3月11日、あの日、私は仙台市にある東北支社で管理部長として執務をしていた。
いつもどうりに平和な職場風景だった。
そして、午後、あの地震と津波を経験することになった。
キャビネットや什器が倒壊して、ぐちゃぐちゃの事務所から事務所にいた社員20数名を退避させたあと、管理部長の私だけが、管理責任から事務所にしばらく残った。
東北各地へ営業に出ている営業社員、東京へ出張している支社長とも連絡が出来ない。総勢50人の内30人以上の社員の安否が確認できない。方法がない。
メール、電話、電気、ガス、水が止まった。
夕方になり 雪がちらつき始めてきた。
東北支社事務所については、自分がここにいても、手の施しようがない状況に呆然としながら、
ハッと、
自分の家はどうなんだ?と気づき、
会社から歩いて5分ほどのところにある自分の借家へ走った。
道路は液状化現象で、凸凹になり、マンホールが飛び出してきている。
家に着くと、私のバイク、ハーレーが、コンクリート壁に向かってスタンドと反対側へバッタリと倒れていた。このバイクが反対側に倒れるとは・・・。揺れの大きさを物語っている。
350キロもある重さがあり、私一人では、引き起こせない状態であった。
壁とバイクの間に体が入らないからだ。
足元を見ると、
燃料タンクから、ガソリンが漏れている。
家の前が、濡れているのは、水ではなく、ガソリンだった。
ここをだれがタバコを加えて通れば、ドッカーーン!!だ。
気づかずに エンジンを掛けるためにイグニッションに点火したら、一発で終わりだった。
周りは火の海になる。
冷や汗がブッと吹き出る。
窓から家の中を覗くと、
「あ~~~!」 ((((;゚Д゚))))
だった。
書棚や、食器棚が倒れて、ぶつかり合って、壊れており、
部屋の中は、ガラス、瀬戸物の割れた破片、本、家財イッサイガッサイが
、散らばり積み重なり、無茶苦茶だ。
冷蔵庫も、電子レンジも、トースター、炊飯器も、部屋の中へすっとんで、ぶつかって、ひっくり返っている。
風呂場にあった、洗濯機は、置き場所から一メートルほど飛び出してきており、
水道とつながったホースの元から、スプリンクラーの用に水が
ビュューーーーーーと吹き出していて、家の中はビショビショだ。
割れたガラス、割れた瀬戸物、水、 本、その他ば床一面に散乱して、折り重なっている。
時刻は、4時すぎ。 太陽はもうすぐ沈む。
雪も降り出してきた。
電気は使えない。火も使えない。ロウソクもない。懐中電灯はあったけ?電池は?
もうすぐ真っ暗になる。
寝るところも、無い。
どうやって片付ければいいんだ?
さあ、何から、手をつければいいのか?
その時、ハリーが取った優先順位は何だったか?
あなたなら、何から、どうするだろうか?
【ヒント】
私は、もちろん、ガソリンの処理を最優先とした。
そして、そのあとの次の行動が、その後の生存への重要なポイントになった。
不可能と思われたバイクの引き起こし。
火事場の馬鹿力と機転でバイクを引き起こしたあと、
隣の I さんが、仕事場から戻ってきて、ハリーに、「大丈夫ですか? うちはめちゃくちゃですわ!」と声をかけてきた。
その時、ハリーは、Iさんに、「Iさん、いそいで、○○を○○○***るんだ! 」と叫んだ。
I さんは、「え? 」とおどろきながらも、「あ、あ、は、はい!そうします!」と家に飛んで帰った。
この行動で、
私とIさんは、それから1ヶ月間、
生き延びる大切なものを確保できた。
さて、ハリーが叫んだ、その指示とは?
ハリーの白熱セミナー
問題解決手法、危機管理、
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