・・・ベジータ。
はなれたくない。
死んでほしくないのだ、ベジータに。
生きていてほしい。
私とトランクスのためだけに。
それはそんなに贅沢なのぞみなのだろうか?
愛する人に生き延びてほしい、
それだけのことが。
なぜそんなささやかな希望がかなえられないのだろう?
1幻の男白い翼を持った大きな鳥が
水面を飛び立った。
きらきらと輝く水のしぶきが
ぱあっとあたりにちらばって
日の光を反射し
ベジータの顔を照らす。
白い肌に黒い髪
黒い瞳のベジータは
岸辺から立ち上がる。
休息の時は終わった。
そう思った。
ベジータは北を目指して飛び上がった。
あの岩山をもう一度みておこうと思った。
残された時間はもうほとんどない。
もう自分には。
だから。
なぜかそう判っていた。
それは戦闘民族である彼の血
獣の本能というものだろうか。
空を行きながらベジータは大きく息を吸う。
肺に透明な空気が入ってくる。
ここのところまともに何も口にはしていないが
ひもじいとは思わなかった。
うまい空気だ。
今の自分にはこれが何よりのご馳走だ。
地球。
この美しい惑星の
愛すべき自然。
・・・すばらしい。
こんなことを考えるとはな。
ベジータは周りをもう一度見渡す。
目的の場所が視界に入った。
色のない世界。
荒れ果てた土地。
ベジータはしっかり大地を踏みしめる。
不自然に砕かれた数多くの岩山。
大きな一枚岩の断片に
べっとりとついた赤黒い血。
ベジータはその血のしみをそっと手のひらでなでてみた。
カカロットの流した
血の跡だ・・・。
そして俺の流した血の跡だ。
手のひらに伝わる
純粋なサイヤ人の何か。
ベジータは眉をひそめた。
荒れ放題の岩山。
周囲の景色を変えたのは
かつてのベジータとカカロットであった。
カカロットを憎み
殺したいと願い
そして生きてきた。
ちくしょう。
転がる石ころ一つ一つにまで
カカロットの気が感じられるように思う。
慣れ親しんだこの北の荒地の風景も
もう見納めになるだろう。
岩だらけの何もない荒れた土地である。
しかし。
ここには最後の純粋な2人のサイヤ人が
過ごした記憶がある。
…ふと彼は足元の小さな虫に目を落とす。
おかしな物だ。
今となればこんな物ひとつさえいとおしい気がするとは。
…俺も変わったもんだ。
ベジータは苦笑いを浮かべる。
…カカロット。
この2,3日の間ベジータは
不思議な感覚に浸っていた。
自分の意識が夢と現の間をさまよっているような気がした。
見えないものが見え、
聞こえない声が聞こえる気がする。
過去の出来事が今のように思い出され
死んでしまったはずの人物が語りかけてくるのだ。
ベジータ王。
バーダック。
顔の見えない自分の母親。
ビスナ。
そして…。
自分を通り過ぎていった多くの人物が。
これはいったいどういうことなんだろう?
それはあるときは笑顔で、
あるときは無表情にベジータの脳裏に現れる。
絶命する寸前の
おぞましい表情のときもある。
それなのに…。
自分の気持がとても穏やかなのにも驚かされた。
この平和な世界に突然現れた二人の人造人間。
美しい二人の男女。
その外見からは想像もつかない強さと冷酷さを誇る。
かなわなかったのだ、ベジータは。
力の差は絶望的に大きい。
あまりにも。
ベジータは大きく息を吸い込んでみる。
心が穏やかだ。
今の自分に恐怖はない。
希望のない戦闘を前にして
自分の気持がこんなに平安なのはどうしてだろうか?
