今日は北海道へ移動。
台風の影響で飛行機は大揺れでした。

機内で親鸞に関する本を読んでいると丁度、自力と他力に関する記述がありました。
興味深い内容なので長いですが抜粋します。
「彼岸にいるアミダはそこへ来るように招いているのでしょうが、われわれは自分のなし得ることのすべてをしてしまうまで、アミダにあうことはできません。自力は実際に河を渡るのに必要なものではありません。しかし、アミダはわれわれが自力の無効であること --自力はわれわれのなし遂げんとする目標を成就し得ないということ--をさとるまで救いの手を差し伸べないでしょう。
アミダのたすけが認識されねばなりません。アミダのたすけを自覚しなければなりません。この自覚なしにはいかなる新生もあり得ません。河の向こう岸にアミダがいるという事実の認識は、実際われわれが自分でその河を渡ろうとするすべての努力を尽くし切ったところで生まれます。自力の使用を努めてみるまでは、自力がたすけにならないということはわかりません。これをやってみて、われわれは自分がまったく無効であることを自覚するのです。他力こそ至要です。しかし、これが至要なることは、自力でその不可能なことをやろうと努力した人々のみが知るのです。」
私はずっと他力は他力本願のことだと思っていましたが、どうやら親鸞のいう他力とは、自分の限界を知る、という意味のようです。
台風の中を飛ぶ飛行機の中で自分の限界について考えていました。
台風の影響で飛行機は大揺れでした。

機内で親鸞に関する本を読んでいると丁度、自力と他力に関する記述がありました。
興味深い内容なので長いですが抜粋します。
「彼岸にいるアミダはそこへ来るように招いているのでしょうが、われわれは自分のなし得ることのすべてをしてしまうまで、アミダにあうことはできません。自力は実際に河を渡るのに必要なものではありません。しかし、アミダはわれわれが自力の無効であること --自力はわれわれのなし遂げんとする目標を成就し得ないということ--をさとるまで救いの手を差し伸べないでしょう。
アミダのたすけが認識されねばなりません。アミダのたすけを自覚しなければなりません。この自覚なしにはいかなる新生もあり得ません。河の向こう岸にアミダがいるという事実の認識は、実際われわれが自分でその河を渡ろうとするすべての努力を尽くし切ったところで生まれます。自力の使用を努めてみるまでは、自力がたすけにならないということはわかりません。これをやってみて、われわれは自分がまったく無効であることを自覚するのです。他力こそ至要です。しかし、これが至要なることは、自力でその不可能なことをやろうと努力した人々のみが知るのです。」
私はずっと他力は他力本願のことだと思っていましたが、どうやら親鸞のいう他力とは、自分の限界を知る、という意味のようです。
台風の中を飛ぶ飛行機の中で自分の限界について考えていました。