Walkley17. net 向田邦子さん
フッと思い出した作家 向田邦子さん
能登島の調度中央部の向田邦子さんの
「向田」というペンネームの由来ともなった向田(こうだと読む)がある。
彼女自身は、東京府荏原郡世田ヶ谷町若林(現在の東京都世田谷区若林)の生まれ。
父親が保険のセールスマンだったことから、幼いころから転居を繰り返す。
正確には向田邦子さんの父親とその母 きんの故郷。
女学校時代に両親と離れ、祖母のきんと同居していたことから、
能登島の話は断片ながら聞いていたものと考えることもできる。
そういえば、中学校の頃国語担当の先生(向田出身)が、
「向田さんの…。向田さんは…」と色々トリビアとうんちくを話していたが、
いかんせん自分に興味がなければ、耳に入らないし、記憶に残らない。
1979年夏 向田さんは父と自分の血を追って、能登島を訪れている。
1979年と言えば、まだ能登島大橋がなかった時代。
もちろん能登空港なんてものも存在しない。
七尾駅からまだ貨物線が延びていた。
七尾駅から能登島行のフェリー乗り場までみぞぎ川沿いの一本道を歩く。
現在は食祭市場と名も施設も変わったが、
私が少年時代には能登商船のフェリー発着跡が残っていた。
微かな記憶だが錆びた券売機、寒い冬の日に温かい肉まんを食べた記憶がある。
向田さんもそこからフェリーに乗ったのは間違いない。
降りた場所は、須曽地区の能登島フェリー発着場。現在は、能登島バスの事務所がある。現在は2時間に1本ほどのバスだが、当時はフェリーに合わせて今の倍近いバスが走っていたという。
そこから、向田地区へ。
役場を通り過ぎ、向田と標識のバス停で下りた時は何を思ったのだろうか?
そこで、さわだ旅館に宿泊。
年に1度の日本三大 火祭りの一つ 向田の火祭りを見学し、
父や祖母のことを聞いて廻った。
一部の関係者によれば、「能登島を舞台にした脚本をと考えていた」というが、
原稿等は見つかっておらず、真相はわからない。
その2年後、台湾からの帰国の遠東航空機墜落事故に巻き込まれ死去 享年51歳。石川人は台湾と縁があり、台湾で亡くなるのかなと思うことがある。というのも石川人の八田與一も台湾で自殺しているのだ。
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Walkley 17 @ Manila Part 3
Manilaといえば、アメリカナイズされ過ぎているフィリピンの首都といっていい。映画や音楽の規制がない。何でもアメリカから入ってくる。日本では公開されない映画も公開されるため、公開日数は平均で日本の半分以下である。
TGI Fridaysが目に入ったので、そこでDinnerとなった。スポーツバーの画面では、フィリピンで一番人気のNBAとフィリピン プロバスケットボールが放映中だ。かわいい日本人とフィリピン人のハーフがテーブル担当だったので、言葉も心配することなく、楽しい時間を過ごせた。また、会いに行きます。「HASTA LA VISTA. See you again.」
友人とはここで別れた。MALLの閉店時間まで時間があったので、靴を買いに行った。ブランドはCAMPER。スペインのマジョルカ島に本社があるスペインを代表するブランドだ。カラフルな色使いがかっこいい!日本限定で、バッグを展開中。私がずっと欲しかったモデルを見つけた。あとはサイズだ。日本では、2010年2月1日より価格改定を行ったらしいが、それでも値段は日本と比べて5,000円ほど安い。見ると、FABRICACION EN MOROCO(MADE IN MOROCCO)!モロッコ製かい!とツッコミながらも、モロッコはポルトガルが制圧し、その後、スペインに植民地支配を引き継がれたことを思い出した。最近はARMAND BASIとコラボレーションして、BARCELONA FASION WEEKにたびたび登場している。クオレ(日本語訳で言うと「母をたずねて三千里」)のマルコの足元はこのCAMPER社の創始者のおじいさん、もしくは親父さんの作成した靴という説がある。マルコはイタリア人なので、疑問?が残るが、船がBARCELONAやVALENCIAに寄港ついでに購入したのかもしれない。また後で前後関係を調べよう。
スペインらしい赤。サイズもあった!さすがは、スペインの元植民地と言っては失礼か…即買いだ。
Manilaの夜は危険だというが、3年前、来たときより慣れがあったようだ。しかし、気を緩めてはいけない。と思いながら、MASTER CARDのCREDIT CARDを無くしてしまった。その経験、PRICELESS。
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