どうも和久井です。
終わりますよね。2022年が。
来ますもんね。2023年が。
少し2022年についての振り返りを。振り返りざまのエルボーアタックをお見舞いしていきたいと思う所存です。
2022年という年は、僕にとって特に、
達成と苦戦と挫折と成長と伸び代な一年だったと言えます。
達成、苦戦、挫折、成長、伸び代。
人生において欠かせないスパイスだと思っています。
そのスパイスがとっておきのバランス感覚でもって調合され、波状攻撃のように責め立てられ耐え忍び、ど真っ正面から徹底抗戦の構えだった2022年だったんですよ。
今年の初めは、「ミュージカル刀剣乱舞〜江水散花雪〜」から始まりました。
今まで体感した演劇は、約1ヶ月間。長くとも2ヶ月間。カンパニーの皆さんと共に作品を創ってきました。
振り返ればどれも短くとっても儚い時間だったと思います。
この刀剣乱舞は、去年11月から今年3月まで、約5ヶ月。
同じ作品の中で戦い続け、カンパニーの皆さんと苦楽を共にしまくりました。
「苦楽を共にする」っていう言葉の本当の意味が初めてわかったってもんです。
時間、というものはどうしたって尊くて、
どれだけ長い時間かけてその作品に心血を注ぎ込んだか、今でも骨と筋肉が覚えています。脳とか記憶などいりません。
冗談じゃなく、今でも殺陣の手は再現できます。ダンスの振りも再現可能です。
右脳と左脳じゃなく、骨と筋肉にあの頃の記憶がべっっとりとこびりついているようです。
この時に感じた挫折や苦戦や成長は、この先何十年経っても、自らの心の柱として、樹齢400年のぶっとい御神木のようにそびえ立っていくのだろうと思うとウキウキします。
環境や状況など何が変わろうと、この御神木だけは、ブレねぇ動じねぇってなもんです。
次に、脚本を担当しました。
朗読劇「なななななな」
自身7本目の脚本作品でしたが、朗読劇の脚本を書いたのは初めてでした。
ほとんど処女作のような気持ちで書いていました。
いかんせん朗読劇というものにトラウマがあったんですよ。
20代前半の時に経験した朗読への圧倒的難しさを感じて、個人的な苦手意識を両脇に抱えたまんま、なんだかんだ朗読と関わらないまま5年ほどの月日が流れました。
そして今年頂いたのは、朗読劇の「脚本」のオファーでした。
舞台の脚本は書けども、
朗読劇の脚本を書くなんて夢にも思わなんだ過ぎて、そして小さじ一杯の苦手意識から、そのオファーを断ろうとするほどでした。
そりゃあもう自問自答を繰りかえしたもんでした。
やってもいないのに最初から逃げるわけ?
「NO」っていうことは、自分の過去のしょうもないトラウマから逃げてるってことじゃない?
男らしくなくない?
男だったら拳で向き合うべきじゃない?
ごちゃごちゃ言ってないで、かっったい拳でぶん殴って黙らせればいいんじゃない?
No pain ,no gain?
血気お盛んダサ中坊のメンタリティーでもって、このオファーを受けさせていただきました。
勝手だよね。男ってほんと勝手だよ。やめちゃいなよ。そんな勝手な考え方。
今まで書いてきた脚本のノウハウやあれこれを全部捨て去って、
それでも果てしない熱を込めて、圧倒的信念でもって、見にきて頂いたお客様に朗読劇というものを好きになってもらうために書きました。
あとは、僕も同時に朗読劇を好きになりたかったので書きました。
そして本番を観て、僕は、朗読劇が好きになりました。
演出してもらった林千浪さんやキャストスタッフの皆様に深く深く感謝感謝の一瞬一瞬でした。
最後は、脚本、演出、出演をした「BOYS DOLL HOUSE〜はい!よろこんで!〜」
思えば、この作品が20代最後の演劇でした。
そしてこの作品が20代の最後を締めくくる作品で本当に良かったです。
特に今年「20代の最後はどんな作品を創れるんだろう?」と意識したことはないんですけど、思い返してみれば、
いろいろな運命が絡まりあったこのタイミングでこの作品を創れてとってもとっても良かったのです。
「この座組みじゃないと創れない作品」ってよく言われるじゃないですか。
この作品に関しては、マジのマジで、本当の意味での”それ”で。
オーディションを開催され、初めて選ぶ側になったこともあります。
「人を観る」ということのキツさと偉大さを真っ向に感じました。
稽古中に物語(脚本)の流れ大きく変える。っていうことを初めて経験しました。
脚本書いてて、今まではそんなことなかったです。
最初の脚本は、上演されたものとは、また全然違う流れだったのです。
この流れは稽古の途中から、キャストさんのお芝居とディスカッションの中から、湧いてきた物語であり、絶対にそっちを選んだほうがいいと思いました。
お芝居始めて9年間の中で、まず間違いなく一番「会話」をした稽古場でした。
作品の中身について意見交換するのってどの現場でも当たり前に起きていることですが、ずーーーーっと話してました。
稽古中も。休憩中も。稽古せずに話しだけで終わった日もありました。
むしろ稽古そのものより、その会話がいっちゃん大事でした。
ここまで会話することができた座組みだったからこそこのたどり着けた物語だったと思います。
この座組みでなかったら全然違う物語を上演していました。
という意味で、この座組みじゃないと創れない作品だったことは確かなのです。
色々な偶然が重なって創り上げたこの作品は、僕が20代で経験したあれやこれやの集合体みたいな作品でした。
そこに居合わせてくれたキャストスタッフお客様は、僕にとってともても忘れられない大切な方々です。僕にとっての神様であり、家族であり、恋人であり、マブダチであり、結婚式に招待状を出す人たちです。
そこはかとない感謝をお送りします。
さて、来月にも僕は30歳になります。
どんな30代を生きたいのかを考える前に、どんな20代だったかなと、どんな風に20代を生きてきたっけかなと考えました。
20代を一言で表現するならば、
「真面目」
でした。
薄い?
もしかして薄い??
弱い????
「どんな20代だったか大喜利」だったら激弱回答???
でも、これ、とってもしっくりきてます。
今まで出演してきた作品。
脚本を書いた作品。
演出をした作品。
ありとあらゆる森羅万象、全てのお芝居に対して「真面目」に向き合ってきた自信だけがあります。
お芝居の上手い下手やら作品の出来やら評価やらは、一旦置いておいて、
一度、自分自身に聞いてみたんです。
「真面目にやったか?」
って。
そしたら、
「うん!」
って言ったもん。
うん!って言ったんだもん。元気に。ほんとだよ?
例えば、僕のことを知っている方々に。
”和久井は、「真面目or不真面目」アンケート”
したならば、どうだろう?
絶対に60%以上の方々は、和久井に対して
「真面目」の烙印を押すと思うの。
過半数は超えるでしょう?
ほら、真面目じゃん。ねぇ。なんとか言ってみなよ?
当たり前のことを当たり前に。一つも手を抜かず、嘘をつかず、今自分の能力で表現しうる全部でもって一つ一つの仕事を真面目にやってきました。
そうゆうわけで30代も変わらずに、
「大真面目にやっていく」
ということです。
自分の所持スキルが「真面目」で設定されているので、きっと40代50代になってもド真面目一本背負いです。
これまで以上に、どの瞬間も大真面目に、そして真剣に、30代の人生を謳歌していきたいと思います。
また来年、皆様にお会いできることを楽しみにしています。
よいお年を。