
イラストネオ
「ベジータ…?」
ブルマの声がわずかにかすれた。
その自分の反応に驚いているのは
勿論彼女自身だった。
ブルマはどきどきしながらあたりを見回した。
ベジータの姿を捜し求めた。
何故なのか自分でもわからない。
だけど
ブルマは自分の体がかすかに震えているのに気がついていた。
その震えは間違いなくブルマの体の中から起きている。
心臓の波打つ音が体中に大きく鳴り響く。
なぜ?
なぜ私はこうなるの??
この何日か聞きたくなかったベジータの声。
彼を見たくない
彼に会わまいと
ブルマは部屋にこもってきた。
そう。
会いたくなかったのはヤムチャじゃない…。
ベジータに会いたくなかったのだ、私は。
弱い自分を見られた彼に。
自分を見透かすような瞳を持つ彼に。
でも
やはり聞きたかった声なのだ。
ブルマは自分の胸の高鳴りを感じた。
手にじっとりと汗をかいている。
孤独を愛するベジータ。
そのベジータの普段のしゃべり方は抑揚が少ない。
冷たい、人を寄せ付けないしゃべり方だ。
言葉数も少ない。
なのに何だか彼を憎めない。
透明感があって
少年のようにも聞こえる声だ。
品がよくて
よく通る
美しい声だ。
ブルマは天を見上げた。
どこまでも続く夜空。
そのずっとずっと上空に小さく浮かぶ影があった。
降り注ぐ星の光。
ムーンライトに照らされた美しいシルエットだ。
まるで古いギリシャ神話の彫像のような…。
ブルマの眼はその神々しいまでの姿に釘付けになった。
ああ、そうなんだ…
ベジータは王子だったんだ。
ブルマははっきりとそう感じた。
これは理屈ではなかった。
ベジータは残酷な兵士だった。
多分それは今も変わることはないのだろう。
ブルマはそれを十分承知している。
ナメック星では自分だって殺されていたかもしれなかった。
ヤムチャを、天津飯達を殺したベジータ。
幼い悟飯でさえ殺そうとした。
残酷な方法で。
仲間さえためらいもなく殺したベジータ。
大小さまざまな星を滅亡させ、
数え切れない命を踏みにじったベジータ。
しかし。
彼もまた被害者だったのかもしれなかった。
王子である彼が一戦闘員として
自らの身体を切り刻む。
これは普通ではないとブルマは思った。
彼の割れたガラスのようにとがったプライドは
傷つけられた心の叫びなのではないか。
…そう思う自分の気持は以前からあった。
でも、いいように捉えすぎだと思っていた。
悪は悪と。
しかし
ブルマは思う。
彼はやはり王子なのだ。
ヤムチャとも、孫君とも、何かが違う。
感じる何かが。
だから
ベジータのこの残酷さは
彼が生きていく為の
やむなき手段だったのではないかと思うのだ。
そう、たぶん
彼もまたさらに大きな力に屈服させられていた
一人の男でしかなかったのだろう。
そして今は帰るところさえない…。
ブルマは深く息を吸い込んだ。
着飾った様子もなく
自分を好ましく見せようという気もない男を
これほど美しいと思ったのは
生まれて初めてだった。
しばらくの静寂。
光り輝くベジータの影はゆっくりと降下を始めた。
腕を組んだまま。
そのうち少しずつ彼の表情が読めるようになった。
眉間にしわを作ったいつもの表情である。
「おい」
ベジータが口を開いた。
「籠ってないでここに来て見ろ」
そういわれたブルマは改めて窓の下を確認した。
ここは3階である。
「ここって…」
ブルマはベジータのほうを見て、答えた。
「夜空は気持よさそうね。
でも…」
「なんだ」
「私は飛べないのよ」
「何!?」
ベジータは眉を少しだけ動かした。
「貴様…まだ飛べないのか!」
「あのねえ…」
ブルマはベジータが真剣に言ったものだから
何だかおかしくなってしまった。
「地球じゃ飛べなくて普通なのよ…
飛べるベジータが変わり者なの。」
ベジータの顔がかすかに赤くなった。
ブルマは思わず微笑んだ。
そして
腕を組みなおし何か考えているように見えた。
その後、しばらくしてベジータは急に高度をさげた。
ブルマの部屋の窓と同じ高さまでやってきたのである。
「ちっ…」
小さくそう言って、ベジータはくんでいた両腕を解いた。
