「KO TO TAMO PEVA」? | けものみち

けものみち

日記のようなものです。

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「こ、と、たも、ぺゔぁ」



よく分からないけど、とにかくOPEN


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ならばとにかく入ってみましょう。
(この写真のどこかに子象がいます。)


ここは東中野のカフェであります。
今はランチのみの営業。
メニューは、表の黒板にある「本日のランチ」的な
この1コースしかない。
メニューが増えたらうれしいですが
今のこの状態も気が落ち着きます。
熱いのかぬるいのか、分からなくていい。

カフェ、と言いましたが
飲み物だけでの来店が出来るかどうか
見た感じ不明です。
どうなんでしょうね。

カフェとして使いたい人
きっといると思うのですが。


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店内、大変すっきりとお洒落になっております。
謎のソファがかわいい。

カウンターの上ではピロシキが売られています。
お肉のと野菜のと。
野菜のがあると、本物っぽい‥
なんて思いながら眺めておりました。

そうしたら、地元の人が時々ピロシキだけ買いに来るんです。
それも「お洒落な店で買い物すると、わくわくする」という
お洒落な若い男女とかではなくて
前掛けをした中年女性や
見事な壮年の「オッサン」といった風情の
普段カフェでは見ない層が買いに来ています。

これは本当に美味しいに違いありません。


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そんなピロシキも気になるけれど
今日はランチだけたのみます。

まずはサラダ。
しゃっきりしています。
義務感でなく、おいしく食べられます。


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ボルシチとパン。

こちらもきちんとした感じ。
ランチの体裁を整えるために「形だけ作った」ようなものは
一つもありません。

お肉も野菜も、パンも味わいがあります。
パンは真っ白じゃない素朴なパン。
小さいけれどちゃんと食べた気のするパン。

ボルシチはスープのみをすくって飲んでも
しっかり美味しかったです。

ごちそうさまでした。

後は食後のコーヒーですね。


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なんて。まだあります!

「セットのスープとは思えないボルシチがでてくる」
と、カレー部長コージさんから聞いていましたが
確かに小さいメインかと思ってしまうような
おいしいボルシチでしたねえ。

でもまだこれからメインラブラブ

この日は鶏肉とじゃがいものグラタンです。
(別の日はロールキャベツだったとか。たべたい‥!)

ホワイトソースは重かったり、反対に物足りないようなこともなく
とてもおいしいバランスです。

熱々のチキンとじゃがいも‥
そこにおいしいホワイトソース。
しあわせですね~。

素朴なパンと一緒に食べると
なんでしょう、安心します。


手作りのものを食べたなあ
という感じがしました。
それも洗練された手作りです。

でも、料理が研ぎ澄まされているために
こちらもある程度のシャープさを求められるような
そんなことではなくてです。

気を抜ききって食べてもきっとおいしい。

と‥
いきなりですが、寒さのせいでしょうか。
今なんだか子供の頃のことを思い出しました。
パンのことと、色々のこと。



私の母は激情の人で、昔よく、何かで気持ちが爆発しては
泣いたり怒ったりしながら
姉と私を置いて家を飛び出して行きました。

何が原因か分かりませんが
姉は幼稚園児の頃から、母とぶつかり合うことがありまして
二人が何か言い合っては、母は出て行ってしまうのでした。

姉の方も激怒していたり、あるいは同時に冷めた目で母を見送りました。
「行くなら行けばいい」というヤケッパチな気持ちと
子を置いて行く母親に対する軽蔑
そのほかの気持ちの混ざった目でした。
泣かないように、あえてそんなヤサグレた気分に
なろうとしていたのかも知れません。

私はというと、だいたい、びーびー泣いていました。
おかあさーん!いかないでー!!
と、泣き喚いていた。
しかし‥

その時の気分を言葉にするなら
「恍惚」というものに近いでしょうか
もちろん絶望的な気分でもあるのですが
(今度こそ帰って来ないかも知れないし)
なぜか私は感動していました。

自分の母親はその姿形と、激情とが相まって美しいのだと
そう思っておりまして
私は家を出ていく母の事が好きで仕方がありませんでした。
そして泣き喚きながら母に見とれておりました。

母親に対する気持ちで、似たようなことを
あるアーティストが書いているのを以前読みました。

ありますよね。
そーゆー気分のこと!

しかし、小学校3年くらいのある日
急に「この母を止めねばならない」という気持ちが起きました。

それでつい母を追いかけてしまいました。
でも表通りで母はタクシーをつかまえて
乗って去っていってしまいました。

車が行った方向は、母方の祖父母宅へ自家用車で行く時と
同じ方向でありました。

それで私は勝手に「きっと祖父母の家に行くのだ」と思い込み
一度自宅に戻って、自転車で祖父母宅を目指すべく出発したのです。

しかし阿佐ヶ谷から保谷のその家まで、どころか
そちらの方面自体、自転車で行ったことはなく
私はあっという間に迷子になりました。


母が出ていったのは夕方前でしたが
周りは次第に暗くなっていき、雨も降り出し、強くなり
気温も下がってまいりました。

奇跡的に母に遭遇するわけはなく
迷ったきり、自分の居る場所がどこかも分からなくなりました。
人に助けを求める方法も当時は知らず
一体どうしたらいいのか、自分がどうなってしまうのか
さっぱり分からずめそめそ泣きながら
自転車を引いておりました。

雨に打たれ飽きたけど、どうすれば
その雨から逃れられるかも分かりません。
かなり幼稚な小学生だったのだと思います。
雨宿りする場所を落ち着いて探すとか
交番を頼るとか、そういうことを考えられず
ただ歩き続けて泣いていました。

