「こんにちは。」

振り向く前にかけられた温かい言葉。
その声にべジータは呆然とした。
敵意が感じられなかった。
あまりにも。
胸の前まであげていた右腕は
エネルギーをためることができず
ゆっくりと下がっていった。

背後に立つものは殺す。
そう仕込まれてきたべジータである。
しかしあまりにも儚く弱く好意的な気にべジータは
攻撃をすることができなかった。

「こんにちは。」

聞こえなかったとでも思ったのか
その声の持ち主はもう一度明るく声をかけてきた。
べジータはゆっくりと振り向いた。

一人の少女が立っていた。

それは少年戦士ベジータと同じ年頃の
長い栗色の髪の少女だった。
髪は緩やかにウェーブをなしており背中まであった。
瞳の色は淡い茶色で
黒いまつげが印象的だと思った。
彼女は飾り気のない質素な白いワンピースを着ており
両手にはそのあたりでつんだような花を沢山抱えていた。
べジータは口を開くこともできずに
ただ立っていた。

「なにをしているの?」

少女はまっすぐベジータに近づいてきた。
美しい笑顔である。
べジータはごくりとのどを鳴らした。
自分に対して微笑みかける相手など
見たことがなかったのだ。
だからどうしたらいいのかということも
見当がつかなかった。
そして。
ベジータは自分の服装を確認した。
彼は紛れもなく
悪名高いフリーザ軍の戦闘服に
身をつつんでいたのである。
血の臭いのする
忌まわしい戦闘服だ。

べジータは思わず後ずさりをした。
一歩、二歩と。
そして絞り出すような声でたずねた。

「貴様、俺がこわくないのか?」

と。

「どうして?」
「どうしてだと!?」

べジータはこぶしを握り締めた。
何度も握ったり開いたりした。
戸惑うベジータ。
いつしか汗をかいていた。
しかし。
それに対して少女はなんのためらいも見せていなかった。
べジータの様子を疑うこともなく
どんどんべジータに近づいてくる。

…青い草の香りがした。

「ここにははじめて遊びにきたの?」

少女が聞いた。
ベジータは突然耳を赤くした。
なぜそうなるのか自分でも判らなかった。

「私とあっちで遊びましょうよ。」
「…」
「気持ちいい風が吹いていて
とっても素敵よ。」

少女は黙り込むベジータの手をひこうとした。
ベジータは思わず手を引っ込めた。

「どうしたの?」
「俺は…」

ベジータは少女から目をそらした。

「そんなことをしたことがない。」

少女は目を丸くした。

「原っぱで遊んだことがないの?」
「…そうだ。」
「かわいそう。」
「なぜそんなことをいう?」
「だって。」

少女は頬を染めながら答えた。
「こんなにいいお天気なのに。
お花も一杯咲いているのに。」
「花?」
「そうよ、みて。」

少女は抱えた大きな花束を差し出した。

「ねえ、きれいでしょう?」
「…よくわからん。」
「あなたって変わった子ね。」

そして少女は続けた。

「私はマーチ。
あなたはなんという名前なの?」
「…ベジータ。」
「素敵な名前ね。
お友達になりましょうね。」

どうしていいかわからなかった。
ただ戸惑いながらも
ベジータはマーチと名乗る少女の後をついていった。
しばらく進むと少女はべジータの右手を取った。
べジータはそれを拒めなかった。
白い手袋を通して
彼女の肌の暖かさが伝わってくる。
生きている人間の体の暖かさなど
忘れていたべジータである。
彼は頬を火照らせながら
うつむき加減で
歩いた。

足元に緑の草が見えた。
普段飛んでばかりいるべジータは
足元の草など見たことがない。
あえて飛ばないベジータ。
緑の草を一歩一歩踏みしめて
歩く。

少年戦士ベジータ。
このとき8歳。






4.花




少年戦士べジータは緑の草を踏みしめて歩く。
一歩一歩と。
今彼の行動をさえぎる壁は何も存在しないように思えた。

普段彼が閉じ込められているのは
窓のない狭い
グレーの空間。
便器と汚い毛布とボックスがあるだけの場所だ。
彼は一日の大半を訓練と瞑想ですごす。
トレーニングという名の暴力の嵐の中で
べジータは何とか生き延びてきた。
たった一人で。
傷つけられた痛みに耐えながら
気を失う、
ただそれだけのために
べジータはその冷たい場所にたどりつく。

