『希望の国 エクソダス』村上龍 を読んだ。
わくわくぴょこんに来てる子たちの父親・母親3人が「よかったよ。おもしろかったよ。」って教えてくれたから。
この本は1998年10月から2000年5月まで、『文藝春秋』で連載されていたものだけど、物語の舞台は、2001年6月から2008年9月までの近未来日本。(今となっては過去になってしまったんだけど・・)
何がすごいかって、村上龍の先を見抜く目と直観力ですね。
それから、もう12年以上も前から、村上龍は警鐘を鳴らし続けてきたんだなってことに驚かされた。
ネタばれしない程度に、あらすじを紹介・・・。
近未来(4年後)の日本で、80万人の中学生が学校を捨てる。日本経済は大停滞を続ける中、彼らはネットビジネスを始め、情報戦略を駆使して、日本の政界、経済界に衝撃を与える一大勢力に成長していく。その後、全世界の注目する中で、彼らのエクソダス(脱出)が始まる。希望の国では、新しい地域通貨(単位はイクス)、自然エネルギーである風力発電の導入もしていく・・。
ぼくは、井上ひさしも好きなんだけど、20年近く前に読んだ『吉里吉里人(きりきりじん)』を思い出した。おもしろかったなあ、これも。東北に実在する吉里吉里地区という集落を舞台に、日本国とは別の独立国家をつくっていったような話。東北弁を吉里吉里語とし、地域通貨(単位はえんを東北なまり風にいったイエン)を発行し、人や家畜の糞尿からエネルギーをとりだしていたような気がする。
話はそれていくが、先日ネットのニュースでひさびさにこの地域の名前を見つけた。(モデルとなった同名の地域が実在する。)東北地震の直後も、実在する吉里吉里地区の人たちは、国や県、町からの助けをただ待ってるんじゃなくて、自分たちで自衛隊のヘリコプターを呼んで重症患者を運んだり、瓦礫をのけて道路を通れるようにしたりなど・・。
その記事はコチラ→ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110414-00000019-maip-soci
エクソダスに話を戻そう。
村上龍は、「中学生に期待したり、希望を託してるわけではなく、中学生の反乱を通して、現在の日本社会の危機感と適応力のなさを示したかった・・。」とあとがきに書いている。そして、執筆から4年後の文庫版のあとがきにも、「社会的要素は現在に至っても変化がなく、いまだに充分な危機感と適応力を持っていない・・。」としている。
だけど、がっかりするな!龍!
ぼくは40歳のおっさんで、今さらながらではあるが、危機感と適応力が大切なことだと、最近しみじみと思うようになったひとりだよ。
「日本社会が・・」って考えると、相手がデカすぎて萎えてまうけど、まずは自分の意識が変わり、となりのひとりが変わり、って順番に増えていくって考えればラクになる。よく言われるように、8割の人たちは、日和見主義の「長いものには巻かれろ派」らしいからね。
最悪の事態を考えてから始める。手に負えないようなら、最初からやらない。
こういうのを「危機管理」っていうらしい。
それにしても、今回の原発事故で頻繁に出てきた『想定外』ってことば。ほんとイヤになる。
今の中学生、高校生たちのことを小説の中で、文部省(現文部科学省)のエライさんがこう言う。
「だっせー、とか、うざってー、とか、うっそー、とかそういう常套句しか連中は喋れないんです。・・・ボキャブラリーが極度に貧困なんです。考えてみれば、当たり前ですよ。学校に行ってれば簡単なんです。サバイバルする必要もないし・・。それは居酒屋で群れているサラリーマンも同じ・・。」
「フリースクールの子どもたちは、まず孤独です。不登校という大変な状況の中で、自分を確認しなくてはいけないので、自然と言葉を獲得しようとするわけです。・・・これから自分はどういう風に生きていけばいいのかということを考えていて、他人の話をよく聞きます。自分の生き方を他人に説明したり、他人の意見を理解するということは彼らにとって死活問題なわけです。・・・こういう生徒たちが日本を変えていくのではないか・・・。」
う~ん。なるほどねえ。もちろんみんながみんな、こんなふうにはくくれないけどね。
自分が自分の人生の主人公になる。
もちろん脚本も自分で書く。
誰もがきっと、こうありたいと願ってるはず。
話はまたとぶが、
おれが会社勤めやめて、自給自足のくらし、やりだした時のこと。
中学教師やってる友だちが、クラスの生徒に、
「こういう生き方どうおもう?」
って生徒に尋ねたら、
男子の中には
「カッコイイ!」「あこがれる」
って意見もちらほら。少し、鼻の穴ふくらむオレ。
一方気になる(!)女子のほうは、
「いやだ」「やっぱり安定した仕事につきたい」
という意見が大半だったとか。中には
「そういう人とは結婚したくない」
なんて意見もあったとか!