何故なのだろう。
人造人間の力は十分身にしみているはずなのだ。
ベジータは自分の背中にそっと手を当ててみる。
新しい肉の感触がはっきり伺える。
皮がまだ引きつってかすかな痛みを感じる。
この傷がいえるまでに今までかかってしまったのだ。
ベジータは天を仰ぐ。
どこまでも蒼い空が
頭上に果てしなく広がっている。
白い雲がぽっかりと漂っている。
太陽の光が
降るように彼に注がれている。
ベジータは思った。
俺は悟っているのかもしれない。
迫るくる死を。
この場所でベジータはこの数年間の間
さまざまな出来事を経験した。
戦闘員としてではなく
一人の男
ベジータとしての人生がここにあった。
サイヤ人の王子でありながら
自分の星を失い
戦闘マシーンとして生きてきた自分にとって
超サイヤ人になることがどれほど重要な意味をもっていたことか。
それをカカロットに出し抜かれた悔しさに
わが身を切り裂いて荒れたこともあった。
ちぢまないカカロットとの力の差。
自分の力のなさを腹を突き破るカカロットのこぶしに
思い知らされたこともあった。
あの痛みは今でもはっきり覚えている。
その痛みこそが
生きている実感だったのだ。
ベジータはしばらくたったまま光る雲をみていた。
信じられないほど青い空である。
抜けるような高い空だ。
この空があの暗黒の宇宙につながっているとは
なぜか今は信じられない。
あの空のどこかに…死後の世界があるのか?
カカロットの奴はいったい今ごろ何をしてやがるんだろう?
かっては宇宙最悪と怖れられたベジータである。
フリーザの命令のままに数々の星を破滅させ
数え切れない命を握りつぶしてきた。
容赦なく。
強ければ生き弱ければ死。
それがすべてだと考えていた。
だから生きる意味も考えていなかったし
死ぬ意味も考えたことがなかった。
当然死後の世界があるなどとは思いもよらなかったのだ。
既にカカロットは闘わずして病に倒れた。
頼みの仙豆も病にはきかなかったのだ。
ピッコロが命を落としたのはその数日後のことである。
そしてこの地球からドラゴンボールは消えてしまった。
いつしか仙豆もそこをつき
仲間たちは次々と命を落としていったのだ。
幼い悟飯一人を
ただ一人残して。
馬鹿野郎、
カカロット。
戦闘民族なんだぜ、俺たちは。
病気で死ぬなんて
貴様は馬鹿だ。
どうしようもなく。
貴様はやはり
…くそったれだ。
ベジータは自分に言い聞かせるようにつぶやく。
自分の人生などもうとっくの昔に捨てている。
死ぬために俺は生きてきたのだ…。
だが。
そのとき。
眼前に浮かび上がる山吹色の道着の男があった。
ベジータは目をこらす。
金色の髪の光り輝くその姿は
間違いなく
カカロットである。
きやがったのか、貴様。
ひときわ大きく聳え立つ岩山に立っているカカロット。
風に髪がなびき
その瞳は水晶のように透き通って見える。
それは…。
ついにベジータがたどり着くことが出来なかった
伝説の超サイヤ人の戦士の姿であった。
戦闘の神、超サイヤ人。
あれは
俺がなるべき姿だったのだ。
岩山の上のカカロットは
不敵な笑いを浮かべて
光る瞳でベジータを見下ろしている。
カカロット。
最後に会いにきたのだな。
貴様とはもうあえないからな。
もし死後の世界があったとしても
貴様は天国、
…俺は地獄だからな。
「はっ!」
ベジータはそのカカロットの幻影に向かって
両手から
蒼いエネルギー弾を発した。
それはまるで何かの祝砲のように
大空へ輝き、弧をかきながら飛んでいく。
カカロット…
