前回の投稿でピーター・ゲイブリエルの片腕的ベーシスト、トニー・レヴィンについて少しだけ触れましたが、今回はチャップマン・スティックと並ぶ彼のメイン楽器、ミュージックマン(MUSICMAN)社のスティングレイ(Stingray)についてのお話です。
幸いアメブロは画像や動画の貼付、さらに長文とも相性が良いホンマか?ようなので、今回はスティングレイの開発者にしてエレクトリックギター&アンプリファイアーの偉人、レオ・フェンダーを中心にご紹介することにしましょう。
先に無粋ながらおことわりを。
歴史的な経緯、特に年代については諸説あるため、その正確性は保証いたしかねます。
また、画像は全て拾いであり、これも正確性は保証いたしかねますことをあしからずご了承下さいませ。
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出生名クラレンス・レオニダス・フェンダー(Clarence Leonidas Fender) 1909年‐1991年
フェンダー(FENDER)、ミュージックマン、G&Lの設立者にしてイノヴェイティヴな製品の精力的なリリースによりエレクトリックギターの進歩をうながした不出世のエンジニアです。
もっとも、ミュージックマン~G&L設立の経緯は少し複雑です これについては後ほど
自身の名を冠したフェンダー社で1940年代後半頃からエレクトリックギター用アンプ、そしてギター本体の量産化に乗り出したレオですが、60年代中盤から体調を崩したこと、自身の望む研究に没頭したいという願いから、1964年、フェンダー社をコロムビア・ブロードキャスティング・システム(通称CBS)社に売却します。
その際にレオは、CBSにテクニカル・アドヴァイザーとして今後10年間在籍するという契約を結びます。とはいえ、CBS傘下のフェンダー社におけるレオのエンジニアリングが発揮された製品はあまり多くないことを考えると、これはレオを他の会社にハントされないようにするためのCBSなりの措置だったと思われます。
この時期のレオについてのエピソードをひとつ。
CBSにフェンダー社を売却してしばらく後、フェンダー社とその製品の音楽業界における貢献を表彰すべく、アメリカ国内のとある団体がレオには内緒でセレモニーに招き、トロフィーを授与するというサプライズを企画します。
そのセレモニーに参加すべく宿泊したホテルでのこと。部屋にたどり着いたレオはどこからか煙の臭いが流れてくることに気づきます。
身の危険を感じた彼は自室からホテルのロビーまで‐たしか22階だったか‐猛ダッシュで階段を駆け下りるというすさまじい逃げ足を披露したのです。
フェンダーさんって、たしか健康がすぐれないっていう話だったけど(・_・;)
と、仲間うちではこのことがすぐに広まってしまい、フェンダー社時代からの右腕にして親友のフォレスト・ホワイトからは
来年はホノルルマラソンに参加しましょうね(*`▽´*)
と「イジ」られ、レオは苦笑するより他なかったとか。
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US屈指の大手CBSに対しカリフォルニアのローカルカンパニーだったフェンダーの、買収前からの従業員はCBSの中でもとかく冷遇されがちで、先に名の出たF・ホワイトを含む古参組が相ついでCBSを離れます。
アドヴァイザリー契約が終了する直前の1974年、ついにレオはCBSからの独立を決め、古参組のひとりでフェンダー社のセールス部門に在籍していたトム・ウォーカーとの連立というかたちで新会社の設立に動き出します。
といっても当初はレオ、ウォーカー、ホワイトの3名による共同起業というかたちをとり、社長はこの3名が持ち回りで務めるという約束だったそうです。この三頭体制にちなみ、会社を一度はトライソニック(TRI-SONIC)と名付けたものの、この名にレオが異を唱え、しばらくして社名をMUSITEKに変更します。ところが
読みにくいわい(`Д´)
という声が上がったそうで、そのうちにレオが
ミュージックマン(MUSICMAN)ってのはどうかな?
