海外留学中に学費が払えなくなったデイビッド君の話
親の事業が失敗。
倒産し、学費が払えなくなった私の知人のお話しです。
彼は、その時アメリカに留学していた。
無一文になった彼が、アメリカに残り、大学を卒業できた、その秘策とは?
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彼は、マレーシア生まれの華僑ファミリーの出身。
お父さんの事業が順調で、彼はアメリカの大学に進学した。
しかし、かれが大学3年生の時、親の事業が破たん。倒産した。
親の仕送りは期待できない。
学費を払えなくなった彼は、途方に暮れる。
だが、かれは、秘策を練った。
そして、大学理事会と交渉をした。
その結果、かれは、学費免除で、残りの一年間を過ごし、大学を卒業できた。
かれの取った交渉のシナリオとは?
彼は、そこで何を語ったのか?
ヒント:
・ 彼は、当時、アメリカの歴史依頼初めての黄色人種の大学生徒会会長だった。
・ 彼には、おおきな夢があった。 ゴムの輸出しかなかったマレーシアに付加価値ある工業産業事業を起こすこと。
・ かれには、カネは無い。あるのは、情熱と行動力のみ。
<後日談>------☆
ちなみに、
大学を卒業した彼は、マレーシアにもどり、知人たちから500万円を借金し、火事で焼けたスチール椅子工場を購入し、小さな丸椅子を生産することにした。
そのころ、私と知り合い、私の仲介で、彼は、日本のホームセンターへの輸出に成功した。
日本への輸出実績で、品質の高さをアピールできた彼は、
アメリカのウオルマート社など、世界のチェーンストアーに製品を販売するようになり、
みるみる事業は拡大し、シンガポールに3階建のビルを建て、株式上場を視野に入れ始めた。
ある日、彼は、高級車セルシオで、私をホテルに送ってくれた。
その車中で、私は彼に言った。「デイビッド、 君は、ここまで事業を大きくしたし、成功者だね。 シンガポール国際家具ショーでは、君のブースが一番デカかったね。 世界の家具業界で、一目おかれるようになったね。 マレーシアもゴム原料の輸出だけでなく、ゴムの木を加工して付加価値商品を輸出できるようになった。 君の貢献は大きかったね。」と。
しかし、彼は、首を振って、こう言った。
「僕の夢は、家具業界で成功する事じゃないんだ。」と
私は「え?」と驚いた。
3000万円程の高級車に乗り、高級マンションに済み、成功をしている、君が、本当に目指しているものとは?
私は尋ねた。「デイビッド、君が目指している事業とは? 何なんだい?」
シンガポールの夜の摩天楼の光の景色を車窓から眺めながら、ハイウエーをゆったりと走る高級車のハンドルを握りながら、彼は、天井を指差した。
私は、天井を見た。
彼は言った。「ちがうよ、ハリー。 ほら、空の星。 ね、宇宙だよ。」
「宇宙?」
「そう、僕は、ロケットを打ち上げたいんだ。自分の人工衛星を持ちたいんだ。」
「そんなもの、事業に、なるのかい?」
「ああ、コミュニケーション・ビジネスさ!
Global Communication Networkが 次の成長産業さ。」
と、かれは、ニッコリと笑った。
彼は時代を読んでいた。
もう20年も前の事であった。
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