4月4日。
入社して4日目。
新人はようやく作業の流れを「頭でわかった」状態になってきました。
「一通り教えてもらいました。あとはやりながら覚えます」
そんな言葉が出てくる頃です。
でも、その「やりながら覚える」の中に、取り返しのつかない一回が潜んでいるとしたら——。
こんな声、かけていませんか?
「理屈はいいから、まずやってみろ。失敗して覚えるもんだ」
「危ないこととかは、その場になったら自然とわかるから」
「KYT?そんな時間ないよ。朝礼で形だけやってるだけ」
「新人だって最初は誰でも同じ。現場で慣れさせるのが一番の教育だ」
もしそうなら、少し立ち止まって聞いてください。
「失敗して覚える」が許される失敗と、二度と覚えることのできない失敗があるということを、まず知っておいてください。
シミュレーターの中でだけ、人は何度でも死ねる
ヘリコプターパイロットになるための訓練の中で、シミュレーター訓練は特別な位置を占めています。
実機では絶対に経験させられないことを、何度でも体験させる装置。それがシミュレーターです。
「エンジン停止」。
飛行中に突然、教官がそのスイッチを切ります。
コクピットの警告灯が点灯し、アラートが鳴り響く。
パイロットは即座に判断しなければなりません。
オートロテーション(自動回転降下)に移行するか。
緊急着陸地点をどこにするか。
無線でどう報告するか。
初めてこの状況を体験したとき、私は完全に固まりました。
頭が真っ白になり、手が動かない。
訓練だとわかっていても、身体が反応できなかった。
そして操作を誤った瞬間——画面が真っ赤に染まり、激しいフラッシングとともにクラッシュ音が響き渡り、シミュレーターの躯体ごと衝撃が全身を揺さぶりました。
あれは「失敗した」という感覚ではありませんでした。
内臓が縮み上がるような、本物の恐怖でした。
でも、シミュレーターの中では墜落しても誰も死にません。
「もう一回やれ」と教官に言われ、また同じ状況から始める。
10回、20回と繰り返すうちに、「エンジン停止」という状況そのものが、身体に染み込んでいく。
そして実際にパイロットになってからも、この訓練は続きました。
飛行中に機長からいきなり「エンジン停止」と口頭で状況を付与され、即座に口頭で対処手順を答える。
「緊急着陸地点、〇〇。オートロテーションに移行。無線は……」。
気が遠くなるほど何度も、何度も繰り返しました。
実機の空の上で、です。
パイロット訓練の哲学は明快です。
「実際の危機が来る前に、頭の中で何度も墜落させておけ」。
これが、危険予知訓練(KYT:Kiken Yochi Training)の本質です。
航空事故調査の現場で気づいたのは、重大事故を起こしたパイロットや整備士の多くが「その状況を一度も想像したことがなかった」という事実でした。
想像したことのない状況が現実に起きたとき、人間の脳はフリーズします。そこに事故が生まれます。
「What if(もしこうなったら)」を事前に考え抜いた人間だけが、危機の瞬間に動ける。
それが、私がシミュレーター訓練から学んだ最大の教訓です。
「想像の力」を現場に持ち込む
翻って、あなたの現場を思い浮かべてください。
KYTという言葉を知っている方は多いでしょう。
でも、「朝礼で写真を見て、ハイ終わり」になっていませんか?
