震災直後から、ライフラインは全て止まった。


少しでも水を確保するため、父は庭に積もった雪をかき集めて風呂場に入れた。


寒さをしのぐため、倉庫にしまっていた、反射式石油ストーブを出した。


食事は母が家にあるものを使い、ストーブの上で温めて作ってくれた。




情報は全てラジオのみ。


地震は相当な大きさだった。


津波が来てたくさんの人が流された。


そんなニュースが流れてくる。




日が昇ったら起きて、日が沈んだら寝る。


そんな日を数日過ごした。




毎日、給水車のところへ行き、長蛇の列に並ぶ。


タバコを吸いながら並んでいる人もいる。


風下にいれば自ずと受動喫煙になった。



水を汲み、両手に抱えて運ぶ。


重さは合わせて20キロ。


妊婦の私がよく運んだものだ。




食料は幸いにも数日分は家にあった。




お風呂には入れないから、濡らしたタオルで体を拭く。


トイレは数回用を足した後に、溜めておいた雪解け水で流す。





停電しているため外部との連絡手段は携帯のみ。


と言っても、電波状況が良くないため、電池の減りが早い。


さらに、繋がったら繋がったで、ありとあらゆるところからメールや電話がきて、次の日には充電が無くなっていた。




夫にはメールで連絡を取っただけで、電話しようにも繋がるに繋がらなかった。


家の電話は当然使えない。




となると、やっぱり、災害時に強いと言われる公衆電話頼り。


近所の公衆電話に行ったけど、使い物にならなかった。


何度チャレンジしても繋がらない。




もう、連絡手段が無かった。


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車はガソリンが殆どないからどこまで行けるかわからない。


職場へも行けない。


連絡も出来ない。




そんな時父がなんとガソリンを手に入れて来た!


近所のいつもお世話になっているガソリンスタンドから少し分けてもらったと。


ありがたい!




当時、家には2台車があったから、燃費のいい方の車で父と一緒に職場へ行った。



職場では私が松島に住んでいる事を皆が知っていたから津波の被害に遭っていないか心配してくれていた。


無事を報告するとともに、ガソリン不足のため、しばらく出勤できないことも話した。


それは皆同じだった。


しばらくは来れる人達だけで片付けをする事にしたようだった。




夫と遠距離結婚したことも皆分かっていたから、連絡が取れていないことも心配してくれた。




そしたら、職場の近所に住んでいる同僚が、家の電話なら使えるからと、家まで案内してくれた。




父も一緒だったから、遠く離れた親戚にも連絡できた。


皆心配していただろうから。




そして、夫の声を聞くことができた。


涙が止まらなかった。



他人の家でわんわん泣いた。


大人になってあんなに泣いたのは初めてだったかもしれない。





ありがとうございます♡