わらってやがる、・・・。
まぼろしでさえも癪に触る野郎だぜ。
2カプセルコーポの夜「ベジータ君。」
ブリーフ博士が思わず立ち上がった。
声が上ずり
足が震えた。
そのブリーフ博士の声にブルマの母親が反応し
思わず手に持っていたカップを落としてしまう。
大きな音を立てて
白いカップが粉々に割れた。
ブリーフ博士はベジータに一歩、また一歩と近づいていく。
おそるおそる。
そして彼の姿を何度も確認した。
ベジータの戦闘服は
焼け爛れたようにぼろぼろになっていた。
身体にそれはべったりと血糊で張り付いている。
こびリついて黒くなった血の塊が
ベジータの受けた
ダメージの深さを物語っている。
ブリーフ博士は言葉を飲み込んだ。
娘が死ぬほど心配しているのに
連絡の一本も入れなかった冷たい男に
浴びせたかった言葉は山ほどあった。
然し。
ベジータのこの姿がすべてを物語っていると思った。
「生きていたのかね、
本当に…」
ブリーフ博士は声をふるわせた。
「…生きていたさ」
そう一言小さく答えると
ベジータは次にブルマの母親を見つめた。
ブルマの母親は
瞳から大きな涙を流していた。
透明な涙は
彼女の頬を伝わり
とどまる様子がない。
それをみるベジータの眉が
少し動いた。
彼がはじめて見せた悲しげな表情だとブ
リーフ博士は思った。
「いってやって…お願い」
ブルマの母親はそれだけ
何とか言葉を伝える。
口が上手く動かないようだった。
涙だけがどんどん流れて
彼女はとうとう
ブリーフ博士の腕の中に
倒れこんでしまった。
「ブルマにあってくれ
・・早く」
ブリーフ博士もはっきり言った。
妻の体を支えながら。
ベジータはかすかにうなづいた。
そして彼はあたりををみまわしたようにみえた。
リビングの片隅には
ちいさなベビーサークルがある。
ベジータは黙ってそれを見つめていた。
そして。
決心したように大きく息を吸う。
ベジータは黙って歩み寄った。
遊び疲れて眠るトランクスが
そこにいた。
丸い頬。
小さな手足。
「・・・」
ベジータは黙ってトランクスを見つめる。
抱き上げるでもなく
ただそれだけであった。
そして結局ベジータは
なにもしないで
黙ってリビングを出て行った。
「抱いてやらないのかい?」
「・・・興味が無い。」
そういいながらもベジータは
ブリーフ博士に自分の顔を見せようとはもうしなかった。
「そんなことないじゃろう!」
ベジータはこたえなかった。
妻の背中を抱きながら
ブリーフ博士は唇をかみ締めた。
暗い廊下に響くブーツの音。
ベジータは
ブルマのプライベートルームのドアの前にたった。
ドアにはロックがかかっている。
無表情のベジータは無言で
ドアを引きちぎるように開いた。
配線が切れて火花が飛び
焦げ臭い匂いが漂った。
ベジータは立ち止まる。
室内はほんのり明かりがついており
彼女の香りで一杯だった。
ブルマはベッドの上に倒れていた。
そう。
眠っているというより気絶しているような印象であった。
デスクの上には開かれていない書類や封筒が山積みで
灰皿からはタバコの吸殻が溢れていた。
ベジータは歩みを止めた。
彼女に声をかけようとして思いとどまる。
ベッドに横たわるブルマは
ベジータの戦闘服を抱いていたのだ。
薄汚れた戦闘服を。
「ばかな女だ・・・
こんなものを・・・。」
そういいながらも
ベジータの胸が、つよく痛む。
ベジータは黙ってベッドの傍らに
腰をかけた。
ベッドが大きくきしんだが
ブルマは全く目覚めなかった。
少し痩せたか。
そんな気がした。
