SG ああSG | walkin' on

walkin' on

アナログレコードのレビューを中心に音楽に関するトピックスを綴っていきます
 歌詞の和訳や、時にはギターの機材についても投稿します

今回はギターについてのお話です。

 

 以前にギブソン社のエレクトリックギター、ファイアーバード(Firebird)について投稿した際に

 

 今回はファイアーバードでしたが、ギブソンとフェンダーのライヴァル関係を思わせるモデルは他にもいろいろありますので、今後も折を見てご紹介しようと思います

 

なんてかっこつけてしまいまして(^_^;)今回はその象徴であり、ギブソン・エレクトリックギターの転機を象徴するSGをご紹介したいと思います。

 

(現行モデル SG Standard '61)

 

 

 

 先におことわりしておくと、今回は導入部がかなーり長くなりますのであしからずご了承のほどを。

 

 まずSGに触れる前に、レス・ポール(Les Paul)氏のことをご紹介せねばなりません。

出生名Lester William Polsfuss、1915年6月9日 - 2009年8月12日

 30年代からジャズ、カントリーのギタリストとして活躍したレスは、実は発明家―エンジニアとしての才能にも恵まれており、セミ・ソリッドボディ・エレクトリックギター、通称『ザ・ログ(The Log、丸太)』を独自に開発しています。

 1946年にはそのザ・ログをギブソン社に持ち込んで商品化を提案しますが、一枚板を加工して製造するソリッドボディ構造がまだ新奇だったこともあり、ギブソンはレスをまともに相手にしなかったといいます。

 

 ところが1940年代の終わり頃、ロスアンジェルスの片田舎の町工場がソリッドボディの「スパニッシュ」―当時は両腕で構えて弾くギターを、スティールギターと区別するためにこう呼んでいました―・エレクトリックギターを開発、しかもそれを全米規模で展開するぐらいの量産体制を整えているというニュースがギブソンに届きます。

それがフェンダー(FENDER)社の発売したブロードキャスター、後のテレキャスター(Telecaster、以下テレ)でした。

 

 

 これに対しギブソンは、先述のザ・ログの件もあって何かと関わりのあったレス・ポールに、シグニチュア(本人仕様)の制作を提案します。これにレスも乗り、1952年に誕生したのが

レスポール・モデルなのです。

 もっとも、この最初期モデルについてレスの要望が採り入れられたのは、自身が特許を取得くしていたトラピーズ・テイルピースという弦を保持するブリッジと、ゴールドのフィニッシュ(塗装)ぐらいだったとされています。

 

 レスポール・モデルは発売後もいくどか仕様変更を受け、特にブリッジ周りの金属パーツや、内蔵型ギター用マイクであるピックアップといったハードウェア類は細かくアップデイトされてきました。

 

 

 そんな中、正確には1954年にギブソンは、先のフェンダーがテレキャスターに続くソリッドボディ・スパニッシュ・エレクトリックギター第2弾、しかも上位機種として新モデルを発売したという情報をえます。

それがストラトキャスター(Stratocaster、以下ストラト)なのですが、この新モデルには先行機種テレには無い新たな仕様が導入されていました。

 

 

それが後に楽器業界でコンター(contour)と称されることになる、ボディ表裏の削り加工でした。

 中空部の無い完全な一枚板であるソリッドボディゆえの自由度の高い木部加工のメリットを最大限活かし、わき腹や右腕への「あたり」を柔らかくするこのコンター加工は同時に、平板で単純な輪郭のボディに立体的な奥行きをあたえることができます。

 フェンダーがこの後にリリースするギター系楽器の多くにこのコンター加工を施したのは、もちろん独自のデザインをアピールする意図もあったのでしょうが、それ以上に多くのプレイヤーが好意的に評価したからなのでしょう。

 

 

 

 

 フェンダーが生み出したストラトの、「コンフォート」コンターなる削り加工をみたギブソンの上層部は

やられたわい(;゚Д゚)

とほぞをかんだものと思います。

 

 というのも、ギブソン社にとって初となるソリッドボディを製造するにあたり、テレと同じ平板なボディではインパクトに欠けることを危惧し、ヴァイオリンやマンドリン、さらには

(Super400)

アーチトップギターの製造で蓄積したボディ表のふくらみ、アーチドトップ加工を前面に推しだしたレスポールを開発したのです。

 

