海外留学中に学費が払えなくなったデイビッド君の話 | ハリー・ヨシダの楽しい終活日記(ハリー爺ちゃん随想集)

ハリー・ヨシダの楽しい終活日記(ハリー爺ちゃん随想集)

もういくつ寝るとあの世かな。
☆剣道 教士7段 、剣道コーチ
☆Harry's フォトスタジオ枚方 代表
☆催眠誘導心理カウンセラー
☆貿易アカデミー 講師
☆財務分析セミナー講師
☆元 関西外語専門学校 講師
☆元 JETRO認定貿易アドバイザー

海外留学中に学費が払えなくなったデイビッド君の話




親の事業が失敗。

倒産し、学費が払えなくなった私の知人のお話しです。




彼は、その時アメリカに留学していた。




無一文になった彼が、アメリカに残り、大学を卒業できた、その秘策とは?




 ********




彼は、マレーシア生まれの華僑ファミリーの出身。



お父さんの事業が順調で、彼はアメリカの大学に進学した。




しかし、かれが大学3年生の時、親の事業が破たん。倒産した。




親の仕送りは期待できない。




学費を払えなくなった彼は、途方に暮れる。



だが、かれは、秘策を練った。




そして、大学理事会と交渉をした。




その結果、かれは、学費免除で、残りの一年間を過ごし、大学を卒業できた。




かれの取った交渉のシナリオとは?


彼は、そこで何を語ったのか?




ヒント:

 彼は、当時、アメリカの歴史依頼初めての黄色人種の大学生徒会会長だった。

 彼には、おおきな夢があった。 ゴムの輸出しかなかったマレーシアに付加価値ある工業産業事業を起こすこと。

 かれには、カネは無い。あるのは、情熱と行動力のみ。


<後日談>------☆



ちなみに、



大学を卒業した彼は、マレーシアにもどり、知人たちから500万円を借金し、火事で焼けたスチール椅子工場を購入し、小さな丸椅子を生産することにした。



そのころ、私と知り合い、私の仲介で、彼は、日本のホームセンターへの輸出に成功した。


日本への輸出実績で、品質の高さをアピールできた彼は、


アメリカのウオルマート社など、世界のチェーンストアーに製品を販売するようになり、


みるみる事業は拡大し、シンガポールに3階建のビルを建て、株式上場を視野に入れ始めた。



ある日、彼は、高級車セルシオで、私をホテルに送ってくれた。




その車中で、私は彼に言った。「デイビッド、 君は、ここまで事業を大きくしたし、成功者だね。 シンガポール国際家具ショーでは、君のブースが一番デカかったね。  世界の家具業界で、一目おかれるようになったね。  マレーシアもゴム原料の輸出だけでなく、ゴムの木を加工して付加価値商品を輸出できるようになった。 君の貢献は大きかったね。」と。




しかし、彼は、首を振って、こう言った。

「僕の夢は、家具業界で成功する事じゃないんだ。」と




私は「え?」と驚いた。


3000万円程の高級車に乗り、高級マンションに済み、成功をしている、君が、本当に目指しているものとは?




私は尋ねた。「デイビッド、君が目指している事業とは? 何なんだい?」




シンガポールの夜の摩天楼の光の景色を車窓から眺めながら、ハイウエーをゆったりと走る高級車のハンドルを握りながら、彼は、天井を指差した。



私は、天井を見た。




彼は言った。「ちがうよ、ハリー。 ほら、空の星。 ね、宇宙だよ。」




「宇宙?」




「そう、僕は、ロケットを打ち上げたいんだ。自分の人工衛星を持ちたいんだ。」




「そんなもの、事業に、なるのかい?」




「ああ、コミュニケーション・ビジネスさ!


 Global Communication Networkが 次の成長産業さ。」


と、かれは、ニッコリと笑った。




彼は時代を読んでいた。


もう20年も前の事であった。





**********************

「その気になれば何でもできる!」



「ヤッタロヤナイケ~♪スピリット」の



ハリーの白熱セミナーへ、ようこそ。

***********************