その毎日が
今ここではなんだか嘘のような気がした。

ブーツのそこを通じて感じる
植物の感触。
小さい植物にも
意外なほどに弾力があった。
雑草なんて
空からならその存在に全く気づくことはないだろう。
べジータの暮らしに
そんなものが存在するはずがなかった。
しかし。
気づいても気づかなくても草は存在しているのだ。
踏みつけて歩いたときに感じる雑草の抵抗感。
べジータが上を通り過ぎればまた頭を上げようとする。

当たり前のことかもしれなかった。
そんなことは。
もしべジータが普通の子供であったなら。




彼は少女の手をそっと握り返してみた。
暖かくやわらかいその手を。
少女は立ち止まるとべジータのほうを見た。
べジータは思わず下を向いた。

「ごめん、疲れちゃった?」

戸惑うベジータ。
自分でも顔が赤くなっているのがよくわかった。
少女はにっこり笑った。
べジータは何もいえなかった。
べジータがこんなことで疲れるなどということが
もちろんあろうはずがない。
しかし彼は自分の胸のどきどきが収まらないことが
どうしても理解できなかった。

雲ひとつない青空に
ふたつの黄色い太陽が光る。
小さな藪を通り向ける二人。
顔に手足に小さな枝が触れては折れる。

そしてべジータは思わず立ち止まった。

一面に広がる黄色い花。
開けたのは
彼が今まで見たことがない世界だった。

「きれいでしょう!」

べジータの表情に満足したように少女も言った。

「秘密の場所なのよ。
乱暴な男の子に教えちゃうとお花をいじめちゃうから。」

少女は花畑の中央を目指して駆け出した。
べジータの手をつないだままで。
黄金の花びらが舞い上がり
青い草の香りが立ち込めた。
程よい地面からの湿り気が
べジータの頬を刺激した。
少女はべジータから手をはなすと
大きな笑い声を上げて
黄色いベッドの上に思い切りとびのった。

「べジータちゃん、
こっち、こっち!」

べジータはゆっくり周囲を見回した。
そして口を開いた。

「・・・なぜ俺をここに連れてきた・・・?」
「なぜって?
・・・べジータちゃんは悪い人じゃないからよ。」








その黄色い花の名前をベジータは知らない。
ただ彼女に言われるままにその中に腰をおろし、
その話を聞くことになった。
少女の話は花の名前だとか鳥の名前だとか
たわいのないものばかりだった。
花びらを数えては
その数がどんなに彼女にとって大切なことで
その数がどのように意味があるのかを説明した。
飛んでくる虫たちにそれぞれ名前があるということや
地面の上にも芥子粒のように小さい命が動いていること。
彼女は小さいちょうちょを指差しては
それがオスだとかメスだとかべジータにいちいち伝えた。
あまりにも何も知らないべジータに
はじめは驚いていた少女であったが
教えがいがあると思ったのか
彼女は生き生きと語りつづけた。
花が枯れた後に種子が出来るとか、
その実を食べる鳥がいるだとか、
戦闘員としてのベジータには
実際かかわりのないことばかりであった。

しかしべジータも黙ってその話をきいていた。
つまらない話ではあった。
しかしそれを熱心に教えてくれるマーチの姿に
ベジータは惹かれる気持を感じていたと思う。
それは彼女の住む世界があまりにも
自分の現実とかけ離れていたからだろう。

ベジータは当然知っていた。
自分の属するフリーザ軍のしていることを。
そして自分はその中の一人であるということを。
毎日繰り返される訓練は
殺戮を行うためだ。
目標を破壊し
徹底的な恐怖を撒き散らすためだ。
そこに一人一人の気持ちなど必要ない。
戦闘マシーンとして存在するために
彼らは生きていく。
いつか死ぬ、そのときまでは。
軍がどれだけ嫌悪され恐怖されているかということを
べジータが知らないはずがない。
そして彼は理解していた。
それでも自分の生きる場所がそこにしかないということを。