だから、安定ってなんだよ?(べつに怒ってないよ!【苦笑】)
いきものなんだから、組織だって。会社に勤めたって、役所に勤めたって、結局、人のあつまりだから。いいときもあれば、悪いときもある。安定なんてどこにもないと思うんだよね。おじさんは。
そういうぼくも、高校一年で「将来なりたい職業は?」と聞かれたとき、迷わず「公務員っ!」って答えてましたけど・・(笑)。
自分がいきいきしてて、なおかつ安定してたら言うことないでしょうね。(いきいきと人生を楽しんでる人が食いっぱぐれて餓死するなんて、想像できんけどね)
ともあれ、小説の中の中学生はいう。
「この国にはなんでもある、ただ『希望』だけがない」
そして、希望の国をつくっていく。
そうだ。おれも希望の国をつくろう。
ひとりからでもいいや。あっ家族がおった。友だちもおった。仲間はおるんだよ。
いま、一番興味あるのは、自家発電なんだよなあ。
うんこにするか、風車にするか。
それが問題だ。


わくわくぴょこんに来てる子たちの父親・母親3人が「よかったよ。おもしろかったよ。」って教えてくれたから。
この本は1998年10月から2000年5月まで、『文藝春秋』で連載されていたものだけど、物語の舞台は、2001年6月から2008年9月までの近未来日本。(今となっては過去になってしまったんだけど・・)
何がすごいかって、村上龍の先を見抜く目と直観力ですね。
それから、もう12年以上も前から、村上龍は警鐘を鳴らし続けてきたんだなってことに驚かされた。
ネタばれしない程度に、あらすじを紹介・・・。
近未来(4年後)の日本で、80万人の中学生が学校を捨てる。日本経済は大停滞を続ける中、彼らはネットビジネスを始め、情報戦略を駆使して、日本の政界、経済界に衝撃を与える一大勢力に成長していく。その後、全世界の注目する中で、彼らのエクソダス(脱出)が始まる。希望の国では、新しい地域通貨(単位はイクス)、自然エネルギーである風力発電の導入もしていく・・。
ぼくは、井上ひさしも好きなんだけど、20年近く前に読んだ『吉里吉里人(きりきりじん)』を思い出した。おもしろかったなあ、これも。東北に実在する吉里吉里地区という集落を舞台に、日本国とは別の独立国家をつくっていったような話。東北弁を吉里吉里語とし、地域通貨(単位はえんを東北なまり風にいったイエン)を発行し、人や家畜の糞尿からエネルギーをとりだしていたような気がする。
話はそれていくが、先日ネットのニュースでひさびさにこの地域の名前を見つけた。(モデルとなった同名の地域が実在する。)東北地震の直後も、実在する吉里吉里地区の人たちは、国や県、町からの助けをただ待ってるんじゃなくて、自分たちで自衛隊のヘリコプターを呼んで重症患者を運んだり、瓦礫をのけて道路を通れるようにしたりなど・・。
その記事はコチラ→ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110414-00000019-maip-soci
エクソダスに話を戻そう。
村上龍は、「中学生に期待したり、希望を託してるわけではなく、中学生の反乱を通して、現在の日本社会の危機感と適応力のなさを示したかった・・。」とあとがきに書いている。そして、執筆から4年後の文庫版のあとがきにも、「社会的要素は現在に至っても変化がなく、いまだに充分な危機感と適応力を持っていない・・。」としている。
だけど、がっかりするな!龍!
