・・」

ブルマはついに声を出して
泣き出してしまった。
一度堰をきったかなしみは
もう止めることが出来なかった。
嗚咽が彼女の身体を震わせ
抑えても抑えても
泣き声がのどからあふれ出る。

「…ブルマ」

ベジータが目を覚ました。

「どうして泣く…?」
「馬鹿。
そんなこともわからないの、あんたは。」

ベジータは小さく呟いた。

「泣くな。」

そしてベジータはブルマを強く抱きしめた。
今までなかったほどに強く強く。
ブルマはベジータの名を呼びながら
彼の体に何度もつめを立てた。
何度も何度も。

「ベジータの馬鹿。
あんたなんか
あんたなんか
大嫌い。」

そんなブルマの身体を下にして
ベジータはその両手首を
白いシーツに押し付けた。
ベジータがブルマの唇をふさぐ。

「あっ」

唇を割り
むさぼるように激しく求める。
息が出来なくて
ブルマが叫びをあげたが
ベジータはお構いなしにくらいつく。
そして
血がにじむほどその肌に吸い付いていく。
あまりの痛みに
ブルマが何度も声をあげる。

「俺が嫌いなのか。
おまえは、
俺が嫌いなのか。」
「あっ、…」
「おまえは俺が嫌いなのか」
「違う…
好きなの。
好きなのよ、ベジータが。
大好きなのよ!」

流れ出る涙。
ブルマの涙をベジータは唇でぬぐっていく。
丁寧に。
ブルマはベジータの名を何度も呼んだ。

突然
ブルマはベジータの両腕を振りほどくと
彼の手をとり自分の首にもってきた。
いつしか
ブルマは
泣き止んでいた。

「殺して。」
「…」
「あんたがいなくなるなら
もう生きてても仕方ない。
…私を…
…殺して。」

ベジータの瞳に真っ赤に目を泣きはらしたブルマが映る。
ベジータは
そっと手を伸ばした。
そして彼女の肩を
しっかり抱いた。

「馬鹿なことを…」

ブルマの体から力が抜けた。
肩が細かく震えて
涙の雫がぽろぽろと
ベジータの両手のひらをぬらした。

「泣くな。」

ベジータは左手で
ブルマの背中をを持ち上げた。
胸と胸がそっと合わさる。
そうしてベジータは
ブルマの滑らかなのど元にそっと唇を這わせ、
静かにつぶやいた。

「トランクスにはおまえが必要なんだ。」

そして続けた。



「お前は死ぬな。…生きるんだ。」






4 さらば、ベジータ




朝日が昇った。
それは素晴らしい夜明けであった。
2人は黙って東の空を見つめていた。
窓辺に寄り添って。
次第に地平線が明るく輝きはじめ
金色の太陽が顔を出そうとする。
それは
初めて2人で迎えた朝であった。
闇が白々とあける様子。
それをベジータ達はみていた。
手を取り合って。
何度もお互い握り返しながら
指と指を絡めて。

地球の夜明けは本当に美しい。
今までベジータが知っている
どの惑星よりもだ。
こんなに透明な星が
かってあっただろうか?
こんなに荒れた世界でも
陽が昇れば小鳥のさえずりが聞こえる。
空気はあくまでもすきとおり
不純物は混じっていない。
風がさわやかにふいていて
ベジータの頬にそっと触れていく。

こんな星はそうそうあるものではない。

よく破壊しなかったもんだ。

ベジータは自分の過去を思い出し
照れくさそうに少し笑みを浮かべた。

そんなベジータに
ブルマは身体をぴったりとくっつけていた。
窓辺に寄り添い立つ二人。
ブルマは何度もベジータの指を噛む。
その体の感触を
暖かさを忘れる訳にはいかないと思った。
2人はしっかりと手をつないだ。
お互いの気持がそうすることで通い合うかのように。
確かめあった。
二人の気持を。
たとえどちらかの肉体が滅びても
残ったどちらかが
消えた命を伝えるように。

