ハリーの原体験(その1)東西冷戦ソビエト、ポーランドの生活、アウシュビッツ 禅との出会い | ハリー・ヨシダの楽しい終活日記(ハリー爺ちゃん随想集)

ハリー・ヨシダの楽しい終活日記(ハリー爺ちゃん随想集)

もういくつ寝るとあの世かな。
☆剣道 教士7段 、剣道コーチ
☆Harry's フォトスタジオ枚方 代表
☆催眠誘導心理カウンセラー
☆貿易アカデミー 講師
☆財務分析セミナー講師
☆元 関西外語専門学校 講師
☆元 JETRO認定貿易アドバイザー

ハリーの原体験


私の原体験、禅との出会いを語りたいと思っています。
ハリー・ヨシダ ワクワク人生開発ナビゲーターのブログ
語りたいことを箇条書きにしてみました。

(右写真は、私が禅を学んだ

       禅寺、京都、円福寺→)

20歳代で、禅僧の生活を体験し、こころの安寧を知り、将来は禅的生活をする庵(いおり)で一生を終えたいと願っていた私でした。その名を「雲水庵」と名づけていました。まだ見ぬ、将来の庵の名前でした。


気づくと、娘の協力で開設したワクワク文化教室、日本橋サロンは、その雲水庵となっていました。


ここで私が行う心理カウンセリング、コーチングは、ここをおとづれる方のこころの支え「メンタル・サポート」を総合的にして差し上げるサービスになっています。


人生の悲喜交々、あらゆる局面で、民衆の心をささえた禅僧たちのように、私も多くの人のこころの支えを禅、心理学、NLP,コーチング、セラピー、催眠の知識を活用して行っていきたいと願っています。


私は、落ち込んだ方をセラピーし、回復へのカウンセリングをし、回復後の前向きな人生出発のためのコーチング、夢の実現のためのキャリア・カウンセリングまで、トータルに支える、「メンタル・サポーター」です。


ハリーの原体験から、あなたは、何を感じられるでしょうか?


語りたい項目を目次だけ書き出してみました。


<目次>

第一章: 禅との出会い


1.剣道の練習で毎日行った「黙想」


2.今から33年前、世界放浪の旅への出発

  ・ 横浜から船に乗って、東西冷戦下、鉄のカーテンの向こうのソビエト連邦へ向かった。


3.就職とやりたいことの狭間に悩む


4.円福寺で雲水僧と寝起き


第二章:社会主義国家、ソビエト連邦一人旅


1.横浜から船に乗って


2.ロシア人の小学四年生の子供が先生



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3.英語を話すと密告でスパイにされるソビエト社会


4.シベリア鉄道の旅


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5.駅の夜警団(シェパード、拳銃、棍棒)


6.シベリア鉄道の美しき女性車掌達


7.広島原爆鎮魂のための折り鶴の意味が理解できないロシア人(宗教はアヘン。宗教禁止の社会主義教育がそだてた社会)


8.有人ロケット、核兵器を持つ社会主義大国ソビエトの物資不足の実態

シベリア鉄道にロール紙トイレットペーパーはなかった。


9.シベリア鉄道で一番おいしかったもの「チャイ」


10.未来の国からやってきた少年になった私


11.チューインガムを初めて見たロシア人老婆


12.コンパートメントのロシア人旅客と絵を書いてコミュニケーション


13.恐怖の列車内検問、鬼の警察官


14.車内検閲で泣いた老婆 (無残に破られた孫へのプレゼントの包)


15. 『[次!]と厳しい口調で私を指差す警察官。 ついに私の検閲が始まった。コンパートメントで私と二人きりになった時、鬼の検閲警察官が見せた驚きの対応


16.ソビエト連邦の首都、モスクワの街で見たもの。


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15.物資不足のソビエトの百貨店のショーウインドウ


16.行列の自動販売機。なんじゃ、こりゃ?