と言い出します。
そんな安易な名前、とっくにどこかが使ってますよ
とホワイトは呆れたものの、調べてみるとなんと未使用。
こうしてめでたく新社名も決定したミュージックマン社からはギター用アンプが発売され、エリック・クラプトンの使用により人気を博すという幸先の良いスタートを切ります。
実はこのミュージックマンの三頭体制が決まる前後、レオは自身のイニシャルを冠したCLFリサーチという会社を発足させています。製品開発と会社経営の両立に頭を痛めた経験から、研究開発、そしてミュージックマン社への製品供給のための個人会社の設立に動いたのです。
その後のミュージックマン社について先に述べておくと;
80年代前半頃になるとトム・ウォーカーは会社の経営に関する権限を独占したがるようになり、レオ及びホワイトと対立するようになります。最終的にウォーカーはギター弦を含むアクセサリの製造会社アーニー・ボール(ERNIE BALL)社にミュージックマン社を売却、自身もEボール社に移籍します。
ところがレオはここでミュージックマン社を離れ、自身の会社CLFリサーチをギターブランドとして立ち上げるべく、フェンダー社時代の腹心ジョージ・フラートン(フーラトン)との共同起業というかたちでG&Lを発足させました。
なお、社名は「ジョージ&レオ」にちなみますが、後にレオはフラートンに株式の譲渡を求めたことでフラートンは会社の経営から離れ、同時に社名の読み方を「ギターズ・バイ・レオ」(GUITARS BY LEO)に、かなり強引に変更するといういきさつがありました。
ロゴの下に小さくGUITARS BY LEOとあるのがおわかりでしょうか
なお、レオ・フェンダーが世を去った1991年にG&LはBBEサウンド社に買収されます。
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レオ・フェンダーは新手一生の気鋭のエンジニアでしたが、ミュージシャンが求める製品を世に送り出すことを最優先した現実主義者であり、華美な装飾、使い勝手の良くない専用設計の新機構を用いないことを信条としていました。
1970年代、サンフランシスコの音響エンジニア、ロン・ウィッカーシャムが地元ミュージシャンの要望に応えるかたちでスピーカーやアンプ、さらには独自開発の電気回路を導入したエレクトリックギターやベースを販売します。
ウィッカーシャムのギター及びベースにはアレンビック(ALEMBIC)の名が冠され、当時としては群を抜いた高音質が多くのミュージシャンの注目を集めました。
アレンビックのギター/ベースの内蔵回路には外部からの電源供給、または9ボルトの電池を仕込むことで駆動する、現在ではアクティヴ回路とよばれる機構を仕込んでありました。
アレンビックの自社開発のアクティヴ回路は専用の回路やアンプを必要とする複雑なもので、ギターやベースだけを持ち出して録音スタジオやコンサートのステージで鳴らすという使い方には不向きでした。
このアクティヴ回路に刺激されたのでしょう、もともとアンプ回路の設計に卓越したセンスを持つレオ・フェンダーは内蔵式アクティヴ回路と、それに対応した専用設計のピックアップ(ギター/ベース用内蔵型マイク)の開発に着手します。
そうして完成したのがミュージックマンの最初のベースであるスティングレイ・べ―スなのです。
(最初期型スティングレイ・ベース)
モデル名がスティングレイ・ベースとなっているのは、同じスティングレイの名を冠したギターも発売されたからなのです。
残念ながらベースほどのヒットとならず数年で製造が終了してしまったこともあり、以降スティングレイのモデル名はベースのみに引き継がれることになりました。
ただし、2010年代になってハードウェアをアップデイトされたスティングレイギターが復活しています。
低音と高音を別個に調整する2バンド・イコライザーを内蔵、しかもその特性は専用ピックアップとも完全にマッチしており、硬質できらめくような高音、地響きを起こすような太く重い低音をベーシストが手元で自由にコントロールできるという機能は驚きと称賛をもって迎えられました。
なお、ごく初期のピックアップはふたつあるコイルがシリーズ(直列)に配線されていたこともあり、非常に低音の押しが強い反面どうしても中音域が大人しくなります。この偏った音響特性を改善すべくコイルの配線はパラレル(並列)に変更され、低音が弱くなりましたがフラットで扱いやすくなりました。
また、ベース弦の生み出す振動を逃さずボディに伝えるべくブリッジも新設計のものを採用しています。4つのサドル(駒)をはさむように配された大ぶりのネジがサドルの共振を抑えることでクリアな、強弱の反応に優れた鳴りを強化します。
さらにはこのブリッジに非常に硬い鉄を使っています。楽器業界では加工がしやすく安価な真鍮を用いる傾向が80年代に強くなりますが、レオはあくまで音質を重視して鉄を採用、これは後のG&Lにも引き継がれます。
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一方でレオの、フェンダー時代から変わらない志向というのもスティングレイには残されています。
まず、上のブリッジの写真をご覧いただきたいのですが、サドルの上に黒いスポンジ、さらには指で廻す円盤状のツマミがあるのがお判りでしょうか。
これはミュートユニットといい、金属的なタッチや長すぎるサステイン(持続音)を抑えることでウッドベース的なタッチに変化されるための機構です。レオはこれをフェンダー社における大傑作のひとつ、ジャズベースでも採用したのですが、需要が乏しいと判断されたのか、60年代半ばにはオミットされてしまいます。そんなミュートを70年代中盤になって復活させたレオには彼なりの意地があったのでしょうか?