そんなことは無駄なことかもしれなかった。
でも
たとえ肉体が消え去っても
思いは残る。
死んでしまったとしても
記憶までは消すことは出来ない。

出会いとは
全て別れのはじめなのだ。
消え行くからこそ
想い出は美しいし
過去は貴重なのだ。

一人で生まれて
一人で死ぬ。
ただそれだけの命であるが
それが運命ならば
誰を憎むというのか。

過ぎ去るも良し。
消え行くのもまたいいではないか。

ベジータがブルマの身体を引き寄せる。
その細い腰を
自分の方に引き寄せて
長い足を
自分の身体に絡ませて
そして










ひとつになる。













全裸のまま
ブルマがテレビのスイッチを入れる。
苦笑いを浮かべ
ベジータがブルマにシーツをかける。
そしてまた抱き寄せる。

まるで普通の恋人同士のように
2人は普通の朝を迎えた。

ベジータとブルマは
無言でテレビを見ていた。
手をつないだままで。
まだ何とか写るテレビ映像。
なんでもない
どこかの風景が映っている。
音声が流れている。
が、ブルマにはどうしてもその言葉の数々を
聞き取ることが出来なかった。

そうだ、多分…。
2人でテレビを見るなどということも
今日が最初で最後だろう。

そう思うと
ブルマはベジータの手をぎゅっと握りなおした。
つめの大きい長い指。
とても白くて美しい手のひら。
戦士だけれど
信じられないくらい
やわらかい。

これがベジータの手だ。
ブルマとともに生きた
ただ一人の
サイヤ人王子の手のひらなのだ。

ブルマはその手を自分の胸に当てる。

そのとき。
テレビ画面に突然ノイズが走った。
音声が途切れ
一瞬画面が暗くなった。

二人は顔を見合わせた。
花壇の映像だった画面が静止画面に切り替わる。

その後画面がくらくなり
人造人間の緊急情報の字幕が現れた。
スーツ姿のアナウンサーが
青い顔をして原稿を読み上げている。
画面の端のほうでは
大騒ぎしている報道デスクの様子が映っていた。
それによると
2人の人造人間が
いま西の都に向かっているということであった。

ベジータの瞳が曇った。

「でやがったか・・・」

ベジータはいまいましそうに一言つぶやいた。

「ベジータ。」

ブルマはベジータの身体を必死で抱き寄せた。
彼を離したくなかった。
彼の腰に腕をまわし
腹筋に顔をこすりつけた。

わかれるのはいやだ。

ブルマの肩が震えて止まらない。
指先が氷のように冷たく感じる。

然しベジータは
ブルマにかすかに微笑みかけると
静かにブルマの腕を解いてしまった。

ベッドから立ち上がるベジータ。
黙って新しい戦闘服を用意する。
アンダースーツを身につけようとするベジータ。
普段と全く同じように淡々としている。
プロテクターに手をかける。
そして
ベジータが手袋をはめる音がする。
多分いつものように左手、そして右手。
ブーツのかかとで床をける音がする。

ブルマは思わず顔を両手でふさいでしまった。
耐えられなかった。
全身ががくがく震え出す。

然しベジータは靴音を響かせ歩き出した。

いってしまう…!
もうあえなくなる!

ブルマはベッドから飛び出した。
足がもつれて床にひざをつく。
目にはいっぱいの涙が溢れていた。
唇が細かく震えて
…言葉がでなかった。

ドアのところでベジータは
ゆっくり振り向いた。
一度だけ。
ブルマをみるベジータの顔からは
既に感情が消えていた。

ブルマは絞り出すような声で訴えた。

「ベジータ…いっちゃやだ・・・」

ベジータは振り向かなかった。
自分が壊したドアに手をかける。
ドアを押しのけると朝日が差込み
ベジータの全身を光が照らした。
そのシルエットは陽光の中に
今にも消えそうにブルマには見えた。

「ブルマ…」

ベジータはいった。
前を向いたまま。
小さいけれどはっきりとした口調で。
確かに彼はこういった。


「俺のことは忘れろ。」