世のなかには色々な世界や価値観がある。
まるで一枚の紙の裏と表の様ではあるが
べジータの毎日も
少女の毎日も
現実であった。

相容れない生き方。
それは確かに存在するのだ。

しかし、今ベジータは少女と同じ空気をすっている。
それは本当に不思議な感覚だった。

いつしか二人は花を摘みだした。
はじめは動こうとしないベジータであったが
彼女に誘われて一本二本と摘んでみた。
それを彼女に手渡すと
少女はにっこり笑った。
黄色い花びらがゆれて
白いワンピースを黄色く飾った。





しかし。
すべてが終わるときがきた。
べジータは動きを止めた。
いくつかの戦闘力がゼロに近い生物の気配がするのだ。
べジータは立ち上がりその方向のほうを見た。
数人の人影が見えた。
農作業が終わったらしく
遠くのほうから何人かがこちらに近づいてくる。
中の一人の女性が手を振っているのが見えた。

「おかあさんだ!」

少女が立ち上がった。

「おかあさーん。」
「ただいま!」

母親らしい女性は少女に駆け寄ると
彼女をしっかり抱き上げた。
べジータは
それを黙って見つめていた。

「新しいお友達?」

そういいかけて少女の母親は息を飲んだ。

「そうなの、お母さん。
今日お友達になったの、
ベジータちゃんっていうの。」

母親は娘の顔を見た。
無邪気に喜んでいる。
その気持をきずつけたくないと一瞬思った。
しかし。
彼女はベジータの身にまとっている
戦闘服の意味を知っていた。
彼が腰に巻いている尻尾の意味も
十分過ぎるほど理解していた。

「フリーザ軍…!!」

次の瞬間彼女は叫んだ。
声にもならない声をあげて。


5.忌み嫌われるもの
少女の母親の声は
静かな草原に響き渡った。
少女は慌てて母親に抱きつき
驚いたように目を大きく見開いた。

向こうのほうからも人影がよってきて
口々に聞き取りにくい声でわめいている。
誰かがさらに人を呼びにいくのが見えた。
べジータは無表情なまま
ぼんやりと少女が母親に抱かれるのを見ていた。

夢は終わった。

べジータは思った。

ベジータは理解した。
理解せざるを得なかった。
幻の時が終わったことを。

もうすぐこの星は侵略される。
フリーザ軍の攻撃によって。
それはすでにもう決まっていたことなのだ。

弱い生物はどこかに売り飛ばされるだろうし
逆らう物は皆殺されるだろう。
それをするのは…自分
自分なのだ。

「お母さん、どうしたの
みんなどうしちゃったの!?」

少女の様子にかまうことなく
大人たちは武器を手にする。

一筋の風が吹いて
黄色い花びらが一面を舞い踊った。

「フリーザ軍だ!」
「サイヤ人だ!」
「子供だからといって油断するな!」

声をあげて男達が集まってくる。
手に手に鎌や、鉄棒を持って。
それから。
誰かの投げた小石が音をたてて
べジータの頬にあたった。
べジータはそれをあえて避けようとはしなかった。

「奥さん、早くこっちへ!」

娘を抱いて、母親はもつれる足でべジータから離れようとする。
それがきっかけとなってベジータに石が投げつけられた。
何個も何個も。
もちろんそんなものがベジータにこたえるはずはなかったのだが。

