中華そば コヨシ という店へ。
勿論、入るのは初めてです。
一昔前の私なら、こういうつけ麺を食べると「あ~。。。またいつもの大勝軒だよ~。。。」とガッカリしたかもしれません。
ただ、今食べると、どういうわけか凄い安心感があると言いますか。
つまり、こういうちゃんとしたつけ麺に、ほっとするようになりました。
味は、つまり大勝軒のつけ麺がベース。
で、少し上品にして、少し角を落として、ある意味「ちゃんとした」感じですね。
私、こういうちゃんとしたラーメン好きです。
昨日は、ちょっと東京をサイクリング。
あちこち行ったので、それをちょっと書いてみようかなと。
まずは乃木神社へ。
乃木神社は、つまり日露戦争の時の日本の陸軍大将。
乃木希典を祭った神社です。
私は日露戦争を、けっこう読んでいますのでちょっと説明しますと。。。
日露戦争の時、つまり陸軍は四軍をもってロシアに侵攻していきます。
第一軍の黒木は、朝鮮半島から進撃をし、遼陽へ。
第二軍の奥は、遼東半島の南山を攻略し、これも遼陽へ。
因みに、遼陽がロシアの中国方面の軍事拠点です。
さて。
旅順には、ロシア軍が立てこもる旅順要塞がありました。
で、その旅順要塞は、当時そこまでの重要性が無くて、放置しても良いのではないかと思われましたが、問題は旅順要塞の近くにあったロシアの旅順艦隊でした。
ロシアのヨーロッパ側に居たバルチック艦隊が、日本海に現れる前に、旅順艦隊を壊滅させておきたかったわけですね。
で、あれこれ封鎖したりするのですが、結局、旅順艦隊を壊滅出来ず、手をこまねいていたわけです。
その中で、第三軍が当初のルートを変更して、旅順要塞の攻略に当たるようになります。
その司令官が、乃木希典でした。
第三軍は、急造とまではいわれなくても、当時の薩長土肥の利害が絡みついた結構面倒くさい軍だったのです。
それの司令官を務める事が出来るのは、人望がある乃木しか居なかったわけですね。
そして、第三軍が旅順要塞を攻めるのですが、全く歯が立たないわけです。
そして、とんでもない死傷者を出してしまうんですね。
これは、旅順要塞を軽く見ていた(大量のコンクリートによる永久要塞化を把握してなかった)陸軍上層部のミスなのですが。。。
第一軍、第二軍が破竹の勢いで、進撃を進めていきます。
そして、第四軍もそれの補佐をする為、合流します。
そして、遼陽の会戦にて戦うのですが、ロシア軍に逃げられちゃうんですね。
そもそもロシアからすると、御得意の焦土作戦で、領内に引きずり込むだけ引きずり込んで、補給が追い付かなくなった時に一網打尽にしようと思っていたわけです。
また、バルチック艦隊が日本艦隊に勝利すれば、島国の日本は補給が寸断されるわけで、急いで戦う意味は無かったわけですね。
長引くと不利になるのは、補給に苦しむ日本だったのです。
なので、陸軍上層部は、第三軍を責めるわけです。
早く旅順要塞を攻略して、遼陽の他の三軍に合流しろと、矢の催促をするわけですね。
そして、包囲網を完成し、ロシア軍を包囲殲滅したかったのです。
ところが旅順要塞は、堅牢で落ちないわけです。
そもそも、第三軍は要塞攻略の軍では無くて、他の三軍と共に北のロシア軍を包囲殲滅する為の軍なわけでして、つまり要塞攻略の装備も整っていないわけですよ。
一方的に高所から降ってくる、ガトリング砲の連射と、榴弾砲によって、死体の山しか出来ないわけですね。
ですが乃木も、もう国家の命運がかかっているので、ひたすら突撃して、なんとか突破しようとするわけです。
そして、少しづつ要塞に迫るのですが、とにかく死傷者の数が酷く、弾薬に窮していたので、中断せざるを得ない状態になるわけです。
