熟年離婚して、幸せになった65歳の男の例: 3年の離婚裁判(その1) | ハリー・ヨシダの楽しい終活日記(ハリー爺ちゃん随想集)

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もういくつ寝るとあの世かな。
☆剣道 教士7段 、剣道コーチ
☆Harry's フォトスタジオ枚方 代表
☆催眠誘導心理カウンセラー
☆貿易アカデミー 講師
☆財務分析セミナー講師
☆元 関西外語専門学校 講師
☆元 JETRO認定貿易アドバイザー

妻を信じ切った男の末路、馬鹿な男の浪花節、一つ聞かせやしょう。♪

 

 

一緒にいて辛いパートナーなら、

そんな関係は、さっぱりと断捨離して、

 

一人で生きるほうが、禅坊主のように幸せになれるのかもしれません。

 

熟年離婚を考える人に、それも良い選択の一つという例をお話ししましょう。

 

熟年離婚して、幸せになった65歳の男の例:


その男とは?

 

はい、私です。 (^^ゞ

 

トラブルメーカーのパートナーは断捨離しよう!

 

 

妻と義母とのタグマッチのモラハラに苦しんだ私。

 

「アー、もうたまらない!」と、電車に飛び込み自殺する人のような思い込んだ状態で、ある日、私は、妻に、離婚を申し出ました。

 

しかし、私が、離婚を申し出たとき、妻は驚きませんでした。 

 

黙って、その時が来たかという感じで聞いていました。

 

そのつもりで私に接していたのでしょう。 そうなるように仕向けていたのですね。

 

 

 

私は、27歳で結婚し、56歳の時に離婚を決意し、均等な財産分与の離婚協議書を提出しましたが、

 

妻側が、同居する義母と結託し、悪徳弁護士を使って不当な要求をしてきたため、私も対抗するため裁判に持ち込みました。

 

悪徳弁護士が作って送ってきた妻側の離婚協議書は、あまりにもでたらめで、驚くばかりでした。

 

私は、結婚して以来ずっと、勤め先から直接に女房の口座へ給料の全額を振込み、妻から私へ毎月3万~5万円程をもらっていました。

 

通帳はすべて、女房が管理。

 

私は、会社の飲み会や、お昼ご飯はその3万~5万円程から払っていました。

 

5万円くらいするスーツを買う場合は、事前に女房に伝えてからクレジットカードで支払うなど、すべて妻と話し合ってお金を使っていました。

 

ですから、56歳で離婚を申し出たときは、わたしは、貯金がありませんでした。

 

ですので、離婚を申し出たのが、たしか、8月の給料日の前に

 

離婚協議書を渡して、次の給料日から私に振り込まれる月給が私の全財産でした。

 

まさにゼロからのスタート。

 

 

一方妻は、

 

義母と妻が占有する立派な1戸建て2軒に住んでおり、その二軒は隣り合わせでした。

 

1軒の建物は、私名義の土地に義母名義の家が建っており、

 

もう一軒の土地と建物の名義は、両方私の名義でした。

 

したがって、財産分与を均等に行うには、その土地、建物を売却して金銭にして分け合うことになります。それが私の案でした。

 

 

 

 

しかし、

 

後日、私の離婚協議書に対して、妻側のカウンター案を、弁護士名で送ってきたのですが、驚く内容でした。

 

私が主張する財産分与する案を拒否し、土地建物は売却せず、妻が占有する事、

それに加えて、私に貸した金があるというウソの理由を創り上げて数千万円のカネを払えと言ってきたのです。

 

他にもウソの例として、資産隠しです。

 

ウソの登記資料:

 

妻名義で、私に金額を内緒で購入した別荘地を妻が持っていましたが、その土地の資産価値をごまかすために、私道部分だけの資料を提出し、資産価値ゼロの物件であると主張してきました。

 

(このウソを暴くために、私は、別ルートで不動産鑑定士を雇い、50万円程掛けて調査し、本当は400万ほどの資産価値があることを証明しました。裁判の終わりころですので、その調査までの3年間、妻側の嘘の資料で、裁判がされていたのです。どうもおかしいと感じた私は裁判の終わりごろに意を決して調査をしウソを暴いたのです。

 危うくだまされるところでした。 ウソの資料を法廷に提出して平気な妻とその弁護士の厚顔無恥さにあきれました。)

