先日、ある対談に参加した。 AIがこれから仕事をどう変えていくのか。そんな話をしているなかで、「ユニバース25」という実験の名前が出てきた。

初めて聞いたとき、これはネズミの話じゃなくて、これからの自分たちの話だなと思った。

 

 

■ すべてが満たされた「楽園」で、起きたこと

ユニバース25は、1960年代の終わりから70年代にかけて、ジョン・カルフーンという研究者が行ったネズミの実験だ。

つくられたのは、いわば楽園だった。 

食べ物も水も無限。天敵もいない。病気もない。寒さも飢えもない。

生きるための心配が、何ひとつない空間。

 

最初、ネズミたちは順調に増えていった。 

4000匹まで暮らせる広さなのに、2200匹あたりで増加は止まる。

そして、そこから群れは静かに壊れていった。

 

オスは縄張りも順位も保てなくなり、メスは子育てをやめる。 

なかでも印象的なのが「ビューティフルワンズ」と呼ばれた個体だ。 

争わず、交わらず、ただ食べて、毛づくろいをして、自分をきれいに保つだけ。

傷ひとつない、美しいネズミ。

やがて群れは122匹まで減り、最後は全滅した。 

足りないものは、何ひとつなかったのに。

 

■ 足りなかったのは、富じゃなくて役割だった

カルフーンが指摘したのは、こういうことらしい。

増えすぎた世界では、若い個体に「役割」が回ってこなくなる。 

縄張りを守る役、子を育てる役、群れをまとめる役。

そういう居場所が、もう先に埋まっている。

 

役割を持てなかったネズミは、社会から静かに降りていった。 

体は満たされているのに、関わりが消えていく。

カルフーンはそれを「魂の死」と呼んだ。

 

満たされることが、衰退の入り口だった。 

ここがいちばん、引っかかった。

(この実験をそのまま人間社会に当てはめるのは乱暴だ、という批判もある。でも、比喩としては考えさせられる話だなと思う。)

 

■ AIが奪うのは、たぶん「作業」だ

対談では、金融や法律の仕事の話も出た。 

書類の草案も、審査も、AIがどんどんやってしまう。

人に残るのは最後のチェックくらいで、それすら数年で要らなくなるかもしれない、と。

 

ここで自分が思ったのは、AIが奪うのは「作業」であって、「役割」とは別物だということ。

作業が消えていくのは、たぶん止められない。 

でも、作業を失った人から役割まで無くなってしまったら、それはユニバース25のネズミと同じ状態になる。

 

満たされているのに、立てない。 それがいちばん怖い状態なんじゃないかなと思う。

だとすると、経営者である自分の仕事は、効率化の先で、もう一度みんなの「役割」を設計し直すことなんだろうな、と思っている。

 

■ だから、いろんな役割の人がいる会社にしたい

アスクはこれまで300の事業に挑戦して、いま残っているのは15。 20分の1しか当たっていない。

打率で言えば、ひどい数字だ。 でも自分は、これでいいと思っている。

 

何が当たるか分からないからこそ、いろんな考え方の人が要る。 

慎重な人、突っ走る人、数字で見る人、空気で動く人、ちょっと変わっている人。

 

均質にそろえた優秀さは、たぶんAIがいちばん得意なところだ。 

だったら人間の側は、逆に振り切っていい。

 

20分の1の世界で何かを当てるために必要なのは、同じ顔をした優秀さじゃなくて、バラバラな役割なんだと思う。 

規格から少しはみ出している人が、ある日とつぜん20のうちの1つを引き当てる。そういうことが、これまで何度もあった。

 

役割が、人を立たせる。 

そして、いろんな役割を抱えられることが、会社の強さになっていく気がする。

 

AIで楽になった先に残る問いは、「で、自分は何の役割を持つのか」だと思う。 

その問いを、一人ひとりが持てる会社でありたいなと思う。