ベジータは手袋を脱ぐ。
そしてベジータは左の手のひらを
ブルマの髪にもぐらせた。
温かな地肌が
ベジータに
ぬくもりを伝える。
生きているというのは
こんなにも暖かいものなのだ。
地球に来て
もう何年になるだろうか。
ぼんやりとしたベジータは彼女の髪をもてあそびながら
思いをめぐらせた。
つややかなブルマの髪。
ベジータの指に
生き物のように絡みつく。
次第に夜が更けていく。
「ベジータ」
しばらくするとか細い声がした。
ベジータは視線を落とす。
ブルマの大きな瞳が
開いていた。
「おかえり」
ブルマは何事もないかのようにそう声をかけた。
「うつらうつらと眠っちゃった」
上半身を起すブルマ。
ベジータは黙ってブルマの手をとった。
「起してくれればよかったのに…」
「今戻ったところだ。」
「ね。
シャワー、浴びる?」
ブルマはベジータにシャワーを勧める。
ベジータは黙って言葉に従った。
Zその場でべりべりと
戦闘服を引き剥がす。
生傷だらけの
肉体がブルマの前に現れた。
「何か食べるでしょう?」
「ああ。」
ブルマがベジータに白いタオルを手渡した。
白い指がそっと触れ合う。
ブルマの頬が赤く染まった。
シャワーを浴びたベジータは
タオルで全身をぬぐいながら
再び彼女の前に現れた。
バスローブを無造作にはおった彼は
ブルマに声をかけた。
「ブルマ」
「なあに、ベジータ」
「部屋の明かりはつけないほうがいいんじゃないのか?」
「そう?」
「明かりをつければ人造人間に攻撃目標を知らせるようなもんだ。」
「そうね・・・でも・・・。」
彼女はいった。
「死んじゃうときは
どうやっても死んじゃうわよ。
私はいやなの。
トランクスや
パパやママの顔が見えないのは。」
ベジータが答える。
「死んでしまえば元も子もあるまい。
…何も家中の明かりという明かり全
部つけなくとも」
ブルマはふっと笑った。
「だって、ベジータがそういうなんて。」
「…おかしいか?」
「おかしいわよ。
真っ暗にしてたら
ベジータがここに帰ってきても
はいってこないかもしれないじゃない。」
ベジータは黙り込んだ。
「ベジータの馬鹿」
ブルマが唇を震わせた。
「生きていたなら
どうして教えてくれなかったの?
あたしがどんなに心配したか
そんなこともわからないの?」
「・・・すまない」
ベジータはブルマの背中にそっと手を回した。
「ほんとうにすまなかった。」
「ひどいひとね。」
それでも彼女は自ら体を倒して
自分の胸の上に
ベジータの身体を引き寄せた。
やわらかい
すべすべした肌が
パジャマがめくれて
ベジータの前に現れる。
彼女のいい香りが
ベジータの五感にしっとり絡みつく。
ベジータは黙ってそれに従った。
あたたかく
やわらかく
なまめかしく
それでいて無力なその肉体が
ベジータを飲み込もうとする。
しびれる。
手のひらが
背筋が。
ブルマはベジータの顔を自分の顔のほうに両手で引き寄せる。
ベジータは自分の体重をその弱い身体に預けた。
ブルマの体からベジータの頬に伝わる血流の音。
それはベジータの心臓の音といつしか重なり心地良いリズムを奏でる。
彼女の肌が自分に溶け込んでいくような気さえする。
「冷たい…」
ブルマが小さくささやく。
何度も何度もベジータの頬をなでさする。
「ベジータの顔っていつも冷たいのね。」
「違う」
ベジータは一呼吸おいて続けた。
「…おまえが暖かいんだ…」
ベジータもブルマの頬をそっと両手ではさみこんで
何度も何度もいとおしそうに
その顔を自分の顔にあてがった。
