1月25日あの中村哲氏のお別れ会が

地元福岡で開催されていた

 

中村氏には多くの著書や寄稿、講演などあるが

その内容に触れ改めて心に響くものを感じた

         前掲記事→アフガニスタン支援 中村医師

 

氏の成し遂げた業績ではなく、そのベースに

あった信念や人生観の垣間見える言葉が

記されていたので一部をご紹介したい

 

  縁、出会い

 

アフガニスタンやパキスタンに縁もゆかりも

なかった自分が、現地に吸い寄せられるように

近づいていったのは決して単なる偶然ではなかった。

 

しかし、よく誤解されるように強固な信念や

高邁な思想があったわけではない。人はよく自己を

語るが、赴任までの経緯を想うとき、生まれ落ちてから

 

全ての出会いが(人であれ事件であれ時代であれ)

自分の意識や意思を越えて関わっていることを

思わずにはいられない。

 

戦争と平和

 

平和は一朝にして築けるものではない。利害を超え

忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さ

こそが、人々の心に触れる。それは武力以上に

 

強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる。

私たちにとって平和とは理念ではなく現実の力なのだ。

私たちはいとも簡単に戦争と平和を語りすぎる。

 

武力行使によって守られるものとは何か、そして本当に

守るべきものは何か、静かに思いを致すべきだと思う。

 

砂漠の奇跡

 

あれから四年、今ベンガリ砂漠の森は静寂が支配

している。樹間をくぐる心地よい風がそよぎ、小鳥が

さえずり、遠くで蛙の合唱が聞こえる。生活は安定に

 

向かっていた。それは座して得られたものではない。

生き延びようとする健全な欲と、良心的な協力が

結び合い、すざましい努力によって結実したからだ。

 

静かに広がる緑の大地は、物を言わずとも無限の

恵みを語る。 平和とは観念ではなく実態である。

 

不易と流行

 

人間にとって本当に必要なものはそう多くはない。

少なくとも私は「金さえあれば何でもできて幸せに

なる」と云う迷信「武力さえあれば身が守れる」

 

という盲信からは自由である。何が真実で何が

不要なのか、何が人として最低限共有できる

ものなのか、目を凝らしてみつめ健全な感性と

 

自然との関係を回復することである。自然から

遊離するバベルの塔はやがて倒れる。科学

経済、農業、あらゆる人の営みは、自然と人

 

人と人との和解を探ること以外に生き延びる

道はないであろう。今その声は小さくとも、やがて

現在が裁かれ大きな潮流とならざるを得ないはずだ。

 

これが30年間の現地活動を通して得た平凡な

結論とメッセージである。

 

(えにし)という共通の恵み

 

様々な人や出来事との出会い、そしてそれに自分が

どう応えるかで、行く先が定められていきます。

私たち個人のどんな小さな出来事も、時と場所を

 

越え、縦横無尽に有機的に結ばれています。そして

そこに人の意思を超えた神聖なものを感じざるを

得ません。この広大な縁(えにし)の世界で、誰で

 

あっても無意味な生命や人生は決してありません。

私たちに分からないだけです。この事実が知ってほしい

ことのひとつです。現地30年の体験を通して言える

 

ことは、私たちが己の分限を知り誠実である限り、天の

恵みと人の真心は信頼に足るということです。

 

中村氏はキリスト教に造詣のあった人だが

「一隅を照らす」という天台宗の言葉をよく

使っていたというように、氏の中では宗教の

 

神髄(自然と人間と愛)を理解していたから

そこに分け隔てはなかったのだろう。

 

だからこそ現地アフガンのイスラム教にも

敬意を示しモスクの建設にも尽力したのだろう。

 

 

中村 哲氏のご冥福を祈りたい

 

 「中村氏の言葉」を拾い読んでいて私が発信している

内容と重なる部分を多々見つけ大いに力づけられた

コンぎつねでした 照れ