開高健が泣いた | walkin' on

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アナログレコードのレビューを中心に音楽に関するトピックスを綴っていきます
 歌詞の和訳や、時にはギターの機材についても投稿します

 以前に”Green, Green Glass Of Home”の訳詞をご紹介した際に、ヴェトナム戦争の従軍記者としてアメリカ軍に同行していた頃の開高健がこの曲に触れた際のエピソードについて触れましたが、旅と釣りと美食と美酒をつづった作品は多いものの、音楽が登場する箇所はかなり少ない印象があります。

 そこで今回は開高健の作品に登場する楽曲およびミュージシャンについてふたつほど挙げてみたいと思います。しかも、それに触れた「作家」―開高健の呼び方です ファンの方はご存知ですよね―涙したという、おそらく特別であろうものを選んでみました。

 

 

 

 

 まずはトマーゾ・アルビノーニのアダージョ・ト長調。カラヤン指揮のイ・ムジチでどうぞ。

 

 

 「音」の記憶をもとに半生をつづった”耳の物語”は計3冊書かれましたが、その中の『夜と陽炎』の中にこの曲は登場します。

 

 1969年に初めてアラスカを訪れた際、旅行社が手配した迎えのジープのカーラジオから流れてきたこの曲を聴くともなしに聴いているうちに心を奪われた作家は帰国後に雑誌『新潮』の坂本忠雄氏に電話でこの曲について調べてもらうよう頼みます。

 英語の「アダージョ・イン・ジー・マイナー」をかろうじて聞き取っていたこともあり、それを伝えると坂本氏はすぐにアルビノーニの作品と察知、3日後に銀座のレコード店でイ・ムジチのレコードとカセットテープを探し出してくれました。

 

アンカレッジの放送局が流したものと思われるが、その低い、柔らかい、おだやかな呻唸は悲愴を含みつつも隠忍でよくおさえ、詠嘆しながらどこか晴朗であった。(中略)茫然と心身をゆだねて氷雨にけむる原生林を見ることもなく見やるうちに、涙がつぎからつぎへとこみ上げ、嗚咽をこらえるのに苦しんだ。

(『夜と陽炎 耳の物語**』 新潮文庫)

 

 

 もっとも、この時の作家の心情については少し解説が必要ですね。

 1966年に先述のヴェトナム取材に出向いた作家はそこで、200人中17人しか生き残れなかったという大規模な戦闘に巻き込まれながらも命からがら生還します。

 その後はベトナムに平和を!市民連合に参加して反戦広告の掲載や募金といった活動に身を投じますが、やがて団体内の意見の食い違いから脱退します。

 過酷な戦闘経験の影響で文筆活動も滞りがちになり、やがて現実逃避の衝動から釣りにのめり込むようになります。

 

 このアラスカを含む4か月間の釣り旅行をまとめたのが後の『フィッシュ・オン』なのですが、その中にこのアルビノーニのアダージョのエピソードは含まれていないのです。

 

 同じ『夜と陽炎』の中に、坂本氏からの執筆の約束を迫られた際の言い訳としてではありますが、

経験の蜜は寝かせなけれなばならぬ

という成句が出てきますし、経験の果実を絞っただけのジュースではなく酒でなければならない、という表現も他の作品で出てきます。

 釣り紀行の『フィッシュ・オン』ではなく『夜と陽炎』にこのアダージョを登場させたところに、作家の意図が汲み取れるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 もうひとつは1979年の旅行で観たふたりのジャズミュージシャンです。

 南北のアメリカ大陸を半年以上かけて自動車で移動しながら釣りをするという長期旅行に出たとき、作家は49歳でした。

 その途中のニューオーリンズの名物ジャズクラブ、プリザヴェーション・ホールに出演する「キッド・トーマス」と「スウィート・エマ」の二人をぜひ観ておくよう同行の朝日新聞社の編集員に勧められ、初日にキッド・トーマスを、翌日にスウィート・エマの演奏にふれることができました。 

 

 この二人について調べてみると、作家が呼ぶところの「トーマスじいさん」とはKid Thomas Valentine、ルイジアナ州生まれで長くニューオーリンズを拠点に活動をつづけたトランぺッターにしてバンドリーダーでした。

 幸運にもYouTubeに動画が見つかりましたのでどうぞ;

 

 

 

 そして、その老いた姿から「ビター・エマ」の方がふさわしい、と作家が記したスウィート・エマ、

 "Sweet Emma" Barrettも同様にニューオーリンズでの演奏がキャリアの大半を占めていたようですが、 実はジョン・ウェイン主演の映画『シンシナティ・キッド』に、短いながらも出演していたのです;

 

 

 

昨夜のトーマスじいさん、今夜のエマばあさん、二人とも正面から正々堂々と”生”にたちむかい、最後の一滴までしゃぶりつづけてやるぞ、ド、ドのドンづまりの絶息のその瞬間まで吹きつづけてやるぞ、弾きつづけてやるわよの気魄、ありありとうかがえた。それでいて従容とし、淡々としていて、妄せず、執していない。たかがジャズとバカにしてはいけない。ここにアーティストとしての生きざまがある。みごとな生きざまがある。来たるべきものがすでに到着している私ではあるけれど、この二人の風貌と姿勢を見ていると、うたれる。いじらしさに眼があやしくうるんでしまった。この旅行で私が泣いたのはあとにもさきにもこのときだけであった。(以下略)

 

(『もっと遠く!(下)』 文春文庫)

 

 

 なお、Kid Thomas Valentineは1987年に、"Sweet Emma" Barrettは1983年に世を去っています。作家は彼らよりもう少し後の1989年に58年の生涯を閉じました。

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