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17.モスクワの外国人用一流ホテルで見たもの。


・室内清掃これで完了?(ホテル従業員も国家公務員)


・テレビの放映は、労働時間には無い。


18.テレビの番組は、すべて国営放送。ロシア革命の栄光と、社会主義教育のための放送だらけ。


19.コメディアンも国家公務員


20、笑わないパン屋さん(パン屋さんの店員も国家公務員)


21.モスクワ市内の地下鉄は、アメリカとのミサイル戦に備えた防空壕だった。


22.モスクワ郊外へ電車で行って見たものみた。


第三章 モスクワから夜行列車でポーランドの首都ワルシャワへ


1.ポーランドのワルシャワの駅での周囲から浴びた視線と理由


2.バスに乗ったら、全員が私をジロジロ見る。


3. ワルシャワのユースホステルへチェックイン


4. ある若きポーランド人の兄弟との出会い。(ヤン氏との出会い)


5. ポーランド、ワルシャワでヤン氏との出会い、ウルルン滞在


6. ヤン氏のご家族とのウルルン滞在


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7. ヤン氏が語った自由の国への脱出作戦、


8. 初めて見た偽造二重パスポート


9. ワルシャワ大学の周りの本屋にも英語辞書は売っていない。英語が必要なのはスパイだけ。


10. ソビエト連邦の戦車が支配するポーランド



11. 高級外車に乗るお金持ちは共産党党員幹部だけ


12. 肉屋の店先に肉がない。そこで肉を買ったヤン氏の買い方


13. 旅先で車が故障。修理に一ヶ月かかるという。それを一時間で修理させたヤン氏のやり方 


14. ワルシャワ大学の学生たちのパーティーに飛び入り参加。 そこで知り合ったラオス人留学生に、日本やアメリカの生活、自由民主主義の世界の姿を語っている私に、幹部青年が近寄り、「お前は危険分子だ」と警告を受け、周りの鋭い視線と危険を感じた私。東西の壁の向こうの現実を知ることができない学生たち


15. アウシュビッツ強制収容所


人のために命を捨てたコルベ神父との出会い


 ロゴ心理療法を知る。(アウシュビッツで生き残ったロゴ博士は、強制収容所での経験から学び、ロゴ心理療法を体系化し、ガン告知を始めた心理学者です。)


17.ドイツ、ベルリンの壁を通過 緊張の夜 

 

・ベルリンの厳戒態勢 亡命者は射殺 


・ヒットラーの精鋭部隊のゲシュタポの出で立ちの警察官。黒光りするガンホルスターと、黒い革ロングブーツで、仁王立ちして周りをジロリと睨む。


その後、大西洋を横断し、カナダでのワークキャンプ二ヶ月を体験後、またヨーロッパに戻り、フランス、スペイン、ベルギー、オランダなどを旅し、インド、ボンベイで絶体絶命の危機に陥り、そこであるインド人青年実業家に救われ、日本の伊丹空港にたどりついたとき、私のポケットには1000円しかなかった。


第四章:禅寺で雲水僧の生活体験


私が帰国したときは、すでに夏が過ぎ、大学4年生の就職活動はすでに終盤。すでに青田刈りで内定が決まった段階。

遅ればせながら、就職活動開始。有名商社4社の試験に四次試験まで引きづられ、最終面接で落ち、就活戦線はほぼ終わりになったとき、偶然見つけたある会社の二次募集を見つけ応募。合格。かろうじて一部上場企業に無事就職。


しかし、なにか、こころが満たされない。


私は、いったい何がしたいのか?

私は、どういう人生を望んでいるのか?


自問するも、答えがでなかった。


就職は決まった。でも、なにか、ちがう。その「何か」の正体がわからずもんもんとしていました。


そんなある日、どこで、どうやって知ったのかは記憶が定かでないのですが、円福寺という禅僧が修行をするお寺で、一週間だけ一般人の参加を許可するということを知り、申し込見ました。冬の2月でした。


許可された一般人は数人でしたが、20代の私は幸運にも、その中の一人として、私は剣道着を着て参加することになりました。

一週間でしたが、禅僧たちと一緒に寝泊まりしながら、彼らの厳しい業を体験し、至福のこころの安寧を生まれて初めて体験することになりました。


つづく。。。。


続き:

② ハリーの原体験(その2)

http://ameblo.jp/wakuwaku-seminar/entry-11328285110.html


③ ハリーの原体験(その3)

http://ameblo.jp/wakuwaku-seminar/entry-11328289664.html



(下の写真は、アウシュビッツ強制収容所の電気鉄条網、撮影by Harry Yoshida)