ベジータは何も言わなかった。
しかし確実に
戦士としての彼が目覚めようとしていた。

弱い
あまりにも弱すぎる

べジータはつぶやいた。
彼の心に刻み込まれているのは
ただひとつの真実・・・。

弱いやつらに価値はない

脆弱への嫌悪がぐいぐい頭を持ち上げてくる。

この程度が抵抗といえるのか?
貴様らは弱い
あまりにも弱すぎる。
弱い物に生きていく価値はない。

強ければ生きる。
弱ければ死ね。

ベジータはペッとつばを吐いた。

「ごみどもが・・・!!!!」

突然彼の体が白く輝きだして
群集は驚愕の声をあげた。

「化け物だ…」

誰かが言った。
ほんの小さいべジータの体から
あふれ出る恐ろしい氷のような気。
その表情からあどけなさは消え
瞳は赤くかがやいた。

いつのまにか何十人もの大人が集まっていた。
しかしそのべジータの姿に大きな男達は口々に叫びを上げた。

「やらなきゃやられるぞ!」
「ころせっ!」

誰かが叫んだ。
それがきっかけで投石が始まった。
べジータに音を立ててあたる石ころの感覚。
虫けらの抵抗に
べジータはにやり、と笑った。

そのとき
少女が叫んだ!!

「ベジータちゃんをいじめないで!」

ベジータの輝きが止まった。

「べジータちゃんはおともだちよ!」

少女はベジータの前に立ちはだかった。
両手を大きく広げて彼をかばうように。
髪がさらりとゆれて
べジータの左の頬にふれた。
母親が叫んだ。

「かえってきなさい、
はやくこっちへ!」

少女は母親を涙のたまった目で見た。

「酷いわ、
どうしてベジータちゃんをいじめるの?
みんな意地悪だわ!」
「そこをのけ!
そいつは悪い奴なんだ。 」
「いま殺さないと俺達が殺されてしまうんだぞ!」
「そんなことない!
この子はいい子よ!」

一人の男が猟銃を持って前にでた。

「マーチ、のくんだ。
そいつは今殺す。」
「いやっ!
いやだ!やめてー!」

再び投石が始まった。

「はやくこっちへ!」

少女を助けようとする母親。
しかし投石は彼女達にも容赦なく降りかかった。

「おかあさん、おかあさん!」

鈍い音がした。

べジータは少女のほうを見た。
大きな石が少女にあたったのだ。
そのとき
黄色い花束は投げ出され
あたり一面に音を立てて散らばった。
少女の額が割れて
真っ赤な血がドッと流れた。
その血はぼとぼとと音を立てて地面に流れていく。
足元の地面がみるみる赤く染まった。

べジータは息を呑んだ。
すぐには体が動かなかった。
少女は体をぴくぴく振るわせたまま
それでも起き上がろうとした。

「お、おいっ!」

思いもかけない行動をべジータはとった。
べジータは少女に駆け寄ると
彼女の体を抱きしめたのであった。
どうしてなのかわからなかった。
べジータは抱いた。
少女の体を。
頭部の傷は深く
流れ出る暖かい血液は
とどまることを知らず
べジータの腕から手のひらを伝わって
地面に流れ落ちていった。

べジータは彼女の体をぎゅっと抱いた。
彼女はゆっくり腕を上げると
血まみれの右手で
黄色い花びらをつかみ
べジータの目の前に差し出した。

にっこりとわらって。

「うわあああああああ!」

べジータは叫んだ。
自分の感情を理解できないまま
彼は叫んだ。
そして。
同時にベジータのスカウターにも
フリーザ軍の母船から攻撃開始の信号が入ったのであった。

その時のベジータは
いったい何をしたかったのだろう?
動けないままで
次々投げつけられる石を浴びる少女。
鉄棒を振りかざして飛び掛ってくる男。
銃口を向け引き金を引こうとする老人。
そして。
一瞬にして姿をあらわしたフリーザ軍の巨大な戦闘機。
ばらばらと空から降りてくる
フリーザ軍の戦闘員達。

確かにベジータはその時は
少女を守ろうとしたのだと思う。
自分をかばおうとして立ちはだかったこの少女を。

「くっそー!!!!」

ベジータは少女を抱えたまま突然気を爆発させた。
巻き上がる熱風。
不気味な地響き。
人々は青ざめ
我先にこの場所から逃げ出そうとした。
気を失いかけていた少女が我に帰った。

「…やめて、ベジータ!
パパとママがここにいるのよ!
乱暴はしないで!」

ベジータは幼かったのだ、まだ。
気のコントロールが自分で出来なかった。
暴走する彼の怒りは渦を巻きながら
あらゆる物を押しつぶしていった。