おなかが空いて、とても寒かった。


その間抜けな子供を八百屋のおじさんが発見しました。
知らない町の、知らないおじさんです。
八百屋さんと言うより
「野菜売りのおじさん」という感じの人でした。
大きな通り沿いの歩道に野菜をたくさん並べて
お店のようにして売っているのです。

おじさんの店の前を私は黙々と通り過ぎようとしていましたが
横目に何となく
びっくりして固まっているおじさんの姿は見えていました。

おじさんは数秒、固まった後
「おい!どうしたんだ?!」
と私を止めてくれました。


その瞬間には「助かった!」と思えないほど
私は呆然としておりましたが
おじさんは辛抱強く
私から、何があったのかという事と
自宅の電話番号を聞き出しました。

そしてすぐ近くの公衆電話で、自宅に電話をしてくれました。

しかし何度かけても誰も出ません。
家出の母や仕事の父はまだ帰らず
姉は姉で怒り疲れて深く眠っていたのです。

私とおじさんは困ってしまいました。
(というか、おじさん本当に困ったでしょうね汗

「どこかほかに、思い出せないかい?」

そう言われて私は一つの番号を思い出しました。
でも、どこの番号なのかが分かりません。

なんだったか、この番号は‥

やや怪しい番号ではありましたが、他にすがるものもないので
おじさんは思い切って電話を繋げてくれました。
そして、出た相手に私の名前と状況を告げました。

電話の向こうでは
祖母がびっくり仰天していたのでした。


「お迎えに来てくれるって。よかったなあ。」

どうやら無事に帰れる算段がついてから
「ここ、おじさんの知り合いだから。」
と言ってすぐ前のパン屋さんに入りました。

久しぶりの、明るくて暖かい建物のなかでした。
パンのいい匂いがして、空腹を思い出しました。

おじさんはパン屋のおばさんに何か言っています。

もしかしてパンを買ってくれるのかな‥?
そうか、後からおばあちゃんが来てくれるし
お金もだいじょうぶだ。

なんて思っていたら
「じゃあね。おじさん仕事に戻るから!」
と言っておじさんは出て行ってしまい
私はパン屋のおばさんに預けられました。

ちょっと困った。

暖かくて明るいパン屋さん。
パンはなんていうか、水に濡れたら台無しです。
パン屋のおばさんの乾いた服も、水に濡れたら台無しです。

私は相変わらずの濡れ鼠だったので
早くそこから出ねばならないと思いました。

でもおばさんは私をつかまえてしまいました。

そして
「さあさあ。まあまあ、かわいそうに!いらっしゃい。」
と、お店とドア一枚でつながっている
自分の家の中に連れて行きました。

それからぼろぼろの子供をお風呂に放り込み
出てきたら、頭やら拭いて乾かしてやり
自分の娘が育って着られなくなった服を、その子供に着せました。


だいぶまともになった子供を
彼女はまたお店の方に連れて行き、カウンターの中で
自分の隣に座らせました。

それからショーケースのパンをいくつか選び出し
「甘いのは後よ。おかずのを食べ終わってから!」
と、言い慣れていそうなその言葉を、子供に言い渡しました。


ほどなくして迎えが来てしまい、甘い方は食べそびれましたが
ホイップクリームとフルーツを挟んだクロワッサンで
「おかずの」はウィンナーロールみたいなパンでした。

個人経営の、昔からありそうな
小さな町のパン屋さんでした。


あれから二十年以上経ったのですね。
こんな寒い雨の日に
カフェのパンとグラタンの事を思い出そうとしたら
急に、あの日の寒さと暖かさ
空腹とパンを思い出しました。


あの日以降、母は行き先も言わずに出て行く事はなくなりました。

雨に打たれても私は風邪ひとつ引きませんでしたが
たまたまいい人が拾ってくれたから無事だっただけで
あのまま歩き続けていたら、どうなっていたか分かりません。
母は自分が出て行くと
もう何が起こるか分からないと思ったのかも知れません。
そしてシンプルに、なにかショックだったのでしょう。


その八百屋さんとパン屋さんは
西武池袋線のどこかの駅の近くにあった様です。
あれから何日後かに母とお礼に行きました。
ついでにおかずパンと甘いパンをたくさん買ってもらいました。

野菜売りのおじさんもパン屋のおばさんも
母を責めるようなことは言いませんでした。
謝ったり、お礼を言ったりする母を
「まあまあ」という感じに、笑いながら慰めてくれました。


余談ですが、あの日出て行った母の目的地も
偶然パン屋さんでした。

母はとりあえず少し離れた町まで行って
どこかで気持ちを落ち着けてから
昔から知っているパン屋さんで、何か買って帰ってやろうと
そう思っていたのだそうです。



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と、そんなところで食後のコーヒーです。

取っ手なしのかわいいカップがまた、和ませます。

コージさん、アサコさんという
忙しどころをつかまえてのコーヒーでしたが
この店の空気のおかげでありましょう
私が思っていたより
お二人との時間がそこにゆっくりありました。



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壁際の一角に斬新な席が(笑)

二人姉妹の勉強机みたいですね。
(だからか?!昔を思い出したの!)

人と行っても、一人で行っても落ち着ける店みたいです。


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かしこくなれそうな気がする。

阿佐ヶ谷に欲しい病が起きました。
この店が近所に欲しい!

と叫んだら、アサコさんに
「阿佐ヶ谷お店いっぱいあるじゃない~」
と突っ込まれました。

そういえばだいぶ前に
阿佐ヶ谷の店にもっと色々行ってみようって
決意めいて書いた気がする‥



KO TO TAMO PEVA

調べたら、セルビア語みたい。

物語性のある言葉と思います。
なのでひとまず
ここでは意味を内緒にしておきましょう。