ですが、そのうち光明が見えてきます。
それは、新しく開発された、今までの榴弾砲より更に長距離に届く榴弾砲の到着(28cm砲)。
そして、203高地が戦場のヘソだという発見です。
203高地は映画にもなった激戦地ですが、当初あまり戦争に関係が無い場所だと思われていたわけです。
これは何故かと言いますと、つまり第三軍は補給輸送の関係上、旅順要塞の正面から攻めていたわけですね。
これは、戦場の地図を見ればわかります。
補給駅 ー 旅順要塞 ー 203高地 ー 旅順艦隊が居る港
っていう位置関係でした。
実際はここまで直線的な関係ではないのですが、まあこんな感じだったんです。
この位置関係なので、補給に適している正面から攻めていたのですね。
が、203高地を取ればこの戦争に勝てる事に、陸軍参謀が気付きます。
それは何故かというと、この203高地(203mの高さだから203高地)に、新しく開発された長距離榴弾砲を置けば、全ての施設と旅順艦隊を遠距離射撃にて一方的に破壊出来るからです。
しかし、また一から203高地を攻めるのは大変なので、陸軍内部でも真っ二つに意見が割れて、対立状態になってしまいます。
ですが乃木は、203高地に目標変更をし突撃命令を出します。
その時、実はロシアでさえ203高地を戦場のヘソだという認識はありませんでした。
ロシア司令ステッセルは、日本が203高地を攻めて来た時、初めてそれに気付きます。
203高地で、大攻防戦が始まります。
日本が一番高い場所を取ったら日本の勝ちなのですが、何度も頂上の旗が入れ替わります。
この突撃により、乃木の息子も全員死んでしまいます。
乃木ですら、あまりの損害の多さに、自らも突撃して死のうとします。
最終的に203高地は日本が奪い、そしてステッセルは降伏します。
旅順艦隊も壊滅し、後の東郷平八郎元帥による日本海海戦の大勝利へと繋がります。
降伏後、旅順要塞の中を日本が見分すると、実はまだ戦える状態にあったと言います。
つまり、203高地を奪ったのは、結果的に正しかったのです。
旅順要塞が落ちた時・・・つまり第三軍が勝った戦勝報告がされた時。
あまりの死傷者の数に、陸軍本営は言葉を失い、喜びが全く無かったと言います。
その後、第三軍は他の三軍と合流し、そして奉天の会戦で勝利し・・・と言っても、また逃げられちゃうんですが、とりあえず勝利はするんです。
そして、ポーツマスの平和条約になります。
乃木自身、あまりの死傷者の数に、明治天皇に戦勝報告をした時、号泣し崩れ落ちたと言います。
明治天皇が、乃木は自責のあまり自殺すると思い、監視を付けたという話は有名です。
後で戦史の研究すると分かるのですが、結果的に乃木は正しかった。
つまり、当時の装備ですと、旅順要塞のような永久要塞は、基本攻略はできないのです。
それを短期間で攻略しようとすると、物量による正面突破しかなく、それは莫大な損害が発生するのは、もう戦史の世界では結果が出ています。
乃木は、あまりに困難な役を、人望がある故に押し付けられ、そしてそれが国家の命運を左右する程の大役であった為、そこから逃れられなかった。
いや、もう自分がするしかないので、自らが全てを背負った。
戦後、乃木は全国を廻り、戦没者の遺族を見舞い、戦傷者の社会復帰に尽力するようになります。
明治天皇が崩御した際、御嫁さんと一緒に自刃します。
享年62歳。
乃木神社にある旧乃木邸に行くと、質素倹約、質実剛健の教えが良く分かります。
昭和天皇の指導役であった陸軍大将の家とは、とても思えない位質素。
偉大な先人の犠牲の上で、我々は今日を生きています。