ぼくは40歳のおっさんで、今さらながらではあるが、危機感と適応力が大切なことだと、最近しみじみと思うようになったひとりだよ。
「日本社会が・・」って考えると、相手がデカすぎて萎えてまうけど、まずは自分の意識が変わり、となりのひとりが変わり、って順番に増えていくって考えればラクになる。よく言われるように、8割の人たちは、日和見主義の「長いものには巻かれろ派」らしいからね。
最悪の事態を考えてから始める。手に負えないようなら、最初からやらない。
こういうのを「危機管理」っていうらしい。
それにしても、今回の原発事故で頻繁に出てきた『想定外』ってことば。ほんとイヤになる。
今の中学生、高校生たちのことを小説の中で、文部省(現文部科学省)のエライさんがこう言う。
「だっせー、とか、うざってー、とか、うっそー、とかそういう常套句しか連中は喋れないんです。・・・ボキャブラリーが極度に貧困なんです。考えてみれば、当たり前ですよ。学校に行ってれば簡単なんです。サバイバルする必要もないし・・。それは居酒屋で群れているサラリーマンも同じ・・。」
「フリースクールの子どもたちは、まず孤独です。不登校という大変な状況の中で、自分を確認しなくてはいけないので、自然と言葉を獲得しようとするわけです。・・・これから自分はどういう風に生きていけばいいのかということを考えていて、他人の話をよく聞きます。自分の生き方を他人に説明したり、他人の意見を理解するということは彼らにとって死活問題なわけです。・・・こういう生徒たちが日本を変えていくのではないか・・・。」
う~ん。なるほどねえ。もちろんみんながみんな、こんなふうにはくくれないけどね。
自分が自分の人生の主人公になる。
もちろん脚本も自分で書く。
誰もがきっと、こうありたいと願ってるはず。
話はまたとぶが、
おれが会社勤めやめて、自給自足のくらし、やりだした時のこと。
中学教師やってる友だちが、クラスの生徒に、
「こういう生き方どうおもう?」
って生徒に尋ねたら、
男子の中には
「カッコイイ!」「あこがれる」
って意見もちらほら。少し、鼻の穴ふくらむオレ。
一方気になる(!)女子のほうは、
「いやだ」「やっぱり安定した仕事につきたい」
という意見が大半だったとか。中には
「そういう人とは結婚したくない」
なんて意見もあったとか!
だから、安定ってなんだよ?(べつに怒ってないよ!【苦笑】)
いきものなんだから、組織だって。会社に勤めたって、役所に勤めたって、結局、人のあつまりだから。いいときもあれば、悪いときもある。安定なんてどこにもないと思うんだよね。おじさんは。
そういうぼくも、高校一年で「将来なりたい職業は?」と聞かれたとき、迷わず「公務員っ!」って答えてましたけど・・(笑)。
自分がいきいきしてて、なおかつ安定してたら言うことないでしょうね。(いきいきと人生を楽しんでる人が食いっぱぐれて餓死するなんて、想像できんけどね)
ともあれ、小説の中の中学生はいう。
「この国にはなんでもある、ただ『希望』だけがない」
そして、希望の国をつくっていく。
そうだ。おれも希望の国をつくろう。
ひとりからでもいいや。あっ家族がおった。友だちもおった。仲間はおるんだよ。
いま、一番興味あるのは、自家発電なんだよなあ。
うんこにするか、風車にするか。
それが問題だ。