ブルマの涙が頬を伝い
ベジータの手のひらをぬらしていく。
「ブルマ…」
ベジータがささやく。
「俺を抱いてくれ。」
3夜明け前まだ夜も明けやらぬ暗いうちに
ベジータは目を覚ました。
いつもと違う暖かい感触に
一瞬はっとする。
そうだ。
自分で自分に言い聞かせてやる。
ここはいつもの瓦礫の中ではない。
ほんのりと柔らかな光で
かすかにライトアップされた室内。
ベジータと同じベッドには
ブルマがねむっていた。
いまベジータの腕の中には
柔らかなブルマの髪がある。
ベジータは右肩を下にして
彼女の身体を抱いたまま眠っていたのだ。
やわらかい。
本当にやわらかい体だ。
彼女の目じりにかすかに涙の跡が伺えた。
細く滑らかな白い身体が
今彼の目の前にある。
およそ戦闘には
何の役にも立たない弱い肉体が
ここにある。
ベジータはブルマの背中に腕を回した。
傷つけないように
そっとそっと抱きしめてみる。
…いい香りだ。
この何年かベジータが
親しんだ香りだ。
ベジータは何度も何度も
ブルマの髪に顔をうずめた。
その香りを
何度も何度も慈しんだ、
今の彼女の体は無防備で
ベジータの思うがままである。
然しそれは恐怖や力によるものではない。
彼女は今まで
自らをすすんでベジータに与え
ベジータもそれに応えてきた。
力の差は絶大だが
2人は対等だったのだ。
どちらが主でもなく
従でもない。
そして
彼はいつしか気づいたのだ。
自分が鍛えに鍛えたこの強靭な肉体が
ブルマのもつ
か細い体に
いやされていたことに。
性欲の発散なら
今まで数え切れないくらいに経験した。
征服した星に
旗を立てるように
泣き叫び
逃げ惑う
その星の女を汚し
陵辱してきた。
それが自分なのだと
自分にいい聞かせて生きてきた。
また性的なつながりであれば
ビスナとの暮らしに勝る物はなかった。
毎日が死と隣り合わせの
極限の世界で
殺されない為に
身を守った。
残虐と絶望の中での絶望的な生活。
乾いたふたつの魂が
求め
求められ
複雑に絡み合い
血を浴びながら交わりつづけた生活。
だが。
果たしてあれが「くらし」といえたのか?
保護と教育という大義名分の元に行われた
さまざまな行為。
その結末は
…もう思い出したくない。
ベジータは思い出す。
ビスナとの
あのような暮らしの中でも
このようにともに
ベッドで眠ることはありえなかったと。
ことが済んだ後のベジータは
傷つけられた痛みをこらえ
いつも床に転がっていたのだ。
そう、いつも、いつも。
今ベジータの体は
夢と現の間をいったりきたりしていた。
なのに意識がはっきりしていて
やけに思い出がリアルに感じられる。
生々しい血の感触が
手にねっとりからみつく。
受けた傷の痛みが
どくどくという血流の音とともに
蘇ってくる。
痛みすらよみがえる。
ちいさなころから戦いにだけ生きてきた
ベジータである。
弱い物はすべて否定してきた。
弱ければ殺されるからだ。
弱い物に生きる価値はないのだと
思い知らされてきたからだ。
弱い自分を否定したくて不老不死を願い
支配者としてのフリーザに立ち向かった自分も
サイヤ人の王子としての自分を差し置いて
伝説の超サイヤ人となったカカロットを
心から殺したいと考えていた自分も
すべて同じ自分だ。
自分だったのだ。
全宇宙を恐怖に陥れ
あらゆる生き物から忌み嫌われた
残虐非道な戦士は
この俺だったのだ。
ベジータはそれを忘れているわけではない。
地球での平和な暮らしが続くと
それまでの自分の生き方が