そして右手をブルマのほうに差し出したのである。
「つかまれ」
ブルマは自分の目を疑った。
どうしていいのかわからない。
差し出された白い手袋をつけた右手と彼の顔を何度も見比べた。
戸惑うブルマにベジータは今度はしっかり右手を差し伸べた。
そしてはっきりと言った。
「さっさとしろ」
ブルマはその手袋を見つめた。
恐る恐るベジータのほうへ右手を伸ばそうとした。
その小さなブルマの手をベジータがさっとひいた。
「あっ」
ブルマの体は一瞬にして窓の外に引っ張り出された。
「や、やだ!」
ブルマは思わずベジータの身体にしがみついた。
「いちいち騒がしい女だ…。」
ベジータが小さく呟いた。
まるで海を泳いでいるようである。
不安定な体がベジータの腕の中に包み込まれる。
目の前には輝く星屑が、
足元には見慣れた夜景が広がっている。
ただひとついつもと違うこと。
一緒にいるのはヤムチャじゃないということ。
ベジータがブルマをしっかり抱き寄せていることであった。
ベジータ。
いい匂いがする…。
初めて気づいた彼の体臭。
パジャマ1枚だけを通して伝わってくる彼の体温。
ベジータのたくましい胸がブルマの目の前にある。
ヤムチャよりかなリ小さいが
無駄のない美しい身体である。
ベジータはブルマの背中に右腕を、
腰に左腕を添えて彼女をしっかり支えていた。
「ベジータ?…どこへいくの?」
ベジータは答えなかった。
聞こえなかったのか
聞こえないふりをしているのか。
今私の命はベジータが握っている。
もしここで手を離されたら
私はおしまいだ。
だけどあんまり怖くない。
どうしてだろう?
「ベジータ。」
「なんだ」
「空を自分で飛ぶのって気持ちがいいね。」
ブルマは体の力を抜いた。
そしてベジータの腕のなかで静かに目を閉じた。
いつしか心臓の音も穏やかになっていた。
ベジータがブルマと向かったのは
北の山岳地帯であった。
そこはベジータがいつも一人で過ごしている場所である。
真っ暗ではあるが
かすかに森の木々が見えた。
しばらくすると
深い森の間から大きな湖が見えてきた。
暗いはずの水面が
月の光を反射してきらきらと輝いていた。
ブルマは思わず目を見開いた。
「みろ」
ベジータはそれだけ言うと徐々に高度を下げた。
湖に反射した月の光が
森の樹木を照らし出す。
満月がいくつもの小さな宝石と散って
ベジータとブルマに降り注ぐ。
ブルマはそっとベジータの顔を見上げた。
ベジータの端正な顔が白く輝いていた。
闇がこんなに美しいなんて…。
体中がしびれる。
全身に力が入らない。
そっとベジータの顔を見てみるブルマ。
漆黒の瞳が水面の輝きを映し出す。
ベジータは湖のほとりにそっと降り立った。
そしてブルマの体を支えてたたせようとした。
しかしブルマはよろめいてしまった。
全身から力が抜けて
どうしても立てなかった。
「あ…」
膝をつきそうになるブルマ。
ベジータは何もいわずに彼女の体を抱きとめた。
太く
たくましいベジータの腕。
その腕の暖かさにブルマの心が震えた。
「ベジータ…」
ベジータはブルマの顔を覗き込んだ。
ベジータはブルマから目をそらさなかった。
黒い瞳にブルマの顔が写っている。
ブルマは動けなかった。
ベジータが怖いわけではなかった。
だけど自分の中で語りかける声が聞こえた。
私にはヤムチャがいるの、と。
ベジータはもう何も言わなかった。
ただブルマの瞳を黙って見つめた。
そしてゆっくりと彼は下ろしていた両腕を
あげ始めた。
手袋が白く闇に浮かぶ。
ブルマの唇がかすかに開き
彼女は何か言おうとした。
その唇を
ベジータの人差し指が
そっと抑えた。
ただそれだけのことなのに
ブルマの身体は動けなくなった。
頭の芯がしびれて
めまいがしそうな気がした。
ベジータはかすかに唇を動かした。
しかしその言葉は聞き取ることは出来ない。
夜空から
降り注ぐ
透明な
ムーンライト。
ベジータは白い手袋をつけた両手で彼女の顔をはさんだ。
本当に、そっと…。
月の光を浴びながら。
そしてブルマの耳にそっとささやいた。
「…なにもいうな」