自動翻訳の精度がどんどん上がっている今、
「もう他国の言語を学ばなくてもいいのでは?」
という声を聞くことがある。
確かに、ニュース記事を読むだけなら、
翻訳で困る場面はほとんどなくなった。
海外の出来事も、ワンクリックで日本語になる。
でも最近、ある国際ニュースをGPTと対話しながら深掘りしてみて、
その考えが少し揺らいだ。
同じニュースについて、
日本語で質問したときと、
英語で質問したときで、
見えてくる世界が明らかに違ったからだ。
最初は単純な違いだと思っていた。
表現の仕方が違うとか、
言い回しが少し踏み込んでいるとか、
その程度の話だろうと。
でも実際には、
答えのトーンだけでなく、
前提にしている世界そのものが違っていた。
日本語での回答は、
整理されていて、慎重で、
「公式に説明するならこうなるだろう」という形に近い。
一方、英語での回答は、
「なぜその行動が選ばれたのか」
「内部ではどういう論理で考えられているのか」
といった、少し生々しい部分まで含まれていた。
情報が間違っているわけではない。
ただ、踏み込んでいる場所が違う。
例えば、政治ニュースについて
「この行動は国際法上どう評価されるのか?」
とGPTに聞いたときのこと。
日本語で質問すると、
国連憲章や原則論、
「問題が指摘されている」「評価が分かれている」といった、
バランスの取れた説明が返ってきた。
一方、英語で同じ意味の質問をすると、
「どの理屈を使えば正当化できるのか」
「過去に似た事例がどう扱われてきたか」
といった、実務寄りの視点が自然に含まれていた。
どちらも事実だが、
日本語は「社会に説明可能な整理」、
英語は「権力や意思決定の現場」に近い。
この違いを一番しっくり説明できたのが、
GPTとの対話の中で出てきた、こんな比喩だった。
「英語のリソースを調べて、日本語で説明して」と指示すると、
材料は英語だが、料理人は日本語になる
英語の資料や議論を材料として使っていても、
日本語でアウトプットする瞬間に、
・断定を避ける
・角が立たない表現を選ぶ
・説明責任を意識した構成にする
といった、日本語的な「調理」が入る。
これは悪いことではない。
むしろ、日本語の強みでもある。
ただ、その過程で、
英語の議論に含まれていた
未整理な仮説や、生の温度感は、
少しずつ削ぎ落とされていく。
特に政治や国際情勢の話では、
この違いはかなり大きい。
政治ニュースは、
事実だけでできているわけではない。
そこには必ず、
・誰が、どの立場で
・何を正当化しようとしているのか
・何をあえて言っていないのか
といった要素が混ざり込んでいる。
英語の情報は、
そうした「意図」や「戦略」に踏み込むことが多い。
日本語の情報は、
社会としてどう受け止めるか、
どう説明可能か、という整理が重視される。
どちらが正しいという話ではない。
ただ、見ている角度が違う。
では、科学の話ならどうだろうか。
面白いことに、
科学の確立した事実については、
言語による差はかなり小さい。
水は100℃で沸騰する。
ある数値は実験で確認されている。
この構造はこうなっている。
こうした部分は、
日本語でも英語でもほぼ同じだ。
ただし、科学が政策や社会に接続した瞬間、
再び言語の違いが顔を出す。
「どこまで分かっているのか」
「まだ不確実な部分は何か」
「その不確実性をどう扱うか」
この語られ方は、
言語や文化によって、はっきり違ってくる。
ここまで考えて、
ようやく腑に落ちたことがある。
翻訳が運んでくれるのは、
言葉の意味までだ。
でも、言語が本当に運んでいるのは、
その背後にある
世界の切り分け方や
思考の前提なのだと思う。
英語は、
利害や戦略、競争の視点で世界を切る。
日本語は、
調整や合意、関係性の視点で世界を切る。
自動翻訳は、
その違いをなだらかにしてくれる。
でも同時に、
一番大事な違和感も薄めてしまう。
翻訳技術がどれだけ進んでも、
他国の言語を学ぶ意味が消えないのは、
きっとこの部分にある。
ネイティブのように話せる必要はない。
完璧に読み書きできる必要もない。
ただ、
「この言葉が出てきたら、少し強い意思表示だな」
「この表現は、かなり踏み込んでいるな」
そうした感覚を、原語で持っているかどうか。
その差は、
知識量ではなく、
気づくタイミングの差として現れる。
今回、GPTとの対話が面白かったのは、
GPTがすごいからというより、
自分の問いが少しずつ変わっていくのを
自分自身が観察できたからだと思う。
答えをもらうというより、
考え続ける相手がいる。
その過程で、
「自分はどの言語、どの立場で世界を見ているのか」
に気づかされる。
ニュースを読むとき、
正しいか間違っているかだけで終わらせず、
「自分は、どの言語で理解しているのか」
を一度立ち止まって考えてみる。
それだけで、
同じニュースでも、
少し違った輪郭が見えてくる気がしている。