おかしかったのではないかと
違和感を覚えて苦しんだこともあった。
ブルマと穏やかに暮らす自分が
戦士としての自分を否定するのではないかと
悩んだこともあった。
戦士としての過去を否定すること。
それは
ベジータの人生そのものを否定することだから。
フリーザ軍がすべてだった約30年間。
そして今ブルマとともにいる自分。
どちらも自分なのだ。
そんな当たり前のことに気づくまで
何年もかかってしまった。
ふと我に帰るベジータ。
時計を見る。
午前3時50分。
夜明けまでまだ遠い。
ブルマが目覚めたのは東の空が白み始めたころ。
目覚めたブルマは
ほっとする。
ベジータの白い裸体が自分の目の前にあったからだ。
そっと彼の体に手を伸ばす。
とても暖かかった。
ブルマは思い出す。
仙豆をなくした戦士たちの戦いは
それは
無残であった。
ブルマはそのなきがらを
泣き叫びながら
ただ一人で拾い集めたのである。
ばらばらに散らばった人体であっても
やはり大事な仲間たちだった。
どんな小さな肉片ものがさまいと
赤い泥水の中にはいつくばる姿は
狂人のようだったに違いない。
そのあとブルマの心は
長い間壊れてしまっていた。
感情を失い
言語を失った。
トランクスがいなければ
あのまま狂って死んでしまっただろう。
それほど残酷な光景だったのだ。
飛び散る冷たい肉隗。
あちこちに溜まっていた血の池。
あまりの衝撃にそのなきがらの中に
いったい誰の姿があったのかを
忘れてしまうほどだった。
覚えているのは悟飯の姿。
泣くことさえ出来ずに
砂煙の中で立ち尽くす
幼い悟飯の
暗い
うつろな瞳。
あのときの私は
現実を受け入れたくなかったのだ。
ブルマは
そっとベジータの身体に手をかける。
そうだ。
その中に
ベジータの姿はなかったのだ。
然し
ベジータは
帰ってこなかった…。
そのベジータが
昨夜本当に何十日かぶりに
ブルマの元に戻ってきたのだ。
ベジータの
白い裸体はほんのりと
暖かい熱を発している。
彼の身体は生きている。
心臓が動き
血が流れているのだ。
無駄な肉のいっさいついていない
美しい筋肉の流れ。
間違いなくベジータだ。
然し無数に残る生傷の跡があった。
背中を真っ二つに横断する大きな傷跡は
かなり新しく
ミミズのように赤い肉が盛り上がっていた。
多分この傷のせいでベジータは動けなかったんだわ。
ブルマはベッドの中に横たわったまま、
黙って彼の寝顔をみていた。
きれいにはえそろった濃い眉。
男性とは思えない白くきめ細かい肌。
少し開いた唇はトランクスのそれとそっくりだ。
トランクスはベジータに似ている。
そして自分にも似ている。
そう思いながらブルマは
そっと人差し指でベジータの口びるに触れた。
ブルマの身体は昨夜のベジータを覚えている。
ベジータの重み、
ベジータの息遣いを思い出すだけで
体の中から熱くなる。
ブルマの手首に残る薄いあざ。
ベジータの手のひらの跡がそこにある。
やっぱりあきらめられない。
ブルマは声をこらえようとする。
それでも体の奥から声が漏れでてしまう。
ベジータ。
はなれたくない。
死んでほしくないのだ、ベジータに。
生きていてほしい。
私とトランクスのためだけに。
それはそんなに贅沢なのぞみなのだろうか?
愛する人に生き延びてほしい、それだけのことが。
なぜそんなささやかな希望が
かなえられないのだろう?
ベジータは闘うつもりだ、人造人間と。
だから私のもとに帰ってきたのだ。
この世に別れを告げるために。
ベジータ。
私はどうしたらいい?
