~個人セッションをお受けいただいている himagoさま から、セッションのご感想をいただきましたので、
言葉にとらわれず、あくまでご参考までにということで、しみっちのコメントを含めて掲載させていただきます。~
第35回目(2013/7/15)の感想です。
はじめの共鳴では
気負いも反省もなく気づいていることができた
いいですね。
すでにただある気付きは、個人の努力以前、無努力に在り
それに寛いでいられますね。
アイコンタクトでは
常に気づいていようと努力するのは難しいと感じる
綱渡りをしているようだ。バランスを取らなくてはいけないと感じる
その経験すらそのままできているベースの気付きは、維持しようとする必要なく大前提に在り
その経験すら、「そうである」とまるごと肯定し、在ります。
(そして、それ自体が真のバランス、バランスそのものです)
そっと気付きに気付いたら、そこからは個人の仕事ではなく、気付き・在るには微細な引力があって、それに任せるようにして、そっとただ在られてくださるといいかと思います。
目を閉じて共鳴では
瞑想していることに気づいている/瞑想をしているふりに気づいている、気づき
悪事を働いていることに気づいている/善行を積んでいることに気づいている、気づき
ええ、そのように気付きはただ一切をそのままに気づいているだけですね。
沈黙の ただそうである そのものです。
ハートの共鳴では
その気づきにアプローチをしようとすると
アプローチをしている自分がマインド側の自分、性別や年齢や名前を持っている自分であることに気づく
ある意味、気づきは自分ではないのかも
ええ、そうですね。
純粋な気付きは、性別や年齢や名前を持っていない裸の意識・気付き、空っぽの裸の私とも言えます。
個人という経験もその中で起こる、すべての経験のベースとして初めから変わらずに在るものと言えます。
himago
次回を楽しみにしています
素晴らしいご感想をありがとうございました。
しみっち
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