 もちろんレスポールはギブソンの木工加工の高いスキルをアピールすることに成功はしたのですが、しかし、大陸を挟んで反対側のロスアンジェルスのレオ・フェンダーというエンジニア/デザイナーはアーチドトップのような木工加工を導入することなく、しかも一枚の板材の削り出しのボディでありながら立体的な輪郭を備えたギターを生み出すという、とんでもない巧手を繰り出してきたのです。

 

 

 危機感を募らせたギブソンは新モデルの開発を進め、結果として生まれたのが

 

このギターでした。

 

 

 ところが、ここでギブソンに誤算が生じます。

 このギターを、レスポールモデルの新バージョンとして発売する予定だったところが、当のレス・ポール本人に拒否されてしまったのですマジか(;´Д`)

 

 これについては諸説あるようで、ボクは以前にものの本で

ネック側ピックアップの音がレスの気に入らなかった

と読んだことがあります。

 

 もっとも、色々調べていくと、この新モデルはレスの志向に合っていなかったのかもなぁと思えてきます。

 レスポールの市販モデルの仕様が固まるまでに制作されたプロトタイプの中には、ボディが全てメイプル(カエデ)というものがあり、レスもその音を気に入っていたといいます。

 しかし、ギブソンとしては製造コストがかさむこと、あまりにもサステイン(持続音)が強すぎて一般のギタリストには受け入れられないと判断し、ボディの表面にメイプルを、裏面にはそれよりも厚めのマホガニーを配する手法をとりました。

 

 また、この時期のギブソンとレス・ポールはともに、音楽シーンの変化という波にさらされていました。

 1953年に当時の妻メアリー・フォードとのデュオ名義で”Vaya Con Dios”をキャッシュボックス・チャート5週連続首位に送り込んだレスも、50年代後半以降のロックンロールの台頭もあって徐々にセールスが不振となっていきます。 

 

 1960年、ギブソンは従来のレスポールモデルの製造中止を決定しますウソやろ(;゚Д゚)

 今となっては信じがたいことですが、パワーがあり過ぎて扱いづらいピックアップを搭載した、しかも重いギターというレッテルを剥がせなかったことでレスポールはギタリストに受け入れられなかったのです。

 ギブソンにとっていわばレスポール・ギター・プロジェクトの起死回生の一手となる、はずだった新モデルをレスは拒絶、ギブソンと彼との間の契約も1963年頃に終了してしまいます。

 

 

 *

 

 

 こうしてレスポール・モデルになりそこねた新型ギターには、ソリッドボディ・ギターに由来するSGというモデル名と、ギブソン・ソリッドボディ・エレクトリックギターの看板を背負って立つ新モデルという重責が与えられました。

 

 そんな経緯で世に出たSGですが、驚いたことに現在に至るまで一度も製造が止まったことがありません。

 

 たとえば同じ60年代生まれのファイアーバードは、大幅な仕様変更を受けたりもしましたが、発売から7年後にはあえなく生産が終了してしまいました(後に復活しますが)。

 70年代に入り新しい親会社のもとでさらなる大量生産体制をとったギブソンからは数えきれないほどのモデルが生まれ、そして消えていきますが、SGはそれでも製造されつづけました。

 そして気づけば約60年、ギブソン・エレクトリックギターの定番モデルとしてラインアップを支え続けています。

 

 …もちろんSGといえどもバリエーションモデルの増減や仕様変更は何度も受けていますが、それは後ほど。

 

 

 

 

 SGが現在に至るまで製造されている理由をいくつか挙げるとすれば、やはりその製造コストの低さは見逃せません。

 手間のかかるアーチドトップではなく、一枚板のボディを削り出して造るボディの、製造工程だけを採りあげればギブソン製品のなかでもかなりシンプルなほうに入ります。

 

 

 SGのボディの外周には表裏両面から入れられた削り加工が施されています。

 

 有機的な曲線と弾きやすさ、抱えやすさの凱善を両立したこの加工をギブソンではベヴェルド・エッジ(beveled edge)と名付けましたが、これがフェンダーのコンターと何のつながりもないということは考えにくいですよね。

 