何か彼にいいたいと思っていた。
この日がくるのはわかっていたから。
そう。
いつか。
だからベジータのいない間、
毎日毎日ブルマは彼への言葉を考えていたのだ。
でもついに
ふさわしい言葉を思いつくことは出来なかった。
ベジータは誇り高い戦士なのだ。
たとえ人造人間たちとの力の差が
歴然とあったとしても
彼は戦うのだ。
彼を止められる者は
もう誰もいない。
「やだ・・・」
ブルマはついに声を出して
泣き出してしまった。
一度堰をきったかなしみは
もう止めることが出来なかった。
嗚咽が彼女の身体を震わせ
抑えても抑えても
泣き声がのどからあふれ出る。
「…ブルマ」
ベジータが目を覚ました。
「どうして泣く…?」
「馬鹿。
そんなこともわからないの、あんたは。」
ベジータは小さく呟いた。
「泣くな。」
そしてベジータはブルマを強く抱きしめた。
今までなかったほどに強く強く。
ブルマはベジータの名を呼びながら
彼の体に何度もつめを立てた。
何度も何度も。
「ベジータの馬鹿。
あんたなんか
あんたなんか
大嫌い。」
そんなブルマの身体を下にして
ベジータはその両手首を
白いシーツに押し付けた。
ベジータがブルマの唇をふさぐ。
「あっ」
唇を割り
むさぼるように激しく求める。
息が出来なくて
ブルマが叫びをあげたが
ベジータはお構いなしにくらいつく。
そして
血がにじむほどその肌に吸い付いていく。
あまりの痛みに
ブルマが何度も声をあげる。
「俺が嫌いなのか。
おまえは、
俺が嫌いなのか。」
「あっ、…」
「おまえは俺が嫌いなのか」
「違う…
好きなの。
好きなのよ、ベジータが。
大好きなのよ!」
流れ出る涙。
ブルマの涙をベジータは唇でぬぐっていく。
丁寧に。
ブルマはベジータの名を何度も呼んだ。
突然
ブルマはベジータの両腕を振りほどくと
彼の手をとり自分の首にもってきた。
いつしか
ブルマは
泣き止んでいた。
「殺して。」
「…」
「あんたがいなくなるなら
もう生きてても仕方ない。
…私を…
…殺して。」
ベジータの瞳に真っ赤に目を泣きはらしたブルマが映る。
ベジータは
そっと手を伸ばした。
そして彼女の肩を
しっかり抱いた。
「馬鹿なことを…」
ブルマの体から力が抜けた。
肩が細かく震えて
涙の雫がぽろぽろと
ベジータの両手のひらをぬらした。
「泣くな。」
ベジータは左手で
ブルマの背中をを持ち上げた。
胸と胸がそっと合わさる。
そうしてベジータは
ブルマの滑らかなのど元にそっと唇を這わせ、
静かにつぶやいた。
「トランクスにはおまえが必要なんだ。」
そして続けた。
「お前は死ぬな。…生きるんだ。」
4 さらば、ベジータ朝日が昇った。
それは素晴らしい夜明けであった。
2人は黙って東の空を見つめていた。
窓辺に寄り添って。
次第に地平線が明るく輝きはじめ
金色の太陽が顔を出そうとする。
それは
初めて2人で迎えた朝であった。
闇が白々とあける様子。
それをベジータ達はみていた。
手を取り合って。
何度もお互い握り返しながら
指と指を絡めて。
地球の夜明けは本当に美しい。
今までベジータが知っている
どの惑星よりもだ。
こんなに透明な星が
かってあっただろうか?