本来のKYTは、「頭の中でシミュレーションを走らせる訓練」です。
現場の写真を一枚見て、「この状況でどんな事故が起きそうか」を考える。
そこで止まってはいけません。
「では、もし実際にそれが起きたら、自分はどう動くか」まで考えて、初めて訓練になります。
新人にとって最も大切なのは、「現場に出る前に、頭の中で一度事故を体験しておくこと」です。
パイロットがシミュレーターで何度も墜落を体験するように、新人が作業を始める前に「最悪のシナリオ」を想像しておくこと。
これが、最も安価で最も効果的な安全投資です。
NG例: 「この写真で危ないところを探してください。——はい、じゃあ気をつけて作業しましょう」
OK例: 「この写真を見て。もし君がここで作業していて、この機械が突然動き出したら、どうなると思う?——その状況になったとき、君はどう動く?逃げる方向はどっちだ?」
「危険を見つけること」と「危機の中で動けること」は、別の訓練です。
両方やって、初めてKYTは機能します。
明日からのアクションプラン
① 現場写真1枚で「5分間ミニKYT」を始める
明日の朝礼で、現場の写真を1枚用意してください。スマートフォンで撮影した今日の現場写真で構いません。
新人に「この写真の中で、どんな事故が起きそうか3つ挙げてください」と問いかける。答えが出たら、「じゃあ、もしそれが実際に起きたらどうする?」と続ける。
これだけです。所要時間は5分。でも、この5分が新人の「危機想像力」を育てます。毎朝続けることで、新人は現場に入るたびに「What if」の眼鏡をかけて歩くようになります。
② 「最初の一週間シナリオ」を先に語って聞かせる
新人が配属されてから最初の一週間で「起こりやすいヒヤリハット」を、あなた自身の経験から3つ話してください。
「うちの現場で新人が最初にやりがちなミスはな、〇〇だ。実際に昔こういうことがあった。だから最初の一週間は、特に〇〇を意識してくれ」
過去の失敗談を語ることは、恥ずかしいことではありません。それは最高のシミュレーター教材です。 実際に起きた話ほど、新人の記憶に刻まれるものはありません。
③ 「もし私が倒れたら」を作業前に一言伝える
これは上級編ですが、効果は絶大です。
作業開始前に、新人にこう言ってください。「もし今、俺が急に倒れたり、この機械がおかしくなったりしたら、お前はまず何をする?」
答えられなければ、それが答えです。「まず機械を止めて、次に〇〇を呼べ。それだけ覚えておけ」と教える。
緊急時の初動を言語化させることで、新人の頭の中に「緊急時の回路」が一本引かれます。実際の危機が来たとき、その回路が動きます。
想像できた分だけ、守れる
パイロット訓練の最終段階で、教官からこんな言葉をもらいました。
「お前が怖いと感じた状況を、俺はすでに百回経験している。だから俺は怖くない。お前も百回経験すれば、怖くなくなる。シミュレーターはそのためにある」
実際、私はシミュレーターで何度も赤い画面を見ました。
実機の空の上でも、飛行中に機長から「エンジン停止」と突然告げられ、即座に答えることを気が遠くなるほど繰り返しました。
最初は声が震えていた答えが、いつしか淀みなく出るようになった。
それは知識が増えたからではなく、想像を繰り返すことで「その状況への回路」が脳に刻まれたからです。
その言葉の意味が、事故調査係長になってからより深く理解できました。
事故を起こした人たちは「怖い」と感じる間もなく、判断できない間もなく、気づいたときにはもう手遅れになっていた。
事前に「この状況」を一度でも想像していれば、1秒の判断が変わっていたかもしれない。
想像できた分だけ、人は守れます。
経験できない事態を「想像で補う」こと、それが現場リーダーとしてあなたが新人に与えられる最大の贈り物です。
今日、新人に「もしこうなったら?」と一度だけ問いかけてみてください。
その問いかけが、いつかその新人の命を救うかもしれません。
次回・Vol.5は「灼熱の機内でも袖は下ろす。保護具に「なんとなく」を持ち込むな。」をお届けします。
ヘルメットや安全帯を「なんとなく」つけさせていませんか?
その「なんとなく」が、最後の砦を崩している理由をお伝えします。
以上いかがでしたでしょうか?
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なお、ワラビー社会保険労務士事務所では、製造業・建設業・運輸業を中心とした企業の「安全衛生管理体制の構築・強化」をご支援しています。
「KYTはやっているけれど、完全に形式化していて意味をなしていない」
「新人教育の中に危険予知の要素を組み込みたいが、どうすればいいかわからない」
というお悩みをよくお聞きします。
リスクアセスメントの仕組みづくりから、現場の実態に合ったKYT教材の設計、就業規則・安全衛生規程への危険予知活動の義務化まで、元航空事故調査係長の実践的ノウハウで一貫してサポートします。
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ワラビー社会保険労務士事務所 社会保険労務士 渡辺 忍