 さらに、後の年代になるとピックアップを含めた電装系パーツを、ピックガードと呼ばれるプラスティックの板に全て取り付けることで電気回路の組み込みの手間を省く手法を導入しているのですが、これなどはまさにストラトと全く同じ手法でもあります。

 

 

 また、ハンドル操作によるポルタメント効果を加えるヴィブラート・ユニットを純正搭載した個体が多いのもSGの特徴のひとつで、今までご紹介した画像のSGに乗せられているヴァイブローラの他に、最初期モデルには

通称「サイドウェイ」ヴィブラートも採用されました。これも、内蔵式ヴィブラートユニット「シンクロナイズド・トレモロ」を純正搭載したストラトへの対抗もあったのではないでしょうか。

 

 

 一方でブリッジやピックアップといった主要なハードウェアはギブソン社の他モデルに採用されたものと多くが共通しています。さらに、ギターの弾き心地やサウンドに大きく影響する弦長(スケールとよびます)も、ごく一部の例外を除いて他のギブソン製品と同じ約24インチを採用しています。

 これが製造する側―ギブソンにとっては、いつでも製造できるモデルであり、専用ハードウェアや特殊構造に由来する製造コストといった制約が無いことは、かつてコリーナという木材の商標まで用意しながら量産化に失敗した最初期(1958年)型フライングVのような心配はまず不要であり、いわば「親孝行」(笑)な製品といえます。

 

 

 とはいえ、ギブソンの製造コストに由来する仕様変更はSGも無縁ではありません。

 たとえばネック(棹)とボディの接合部ですが、最初期は

 

このように非常に小ぶりで段差も少なく、おかげで高音のフレットにも手や指が届きやすいことが知られています。

 ところが、この小ぶりな接合部には非常に精密な加工が必要だったこともあり、量産化が進むにつれて、より加工が簡単な形状へと変化していきます。

たしかに加工の手間は減り、そのぶんコストも低く抑えられるのですが、ギタリストにとっては高音のフレットに手が届きにくくなってしまったのでした(^_^;)

 

 さらに、SGのデザイン上の要点でもあるベヴェルド・エッジもコスト削減の波を受け

お分かりでしょうか、ボディの中央に向かっての削りが浅くなっていきます。

 

 こうした細かい仕様変更を追っていくと、確かに60年代初期の高精度な木部加工が冴えわたる(?)最初期型こそが最良で最高という気もしてしまいますが、先にも書いたとおり一度も生産が途絶えることのなかったSGは中古の流通台数も多く、仕様ごとのファンといいますか、あえて○○年のこれがええねん(`・ω・´)というギタリストも多いので、ここではその優劣は触れずにおきます。

 

 

 

 

 SGをトレードマークにしているギタリストといえば、やはりこの人

アンガス・ヤング(AC/DC)の名が真っ先に挙がります。

 ギブソンのレスポールではなくSGである理由、それは彼にとってレスポールが

重くて腰に悪い(`ω´)

からだそうです。ギブソンも彼の長年の愛用に感謝しているようで、後にシグニチュアモデルも発売されました。

 

 

 もうひとり、

 トニー・アイオミ(BLACK SABBATH)もSGの印象が強いギタリストです。

 ただ、彼の場合は個人ビルダーの手による同型モデルをメインで使っていた時期もあるそうです。

 

 さらに下の世代のギタリストの中には

デレク・トラックスという名手もSGをメインにすえています。

 

 

 個人的に印象に残っているのが

ピート・レスぺランス(HAREM SCAREM)が2010年代以降にSGをメインにしていることです・

 たしかに90年代後半からレスポールを手にすることもあった彼ですが、かつてはアイバニーズRGを、キャパリソン(CAPARISON)の自身のシグニチュア、PLMシリーズをプレイしていた彼がSGを弾いていることがとても興味深くあります。

 

 

 

 

 60年代後半にはアーチドトップのレスポールが復活し、ファイアーバードやフライングVのような個性的なモデルもラインアップされる現在のギブソン製品の中では地味な二番手的ポジションにあると思われがちなSGですが、歴史を振り返ってみればかなりの大役を担い続けたギブソンギター屈指の功労者でもあります。

 

 もしお手元のCDやレコードのミュージシャンが、ジャケットやライナーで手にしているのがSGだったら、その選択に至った背景のようなものを想像したり、時間をつくって調べてみるのも面白いのではないでしょうか。

鉛筆