こんなに荒れた世界でも
陽が昇れば小鳥のさえずりが聞こえる。
空気はあくまでもすきとおり
不純物は混じっていない。
風がさわやかにふいていて
ベジータの頬にそっと触れていく。
こんな星はそうそうあるものではない。
よく破壊しなかったもんだ。
ベジータは自分の過去を思い出し
照れくさそうに少し笑みを浮かべた。
そんなベジータに
ブルマは身体をぴったりとくっつけていた。
窓辺に寄り添い立つ二人。
ブルマは何度もベジータの指を噛む。
その体の感触を
暖かさを忘れる訳にはいかないと思った。
2人はしっかりと手をつないだ。
お互いの気持がそうすることで通い合うかのように。
確かめあった。
二人の気持を。
たとえどちらかの肉体が滅びても
残ったどちらかが
消えた命を伝えるように。
そんなことは無駄なことかもしれなかった。
でも
たとえ肉体が消え去っても
思いは残る。
死んでしまったとしても
記憶までは消すことは出来ない。
出会いとは
全て別れのはじめなのだ。
消え行くからこそ
想い出は美しいし
過去は貴重なのだ。
一人で生まれて
一人で死ぬ。
ただそれだけの命であるが
それが運命ならば
誰を憎むというのか。
過ぎ去るも良し。
消え行くのもまたいいではないか。
ベジータがブルマの身体を引き寄せる。
その細い腰を
自分の方に引き寄せて
長い足を
自分の身体に絡ませて
そして
ひとつになる。
全裸のまま
ブルマがテレビのスイッチを入れる。
苦笑いを浮かべ
ベジータがブルマにシーツをかける。
そしてまた抱き寄せる。
まるで普通の恋人同士のように
2人は普通の朝を迎えた。
ベジータとブルマは
無言でテレビを見ていた。
手をつないだままで。
まだ何とか写るテレビ映像。
なんでもない
どこかの風景が映っている。
音声が流れている。
が、ブルマにはどうしてもその言葉の数々を
聞き取ることが出来なかった。
そうだ、多分…。
2人でテレビを見るなどということも
今日が最初で最後だろう。
そう思うと
ブルマはベジータの手をぎゅっと握りなおした。
つめの大きい長い指。
とても白くて美しい手のひら。
戦士だけれど
信じられないくらい
やわらかい。
これがベジータの手だ。
ブルマとともに生きた
ただ一人の
サイヤ人王子の手のひらなのだ。
ブルマはその手を自分の胸に当てる。
そのとき。
テレビ画面に突然ノイズが走った。
音声が途切れ
一瞬画面が暗くなった。
二人は顔を見合わせた。
花壇の映像だった画面が静止画面に切り替わる。
その後画面がくらくなり
人造人間の緊急情報の字幕が現れた。
スーツ姿のアナウンサーが
青い顔をして原稿を読み上げている。
画面の端のほうでは
大騒ぎしている報道デスクの様子が映っていた。
それによると
2人の人造人間が
いま西の都に向かっているということであった。
ベジータの瞳が曇った。
「でやがったか・・・」
ベジータはいまいましそうに一言つぶやいた。
「ベジータ。」
ブルマはベジータの身体を必死で抱き寄せた。
彼を離したくなかった。
彼の腰に腕をまわし
腹筋に顔をこすりつけた。
わかれるのはいやだ。
ブルマの肩が震えて止まらない。
指先が氷のように冷たく感じる。
然しベジータは
ブルマにかすかに微笑みかけると
静かにブルマの腕を解いてしまった。
ベッドから立ち上がるベジータ。
黙って新しい戦闘服を用意する。
アンダースーツを身につけようとするベジータ。
普段と全く同じように淡々としている。
プロテクターに手をかける。
そして
ベジータが手袋をはめる音がする。
多分いつものように左手、そして右手。
ブーツのかかとで床をける音がする。
ブルマは思わず顔を両手でふさいでしまった。
耐えられなかった。
全身ががくがく震え出す。
然しベジータは靴音を響かせ歩き出した。
いってしまう…!
もうあえなくなる!
ブルマはベッドから飛び出した。
足がもつれて床にひざをつく。
目にはいっぱいの涙が溢れていた。
唇が細かく震えて
…言葉がでなかった。
ドアのところでベジータは
ゆっくり振り向いた。
一度だけ。
ブルマをみるベジータの顔からは
既に感情が消えていた。
ブルマは絞り出すような声で訴えた。
「ベジータ…いっちゃやだ・・・」
ベジータは振り向かなかった。
自分が壊したドアに手をかける。
ドアを押しのけると朝日が差込み
ベジータの全身を光が照らした。
そのシルエットは陽光の中に
今にも消えそうにブルマには見えた。
「ブルマ…」
ベジータはいった。
前を向いたまま。
小さいけれどはっきりとした口調で。
確かに彼はこういった。
「俺のことは忘れろ。」