 

②貯金額が分からない。

女房は、子供たちを義母に預けて、正社員の仕事を持っていましたので、私の給料と、妻自身の給料を一人で使っていたのです。

さに、我が家の大蔵省でした。年収1千万を超えるお金を自分の自由裁量で使っていた妻でした。高卒だった妻は、私立の短大に入学して卒業、ニュージーランドに短期留学もしました。私がそうさせてあげたのです。 なんと寛大な夫でしょう。(^^ゞ

 

その通帳は夫の私は観たことがありません。 だから、本当はいくらの貯金があるのか、夫である私には分からないのでした。

 

妻を信じ切っていたバカな男の末路でした。

 

 

一方、私は、貯金がほとんどなく、家もない状態です。

 

この時は、私は東京の会社の寮に単身赴任していましたので、その4畳半ほどの会社の寮が私の住まいでした。

 

(↑東京の単身赴任の会社寮: 私はここに18年住んで、一戸建てに住む妻へ、給料の全額を送金していた。)

 

妻側の要求は、そんな夫に、

『おまえは、一戸建て家2軒を100%空け渡し、かつ数千万円のカネを妻に払え』という、

とんでもない離婚協議案だったわけです。

 

私には、手持ちの金は20万円程しかないのにです。給料のすべてを会社から妻の銀行口座に送金していたからです。

 

私は東京で単身赴任で働いて、カネを送り、妻は、一戸建て二軒を占有して悠々自適の生活。しかも、自分が働いた金で、大分県の別荘地の土地まで、妻名義で買っていたのに。

 

何故、私が妻に、追い銭で数千万円を払う必要があるのでしょうか?家も土地も妻のものにして、、。意味が分からない要求を妻は悪徳弁護士を立てて請求してきたのです。

そんな弁護士もひどいものです。

 

盗人に追い銭です。

 

クレージーとしか言いようがありません。

 

私は、土地財産、そのほかの資産を洗い出して、二等分することを要求しました。それが私の離婚協議案でした。フェアーな解決法と考えたからです。それが常識的な方法でしょう。

 

そこで、私は、裁判するしかないと考え、弁護士探しを始めました。

 

ある日、私の次男坊と一緒に弁護士事務所を2軒訊ねました。

 

1っ軒目の弁護士は、立派な応接室の50歳代の男性弁護士でした。

たいして金にもならない案件だという印象で、体よくお断りされ、しっかり面談料1万円を取られました。

 

 

私の弁護を引き受けてくださったのは、女性弁護士でした。

 

この弁護士との出会いは、私にとって大変幸運でした。

 

私が離婚を決意した夫婦間の問題を話しましたところ、その窮状に共感をしてくださり、熱い正義感を持って弁護をしてくださいました。

 

この時は、まだ裁判に持ち込むかどうか迷っていた時ですので、「もし、裁判になるなら、私が弁護をお受けします。安心してください。」と言ってくださり、「今日の相談料は無料でいいです」と言ってくださいました。 

 

この弁護士に、初めてお会いした時は、私の次男坊も一緒に同席してくれていました。

 

彼は、帰りの道中、「あの弁護士さん、僕たちの話を聞いて、ちょっと目がうるんでたよね。いい弁護士さんだね」と言いました。

 

こうして、よい弁護士が見つかったことで、私も腹が決まり、裁判に持ち込みました。

 

そして、裁判での闘争となるのですが、正直流の私と、嘘八百の詐欺的な妻側との泥仕合が3年も続くことになりました。

 

信じていたパートナー(妻)が、強欲な悪徳詐欺師のような本性を露わにしてきたら、あなたはどれほど驚くでしょうか。

 

私は、そのおぞましき現実を経験したのです。

 

人を信じることが、どれほど恐ろしいことかと、学ぶことになりました。

 

つづく ⇒ ⇒離婚裁判の顛末(その1) 裁判官の判決を待つか? 和解をするか?の選択に迫られる。

         https://ameblo.jp/wakuwaku-seminar/entry-12620683424.html

 

 

熟年離婚裁判の回想録:あの日、あの時:

(苦悩からの解放までの道のり)1章~8章URL一覧

https://ameblo.jp/wakuwaku-seminar/entry-12620746371.html