BACK IN THE WORLD | walkin' on

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アナログレコードのレビューを中心に音楽に関するトピックスを綴っていきます
 歌詞の和訳や、時にはギターの機材についても投稿します

レコード番号:CPLP8040(Charly Records) 1995年(UK盤)

 

 

 カーティス・メイフィールド(Curtis Mayfield)のこのアルバム、リリースされたのは1973年なのですが、リアルタイムで新譜を購入したファンはいったい日本にどれくらいいたのでしょうか?

 

 そんな素朴な疑問がわく理由、それはずばり、彼のレコードが高い(;´Д`)という単純極まりない事実がデーンとボクの前に立ちふさがるからです。

 

 

 あれは忘れもしない2年前、大阪のアメリカ村の中のレコード専門店でこのアルバム”BACK IN THE WORLD”(以下BITW)を見つけたときのこと。

 たしかに国内盤は貴重なのかもしれませんが、さらに帯付きということもあるかもしれませんが、再発盤についた価格なんと¥5,800(税抜)。

 さすが、何でも安い大阪の中にあって何でも高いアメリカ村(#^ω^)と感心させられました。

 

 

 数日前、今度はアメリカ村ではなく渋谷の中古レコード/CD専門店にフラリと立ち寄った際に、以前にご紹介した”SOUL JUNCTION”と同時に見つけたのがこのLPでした。価格は先のアメリカ村で見つけた盤の約4割。何でも高い東京の中で見つけたこのお買い得品、いやぁ、大阪の日々が急速に過去になっていきます…

 

ただし輸入盤なので帯は無く、ライナーはあったかもしれませんが付属していません。

アルバムクレジットはこれだけ。もしかしたらミュージシャンのパーソネルはライナーに記載されていたのかも。

次世代の主役である子供と、それに対する大人の責任について言及したメイフィールドのメッセージ。

 

 

 

 

 70年年代”ニュー・ソウル”勢のひとりに数えられるカーティス・メイフィールドですが、そのキャリアは1958年デビューのジ・インプレッションズ(THE IMPRESSIONS)から始まります。

 

 後に多くのアーティストが採りあげ、特にジェフ・ベック(とロッド・スチュワート)の持ちネタとなる”People Get Ready”はこのインプレッションズ時代の1968年にリリースされた曲ですが、神(Lord)への感謝と清き心で団結することを説くこの曲には、当時全米を大きく揺り動かしていた公民権運動が大きく影を落としているといわれます。

 同じくニュー・ソウルの代表格とされたスティーヴィー・ワンダーはほぼ同時期、正確には1966年に”A Place In The Sun”をリリースしています。内省と喚起という両極ではありますが、Peolple~とA Place~が同じ時代の空気をはらんでいることは後追い世代の耳でも確かに分かります。

 

 1970年にインプレッションズを脱退しソロ活動に移行したメイフィールドは年1作のアルバムリリースと並行して他アーティストへの楽曲を提供、精力的な活動を続けます。

 1972年には後に『ブラックスプロイテーション(Blaxploitation)』映画のひとつに数えられる”SUPER FLY”のサウンドトラックを担当、収録曲の中の”Freddie's Dead”がビルボード・ポップチャート4位を記録しアルバムもヒットとなります。

 

 

 

 その翌年にリリースされたのが今回ご紹介するBITWなのですが、やはりというか、メッセージシンガーとしての側面を大きくフィーチュアしたものになっています。

 

 まずジャケットからして、戦場やゲットーに身を置くアフリカン・アメリカンを配しており、当時の最新軍事技術だったジェット戦闘機、そして権力の象徴ホワイトハウスを描いています。

 

 タイトルトラックはヴェトナム戦争に従軍していた兵士がヴェトナムのことを”the world”と呼びならわしていたことにちなんで書かれたといいます。

 the world から帰還(back)して本国USでの生活に戻った(back)が生活は苦しく帰還兵には仕事が無い、という現状を淡々と語ることで、これではまたあのthe world に引き返して(back)戦争に身を置くしかないのではないか―という苦悩を浮かびあがらせています。

 

 他にも”If I Were Only A Child Again”のような、生きていくことの困難を歌い上げた楽曲も収録されており、ゴスペルを通過したソングライターたるメイフィールドの、ヒューマニティへの眼差しを感じとることができます。

 

 

 一方でサウンドクリエイター、プロデューサーとしての彼の力量とセンスがいかんなく発揮されたアルバムでもあります。

 A面2曲目の”Future Shock”を聴いて、ハービー・ハンコック?と思われた方は正解です。プラチナディクス獲得の大ヒットとなった同名アルバムのタイトルトラックは、実はメイフィールドの曲のカバーなんです。

 

 ピコピコキンキラのハンコックバージョンもなかなか(^^;)なのですが、マルチプレイヤーたる本家メイフィールドはステージでギターを手にするギタリストということもあり、ワウをしっかり効かせたコードカッティングに加えボリューム操作による浮遊感あるロングトーン、日本でいうところのバイオリン奏法も採り入れています。

 ストリングスやホーンセクションはあくまでバック―伴奏に徹するようにアレンジされており、シンプルながら印象的なドラムのパターンとリズミカルなコードカッティングが曲をリードします。これにより、淡々としているようでリズミカル、クールなようでホット&ファンキーという独特な質感を獲得しています。後にヒップホップのサンプリングに使われ倒したのも納得の、魅惑のグルーヴです。

 

 A面3曲、B面4曲の計7曲と決して大ボリュームではありませんが、楽曲の質が高く、また曲ごとのカラーがけっこうはっきりと分かれているので聴いていて退屈しません。

 

 

 

 

 その後も年1作のアルバムリリースという制作ペースを落とさず活動を続けたメイフィールドですが、1990年にコンサート会場の照明機器の落下事故に遭い、後遺症から下半身不随となります。

 1996年には”NEW WORLD ORDER”をリリースしますが、1999年に糖尿病の合併症により世を去りました。

 

 

 現在でこそソウルの偉人と讃えられるメイフィールドですが、70年代終盤のソウルミュージックの衰退を受けて商業的に低迷したこともあります。

 1968年にはマネジャーのエディ・トーマスと共同でレコードレーベル、カートム(CURTOM)を設立しますが、1980年には倒産の憂き目にあいます。

 幸い、インプレッションズ~ソロの彼を聴いて育ち、その影響を公言するアーティストが80年代に台頭し、そのおかげで主にヨーロッパ圏での人気が再燃するというドラマも用意されていました。その後輩アーティストの中のひとりにザ・ジャム~スタイル・カウンシルのポール・ウェラーがいることは、ファンの皆さんはよくご存じでしょう。

 

 

 

 

 優れたソングライターがその作品の中に刻む「時代」と「主張」そして「センス」を十二分に味わえるアルバムとして、このBITWは傑作のひとつに挙げられると思います。

 

 おそらく初めて聴くと、何だかずいぶんノンビリしてるなぁと思われるでしょうが、それがカーティス・メイフィールドの織りなすグルーヴであり、ソウルミュージックの最良のエッセンスであることに気づくまで、多少時間がかかっても何回か聴きなおすことをおすすめします。

 幸い現在はCDの流通も多いようですから、お、良さそうやん( ^ω^)と思われた方は無理にアナログレコードに執着オレやんか(~_~;)せずに気軽に聴いてみて下さいね。

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