もうひとつ、フェンダー社時代に開発した機構であるマイクロティルトを内蔵していることです。
(特許申請の図より)
ネック(棹)とボディをネジで留めつけるボルトオン機構の強みを活かしたこのマイクロティルト、上手く使えば非常に弾きやすいセッティングを実現できるのですが、これを大々的にアピールしていた70年代中盤以降のフェンダー製品はネックとボディの留め付け部の加工がかなりいい加減だったこともあり、Mティルトによる調整がネックの横ずれを引き起こすという認識が広まってしまいました。
もちろん、留め付け部の加工の精度が高い楽器ではMティルトはトラブルを引き起こすことなどはありませんから、レオはミュージックマン製品にこの機構を採用したのです。
ネックの留め付けの、ボディ底面側のネジのすぐ下に小さな穴があるのがお分かりでしょうか。ここに六角レンチを入れて回すことで
ネックの仕込み角度を調整するのがMティルトです。
ネックの仕込み角を調整することで、特にハイポジションつまり高音域のフレットを押えやすくなります。
また、これもフェンダーの最初のエレクトリックベース、プレシジョンベースの最初期型に採用した仕様なのですが、弦をボディの裏側から通して留める裏通し方式を採用しています。
裏通し方式だと手が感じる弦の張り感が強くなりますが、どうもレオは裏通しの張り感が好みのようで、加工の手間がかかるこの方式をスティングレイにも取り入れています。
さらにはヘッド上面、弦を張る際に通すストリングガイドというパーツも
4Gおよび3Dの細いほうのふたつにかかるように配しています。これもレオ好みの弦の張り感を実現するためですが、強く弾いたときに弦がナット(上駒)から外れるリスクを軽減すべく、後に3Dと2B弦にかかるよう変更されます。
それと、これはおそらく従来のフェンダー製ベースよりも小ぶりなボディを採用したことと関係あるのかもしれませんが、フェンダーではボディの表裏に施したコンフォートコンターとよばれる削り加工が、初期型スティングレイにはありませんでした。
タイトで重い低音を鳴らすためにはボディが軽すぎては良くない、というレオの判断だったのでしょう、重く固いアッシュ(ash)という木材を、しかもコンター無しでボディに用いたことでスティングレイはそのエッジの効いた硬質なトーンを獲得したとされています。
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こうして先進的な機構を導入しつつあくまでミュージシャンの演奏を考慮されたスティングレイはたちまちのうちに多くのベーシストが手にし、その重く存在感あるサウンドを響かせました。
ネットの画像を拾える範囲(笑)で探しても;
バーナード・エドワーズ(CHIC)
ルイス・ジョンソン
さらにはこの両名に影響されたとされる
ジョン・ディーコン(QUEEN)
もちろん、もう少し後の世代の方であれば
フリー(RED HOT CHILLI PEPPERS)の激烈なプレイが印象に残っていることでしょう。
ボクとしてはここにもう二人の名を挙げたいと思います。
ひとりは、やはりこの人、トニー・レヴィン。キング・クリムズンの低音を支え続けた彼はピーター・ゲイブリエルの盟友として長く活動を共にしていますが、闊達で奔放なフレージングの生み出すうねりはスティングレイあってこそだと思っています。
もうひとりは、
セッションプレイヤーのピノ・パラディーノです。
最近ではジョン・メイヤーのトリオの一員として知られる彼はザ・フー(THE WHO)やジェフ・ベックからもお呼びがかかるほどの名手としてその名を不動のものにしていますが、そのキャリアの初期における名演はこちら。
ポール・ヤングのヒット”Everytme You Go Away”オリジナルはホール&オーツですがにおける、大胆でメロディアスなプレイに耳を奪われた方も多いはず。
ここでパラディーノは、音程を決める杭であるフレットが打たれていないネックを搭載したフレットレス仕様のスティングレイをプレイしています。弦を押さえた左手を上下に動かすことで音程を上下させるグリッサンド奏法を交えたプレイは彼の看板となり、後にはティアーズ・フォー・フィアーズの楽曲でも披露しています。
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アーニー・ボールが買収して以降のミュージックマンにおいてもスティングレイは生産が続けられ、細かなアップデイトを繰り返しながらなおも同社の看板商品にしてエレクトリックベースの代表的なモデルであり続けています。
とはいえ、現行品がどれだけ細かい仕様変更を繰り返してもその魅力的なサウンドが失われないのはその根源にあるレオ・フェンダーの高い知見に基づいた確固たる基本設計のおかげといえます。
フェンダー社に残した傑作達を踏襲しながらもその改良に取り組み、結果として新たな魅力を備えた製品を生み出したレオ・フェンダーのおかげでエレクトリックベースと、それを必要とする全ての音楽はさらに進歩できたことが、今更ながらとてつもない偉業であることを実感させられます。