震災から約1ヶ月が経とうとした47日。


激しい揺れの余震がきた。




私の寝ていた部屋のライトが洒落たデザインだった。


余震の度に落ちてこないか心配になっていた。




お腹には大事な子供がいる。


お腹にでも落ちたらとんでもない!


と考えて、寝る向きや位置を変えたりした。




部屋の真ん中に寝るスペースがあったため、避けるに避けられない。


そして、気になって眠れない




本震で落ちなかったわけだから、大丈夫なはずだけど心配だった。


夫には心配し過ぎだと言われた。


確かに心配し過ぎだったけど


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7日の余震は夜中だった。


携帯のアラーム音と同時くらいだった気がした。


速攻で体を起こした。




義父母とは離れている部屋だったけど、一言「私は大丈夫です!」とだけ伝えた。


揺れが収まった所で部屋を出た。




そしたら、廊下の収納スペースから物が溢れていた。


停電したため真っ暗で何も見えなかったから、何か液体が溢れていたのに気がつかず滑ってしまった。


転ばずに済んだけど、自分の家ではない分、どうしたらよいのか悩んだ。




だけど、義母がすかさず私の元へ来てくれた。


「お母さんがするから、あゆみさんは休んでて」

と。


懐中電灯を持ちながら、素早く片付けていた。




さすが、お義母さん!


動きが速い!




そして、水道も止まっているかと思った。


マンションには給湯器があり、水道が止まっても、給湯器からある程度出る仕組みになっていた。


だから、正確に水が出ているかどうかの判断が出来なかった。




次の日に義母がお隣さんと話して分かった事だけど、トイレタンクに付いている手洗い用の水は水道管から直接出ていると。


だから、そこから水が出ていれば水道は止まっていない。


なるほど、それで確認する事もできるのねと。


新たな発見だった。




それ以降は、大きな余震が来る事もなかった。




私は仕事も通常業務に戻り始め、少しずつ普段の生活を取り戻していった。




それでも、3ヶ月くらいは國賀の実家にお世話になっていた。


居心地も良く、職場も近い。


でも、いつまでも甘えていられないため、私の実家へ帰った。





國賀の実家では、地方新聞の河北新報を読む毎日だった。


全国紙と違い、震災をメインにした記事が多かった。


津波で行方不明になった人を探す記事を見ては涙し、変わり果てた街の姿を写真で見る度に心が苦しくたまらなかった。




どれだけ私が恵まれた環境にいたのかと考えさせられた。




ありがとうございます♡