大震災を体験したハリーのあの日 | ハリー・ヨシダの楽しい終活日記(ハリー爺ちゃん随想集)

ハリー・ヨシダの楽しい終活日記(ハリー爺ちゃん随想集)

もういくつ寝るとあの世かな。
☆剣道 教士7段 、剣道コーチ
☆Harry's フォトスタジオ枚方 代表
☆催眠誘導心理カウンセラー
☆貿易アカデミー 講師
☆財務分析セミナー講師
☆元 関西外語専門学校 講師
☆元 JETRO認定貿易アドバイザー

3月11日、あの日、私は仙台市にある東北支社で管理部長として執務をしていた。


いつもどうりに平和な職場風景だった。


そして、午後、あの地震と津波を経験することになった。


キャビネットや什器が倒壊して、ぐちゃぐちゃの事務所から事務所にいた社員20数名を退避させたあと、管理部長の私だけが、管理責任から事務所にしばらく残った。


東北各地へ営業に出ている営業社員、東京へ出張している支社長とも連絡が出来ない。総勢50人の内30人以上の社員の安否が確認できない。方法がない。


メール、電話、電気、ガス、水が止まった。


夕方になり 雪がちらつき始めてきた。


東北支社事務所については、自分がここにいても、手の施しようがない状況に呆然としながら、

ハッと、

自分の家はどうなんだ?と気づき、

会社から歩いて5分ほどのところにある自分の借家へ走った。


道路は液状化現象で、凸凹になり、マンホールが飛び出してきている。


家に着くと、私のバイク、ハーレーが、コンクリート壁に向かってスタンドと反対側へバッタリと倒れていた。このバイクが反対側に倒れるとは・・・。揺れの大きさを物語っている。

350キロもある重さがあり、私一人では、引き起こせない状態であった。

壁とバイクの間に体が入らないからだ。


足元を見ると、

燃料タンクから、ガソリンが漏れている。


家の前が、濡れているのは、水ではなく、ガソリンだった。


ここをだれがタバコを加えて通れば、ドッカーーン!!だ。


気づかずに エンジンを掛けるためにイグニッションに点火したら、一発で終わりだった。


周りは火の海になる。


冷や汗がブッと吹き出る。


窓から家の中を覗くと、

「あ~~~!」 ((((;゚Д゚))))


だった。


書棚や、食器棚が倒れて、ぶつかり合って、壊れており、


部屋の中は、ガラス、瀬戸物の割れた破片、本、家財イッサイガッサイが


、散らばり積み重なり、無茶苦茶だ。


冷蔵庫も、電子レンジも、トースター、炊飯器も、部屋の中へすっとんで、ぶつかって、ひっくり返っている。


風呂場にあった、洗濯機は、置き場所から一メートルほど飛び出してきており、


水道とつながったホースの元から、スプリンクラーの用に水が 


ビュューーーーーーと吹き出していて、家の中はビショビショだ。


割れたガラス、割れた瀬戸物、水、 本、その他ば床一面に散乱して、折り重なっている。



時刻は、4時すぎ。 太陽はもうすぐ沈む。


雪も降り出してきた。


電気は使えない。火も使えない。ロウソクもない。懐中電灯はあったけ?電池は? 


もうすぐ真っ暗になる。


寝るところも、無い。


どうやって片付ければいいんだ?


さあ、何から、手をつければいいのか?


その時、ハリーが取った優先順位は何だったか?


あなたなら、何から、どうするだろうか?


【ヒント】


私は、もちろん、ガソリンの処理を最優先とした。

そして、そのあとの次の行動が、その後の生存への重要なポイントになった。


不可能と思われたバイクの引き起こし。

火事場の馬鹿力と機転でバイクを引き起こしたあと、

隣の I さんが、仕事場から戻ってきて、ハリーに、「大丈夫ですか? うちはめちゃくちゃですわ!」と声をかけてきた。


その時、ハリーは、Iさんに、「Iさん、いそいで、○○を○○○***るんだ! 」と叫んだ。


I さんは、「え? 」とおどろきながらも、「あ、あ、は、はい!そうします!」と家に飛んで帰った。


この行動で、

私とIさんは、それから1ヶ月間、

生き延びる大切なものを確保できた。


さて、ハリーが叫んだ、その指示とは? 


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